2017-05

vowel

世界に感謝すること。
生きたいと願うこと。
楽しいと思うことをすること。

人の自由を奪わないこと。

人の気持ちを奪わないこと。

最大限の努力が出来ればこしたことはないけれど、
無理に積み重ねないこと。
よく眠ること。
深く深く呼吸すること。
美しい空気を深く深く吸い込み、吐き出すこと。

恐怖は無理解によるものと知ること。

時に頭をからっぽに開くこと。

神様。

神様。

僕は、なぜ。

過った道ばかり選んで穴に落ちてばかりなのでしょうか。

なぜ

飲み込めないものを飲み込もうとしたり
飲み込めないと思い込んだり
飲み込めると思い込んだり
堂々巡りを繰り返すのでしょうか。

普通に、偽りなく笑いたいだけなんです。  

人との距離をはかる物差しってどこにあるのでしょうか。

幾本も立ったフラグ、
それを人の気持ちとして
同時に処理することができません。
いいように処理できず、
オーバーフローするのです。

考えるのやめたい。
暴走する堂々巡り。
どうして読めるはずのない空気を、
こんな能力のない僕が
先回りして読めるはずなどないのに。

空気も時間も直接の言葉もあらゆる言語も、
何もかも読めるはずのない、僕の
壊れた電算機から、
大量のパンチングシートか、とめどなく漏出してゆき、
いまや
天井を貫く。

深く深く。
息を吸い込め。
突き破った先からどっと泥水が、流れ込む。
溺れてしまえと言わんばかりに。

世界に感謝してみたい。

生きたいと思いたい。

ただ、笑いたい。

fermium

楽しいこと、好きなことをやらないといけない
一方で苦しいこと、嫌いなことも飲み込まないといけない

そういう二律背反を人はそれぞれの比率でなんとかやりこなし
やりこなしそこなった者が、じっと膝を抱える。

楽しいことを義務にしたらお仕舞だ。
でも楽しいことが楽しかったはずのこと、苦しいことに変化する時、それはどうしたらいいのだろう。
変化は、どうして起きるのか。
自分の中の嗜好の変化もあるだろう。
楽しいことが、実は背後に別の要因をもち、それに突き動かされて「楽しそうに」見えていただけの場合もある。
背景が変わると、最前面に出ていたものが色あせてしまう。
あるいは、楽しいことに、別の要素が外野から加わってしまう場合もある。
楽しいことをすると同時多発的に、他者が関わりが生じて、本質が濁ってしまう。

そういうことが、ほんの些細な瑕瑾が、目に見えて増大する。
時に数分で、時に何年もかけて。

そして気づけば、自分は何もしたいことを、好きなこと、楽しいことをなくしてしまったような気分になる。

自分もとても楽しかったはずなのに、
ある時点から、客体に変わって、遠く離れて見下ろし、そこにいた人たちを呆然と眺めている。
あの時、僕は夢中になっていただろうか。
我を忘れていただろうか。
渦中にあっても、中空に浮かんだ別の僕が、醒めた眼で見下ろしていなかったろうか。

嘘はつかない。
大人になると、そうは簡単に。
その代わり、本当のことは一切言わなくなる。
隠していることを、自分で忘れてしまえば、隠していることにもならない、
それ以前に罪悪感に苛まれることがなくなる。

本当のことを言っているように、親しげに話してしまう。
その瞬間、多くの人は、気を許してしまう。
気を許すということは、小さな甘えや弱さを見せることだ。
でも僕というひどい人間は、物凄く弱音を吐きまくるくせに、他人の甘えには平手打ちで返す。
それは信用していないから、許せなくなるのだ。
だから、本当の事を、本当のような事を話さないようになる。

**

怖い妹が親身になって病気の相談に乗ってくれる。
今は驚きとありがたい気持ちが多分にある。
でも、いつか僕の気持ちが変容してしまうのだろう。
いつも通りに、断絶を繰り返すのだろう。

病院を変えないといけない、ということはよく分かる。
別の病気なのだということも、よく分かる。
自分に甘い僕は、
また苦しいとのたうちながら、他人を散々暗い気分にさせるだけさせて、
次の階段をのぼれない、臆病者になりさがってゆく。

**

僕と付き合う人は、どんなに疲れるだろう。
自分と向き合うのをやめて、純粋に人の話を聞く方が楽しくなる瞬間が、いつか来るのだろうか。
無理に我慢を飲み込んだりせずに、脱力して世界に目を開く日が来るのだろうか。


medley

最初に切り札を使ってしまい、逃げる手立てをなくす。

楽しい映画をみても、
すぐに大量の負の霊気に襲われて
また

どうやって普通に歩いてきたのか、ここまで。
コップが小さすぎるので、毎日あふれこぼれてしまう。

死にたいのと消えたいのとコワイのとで
押し潰される。

何がそうさせるのか、分からない。

胸が潰れる。

誰にも会いたくない。

メールも読みたくない。

こういう吐瀉物を公開一時しては
暫くすると、それ見てまたパニックになり
非公開にして、また暫くすると、吐き気でたまらなくなる。

行けども行けども、昏い途。

vanadium

帰り道、青い手袋が落ちていた。
手袋と言っても毛糸のそれではなく、くしゅっと丸まった実験系手袋だ。

一般の人も手荒れ防止でディスポのラテックスグローブを使うことがある。
これはネットなどでも購入しやすい、が、概ねクリーム色だ。

そのくしゅっとした塊を跨ぐとき、僕はそれがラテックス製ではないと見抜いた。
ラテックスの伸縮性のある感じではなく、伸びの悪い、ノペッとした気配がある。
ラテックスは中に粉がついていて、これにアレルギー反応を起こす人が多く、
約20年前からパウダーフリーが主流になった。
素材のラテックスは伸びとフィットが良い反面、粉だけでなく素材自体がアレルギーの元になることもある。
さらに紫外線による硬化・劣化が強いのが難点でもある。
そこで出てきたのがアセトニトリル製で伸びは劣るものの、肌へのやさしさは格別。
どういう製造工程のちがいか、ニトリル系は着色が豊富で、緑や菫や水色などさまざまだ。
そして、色を見ると、メーカーがある程度絞り込めるという事実もある。

