2017-10

無人島のお供に―「彼方」(1)

もう何度も書いてきたように思うけど。

ウツ神が背中にのしかかろうと、辛い時間が重なろうと。
僕は自分が、「ツイテイル」と信じて疑わない。
無宗教だけど、限りなくプロテスタントに近しい場所で、守護神が手助けしてくれていることを、一度足りとも疑ったことがない。
だからこそ、いつもウツと同時に、贅沢貧乏を味わっている。

僕は垣根が高い。
一見低く見える部分もあるかも知れないけど、隙間なく張り巡らされた感知器に、一瞬でも触れられたら。
赦さない。
僕は、どういえば、真の意味で伝わるのか分からないけど。
もう悲しいほどに、他人が苦手なんだ。
昔は、「嫌い」という言葉を使ったけど、今は、たとえば、テレビの箱の中(今は箱も薄くなってるらしいけど)、ラジオの中から、見え聞こえするだけで充分。
でもネットは、単方向で済まないことが多いから。
それゆえに、ひたすら発信か収集だけで、留めておきたいのだけど。
発信時に、語りかける口調を使ってしまうのは、いわば極限定された個人、あるいは偶像に対する呼びかけに過ぎない。

ということで。
「閉鎖」とは「閉鎖」以外の他意を含んでいないのです。
精神だけ潔癖症の僕には、「継続」において心の片隅に持っていたある種のさもしさが、我慢なりませんでした。
こんなにも他人が苦手なのに、一方で反応を求める行為を続けることに、耐えられませんでした。
だから、もう「嘘」をつくのはやめようって、思ったんです。
以上、この件に関しては、二度と触れるつもりはないので。
この意味不明な呟きから、ニガヨモギの先端でも見つけていただけば幸いですと。

で、そんな僕は。
ちょっとした知人100人に囲まれて共同生活3日間過ごすよりも。
無人島に1年いる方がいいので。
世の中のありきたりな質問であるところの。
「無人島に持っていく、一冊は?」という質問に叶う本を、時折考えていたりします。

何度読んでも飽きたらず、ちょっとやそこらでは暗記できず、感情的に走りすぎもせず、興味つきない語録が溢れている。
とくれば、多分現在最初に思いつくのは、「黒死館」でしょうが。
「彼方」も仲間に入れてやりたいなあと、思うのです。
そして、両者には、無人島のお供にふさわしい共通点があり、同時にふさわしくない共通項も併せ持っていたりします。
語彙語彙語彙語彙語彙の海は。
澄んだ海水に漂う未知の生物で、確かに賑やかで楽しく、煙にまかれては、またきらびやかな色彩に惑わされるのですが。
いかんせん、図鑑を持ち込めないので、生き物の学名を知ることができません。
かように、「黒死館」も「彼方」も、万が一暗記できたとしても、本当のぶら下がる過剰なモビールの真意を知ることができないのです。
つまり、無人島にも竜宮にも、司書はいなくてもいいから、∞図書館を設置してもらわないと、調べものをして遊ぶことができず、ちょいと欲求不満が重なってしまうのです。

そうなると、こいつは矛盾なわけで、あえなく二冊は鞄から出さなければならなくなりました。
じゃあ、絹子の一冊といえば。
いまのところ、電話帳・笑。
もっと正確に言えば、タウンページよりハローページ。

遊びの想像はそれこそ無限大に膨らみます。
たとえば、7桁の番号であれば、全頁を000-0000から999-9999まで、並べ直してみる。
抜けが出ている確率を調べる。
フリガナは振られていないから、変わった名字や名前の読み方を想像する。
番号に+-*/を組み込んで、美しい数字を作る。
名字と名前を組み合わせて、お馬鹿な名前や、洒落のきいた名前を作る。
麗しい名前ができれば、それに見合ったお話を想像する。
最高のデータシートの塊じゃないですか。


彼方 (創元推理文庫)彼方 (創元推理文庫)
(2000)
J.‐K. ユイスマンス

商品詳細を見る



と話はどんどん横道にそれたけど。
「彼方」はストーリーはトンデモ系です。

ユイスマンス作品はみんなそうらしいけど、小説の体裁を辛うじて保ちながらも、評論といったほうが手っ取り早いです。
でも、「彼方」はまだ筋がある分、逆に筋を辿ると、アラアラと口が開いてしまうこと請け合い。
そう、小難しく捉えること人が多いのは百も承知の上で。
敢えて僕は笑い飛ばせるよ!
だから可愛いんじゃないか!
と撫でてしまえるのも、「黒死館」と共通するところであります。

今晩は、感想第一回だから。
詳細は次に送るとして。

ああ時代巡れど、同じことに嘆く人多し。
かような嘆きを吐かせてしまうところも、げに愛しいのお。
ってところを引用したいと思います。

主人公デュルタルと友人のデ・ゼルミーの掛け合いって、一人の人間が創作対談作ってるみたいな偽物臭い感じが出てるんだけど。
反駁仕合わずに、一本の流れに収束しがち。
とはいえ、一応の相づちは打つけど、お互い好き放題にしゃべくるから、おかしくってしょうがない。
法水と久我鎮子みたいに、自己陶酔しつつ(笑)炎上してもらいたいんだけどね。


「うん、いまド・レー男爵閣下の訴訟を克明に調べているのだが、読むにも書くにもあまり興味の起こらないところでね」
「だが、いったい、その本はいつごろできあがるのか、やっぱり分からないのかい」
「分からないね」と、デュルタルは伸びをしながら答えた。「しかし、いつまでもできあがらないほうがいいと思うよ。これを仕上げてしまったら、ぼくはどうなるんだ。ほかの題目を捜して、章の割りふりや何か、書き出しのくだらない段どりをやらなければならない。そうなると、きまってぼくはすることが手につかずに、何時間もいやな思いをしなければならないのだからね。まったく、考えてみると、文学にはただひとつの存在理由しかない。それは文学にたずさわるものを生活の嫌悪から救うことだ」
「それから、いまどき心から芸術を愛している連中の貧苦を、情ぶかくまぎらせてくれるのと」
「そういう人間はごく少ないね」
「しかもますます減って行くね。新時代の人間はもはや賭博的な遊戯と競馬以外には興味を感じなくなった」
「そうだ、そのとおりだ。今の人間は賭博ばかりしていて、決して本を読まん。本を買って、その成功と失敗を決定するのは、いわゆる社交界の女だ。生ぬるいねばねばした小説が世の中に横行しているので、ショーペンハウエルのいう貴婦人(ラ・ダーム)のおかげだ。ぼくにいわせれば小さな鵞鳥どものおかげさ」
デュルタルはちょっと言葉をとぎらせてから、またつづけて
「ああ、だがそんなことを問題にする必要はない。いま多少残っている真の芸術家はもはや大衆を考慮のなかに入れていない。彼らは客間や文学の常連の喧噪からはるかに逃れて、生活し仕事をしている。彼らがこころから感じる唯一の恨みは、本が印刷されて、大衆の汚らわしい好奇心にさらされるのを見ることだ」

(中略)

「いまの文壇と自称する社会を見て、いつもながらに第一に印象されるのは、偽善的な性質と低劣な趣味とだね。たとえばディレッタントなどという言葉は、数かぎりない醜態をおおいかくしているじゃないか」
「そうだね。なにしろ伸縮自在で、実に融通のきく言葉だからね。だが、それよりもっと浅ましいのは、ディレッタントという言葉を讃辞だと思って、得々として肩書きに使っている現代の批評家どもが、実は自分で自分の横面をはるにも等しいのに気がつかずにいることだ。なぜなら、煎じつめてみると、これくらい理屈にあわない言葉はないからね。ディレッタントは個人的な性格ではない。なぜなら、ディレッタントは嫌いなものがひとつもなくて、何もかも全部好きだというのだろう!だが、個人的な性格のないものに、才能のありえようはずがないじゃないか」
16章 p296-299




うーん、気持ちいい。
かくいうユイスマンスは、社会的には終生、実直な内務省官吏であったのでした。
いいなあ、こういう二面性と禁欲をはらんだ内燃機関。
スポンサーサイト

● COMMENT ●


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://quinutax.blog35.fc2.com/tb.php/95-dfe80af0
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

螺子と歯車 «  | BLOG TOP |  » 生臭さは梅雨のせいばかりじゃなかろうて

プロフィール

絹山絹子

Author:絹山絹子
狸穴幼稚園の図書委員

kochairo@hotmail.com
Twitter account:@quinutax

最近の記事

FC2カウンター

カテゴリー

リンク

このブログをリンクに追加する

ブログ内検索

月別アーカイブ