今夜、道に転がっていたのは、濃い目の青。
これを出しているのは、自分の中では一社しかない。
海外輸入品ではなく、某実験系代理店メーカーブランド。
なかなか一般人が購入するのは難しい気がする。

そしてそのブランドは、前職場で自分専用に購入してもらったもので、我が家に三箱残っている。
手湿疹対策に、食器洗いに活用している代物。

この道を前回通ったのは、昨日の午前中。
ということは、僕の体に付着して、落下、そのままこの場に丸一日以上転がっているとでもいうのだろうか。
どうにも解せないミステリー。
解せないけど、一瞬にしてこのささやかな推理が進み、ニッと笑ったのであった。


**

人は、対人関係という点においては、固定された得手不得手など存在しないのかもしれない。
他者に投影された自己の無数のパラメーターが複雑に感応し、
聞き上手、話し上手、聞き下手、話し下手に変わるのではないのか。

人は生きてきた分だけ、いかなる経歴であれ、たとえ日頃引きこもりであろうとも
何らかの「専門性」を持ち合わせていて、
聞き手に興味と、甘受する知識がある時、加えて引き出す力が加われば、
どんなに朴訥なミザントロープも、舌を躍らすのではないのか。
そうすれば聞き手は、自然と合いの手をうち、逆に語り手に変わる。

僕も
むしろ感情から遠く離れた、大きく捉えると「技術」に関する話題であれば
とめどなく話していることに気づく。

そういう条件がそろう瞬間が面白いと思う。

**

「同心円状」と「偏位性」という概念についてずっと考えている。
被修飾語は、鏡の反射、脳の放射(思考であろう)。
これが実質、どういう状況/概念を比喩しているのか、ちっとも掴めない。

図形的にみると
円は既に互いに相似の状態にあって、さらに同心円となれば空間における位置関係でも
「強者」の位置にあると思う。
何が強いのかって?
うーん、説明しにくい、その状態になるレア度があがることは、
既に麻雀において飜数が高いのと同じ、
ゲームにおける高得点は希少性確率の低さと同等であるという意味で
「強い」といいたいのだけれど。

対して「偏位」した状態というのは、傾きを固定しないならば、単にブレと読むならば
遥かに起こりやすい事象であって、「同心円状」の対義語ととらえてもいいのかもしれない。
が、これを鏡だの思考だのにかけて一つの概念として捉えると、急に思考停止してしまう。

ということで、後半、男爵の喋りに、いい加減にしろと突っ込みを入れる。
作者と懇意だった、急進派のカント哲学者、Ernst Marcus(1856-1928)の思考回路がちっとも分からないので、四苦八苦している。
それだけの話を、自分の脳内闘争的に取り出してみました。

終わんねー、やばいわ、非常に。


astatine

何かをほんの些細なことを我慢する、ぐっと飲み込む。
その小さな小石が数ヶ月後、数年後、巨大な渦に変わってしまう。

人の気持ちが分からない。
本当に全然と言っていいほど分からない。
だから、読んだ本の内容は全部忘れるけど、人の言葉や表情を脳裏に焼き付けてしまう。
それは慮ってみようと儚い努力の一端であって、
実は「全然そんな風には考えていない」思いを曲解し拡大解釈する材料になる。

自分の病気のことで甘えたくはない。
でも、結局、二日仕事にでれば、もう脳はくたくたで、目覚ましが何台鳴り響こうとも
体が脳を休めるために布団に縛り付ける。
そして罪悪感とどうしようもない肉体への恨みと、努力を華麗に隠して日々を泳ぐ人たちを羨み、冷たい視線に耐えながら、脳にまた答えのない思考の洪水を渦巻かせて夕方を越え、夜を迎えるまで働く。

帰途、見上げると橙に染まる、切り爪の月がけぶっていた。

僕はもう僕に疲れきっている。

人の気持ちが分からないのに、人と付き合うのは諦めているのに
それでも少しは何とかしないと、真面目な一部が吠え立てるので
それに合わせようと一度は努力してみるけど、結果は空回りでしかなく。
空転の羽根車は脳をかき回し、涙腺を決壊させ、途方に暮れさせる。

本当に心が許せる人と、ぼんやり綺麗な夕焼けだけ見て暮らしていたい。

夢想からふと汚泥に呼び戻されて、しゃがみこむ。
薬は効いているのか、効いていないんじゃないか。
苦手なことから逃げていいという忠言に、従って済むならどんなにいいだろう。

世相は世紀末以上の世紀末感を増し、空気が罵詈雑言で満ち満ちている。
その闇の圧迫と、自身から放射される闇の、二つのブラックホールの強い重力で
今にも万分の一に圧縮され、引きはがされ、弾け散りそうだ。

この湧きたつ狂気をごくんと飲み干す。
飲み干せるだろう、きっと。
でも、たちまちに、すべからく、内燃する。

僕はもう僕に疲れきってしまった。

どうか神様
僕に何も期待しないでください。
期待しているのではないかと、毫も感じさせないでください。
僕は曲解しますから、間違えてころんで、月の冷たく紅い視線に焼き殺されますから。




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絹山絹子

Author:絹山絹子
狸穴幼稚園の図書委員

kochairo@hotmail.com
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