2017-06

表裏一体の必然

地の底の笑い話 (1967年) (岩波新書)地の底の笑い話 (1967年) (岩波新書)
(1967)
上野 英信

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アンテナが増えると、引っかかるものが増えるというのは当然の道理で。
それが増えた直後のだと愉しいという思いの方が多いのだけれど、アンテナの重みである日突然ぐわっと頭を掻き毟りたくなる。。こともなくはない。

素氏によれば、この本は発売当初ひそかなブームを巻き起こしたらしい。
ベストセラーなど目もくれない毎日だけど、その割りに今まで古書店で見過ごしていた。
変なタイトル。
悪魔崇拝的(嗚呼まさに、「彼方」は悪魔のイビキも同然でありますが)なものを想像して、あれれと首をひねり。
モノクロで製版された山本作兵衛氏の絵に惹きつけられた。
そして、古書店で、ちゃんとその画集が私を手招きして待っていたんだから、アンテナ作用も笑えます。
この絵から最初に連想したのは、香港タイガーバーム公園を彩るヘタヘタだからこそ無残な地獄絵巻。

無残と同居する活力と不調和な明るさは、本文の吸引力にそっくりそのまま引き継がれている。

一気に読了して、こんな一時も目を離せないような面白い本久々だなーと。
面白いの一言でまとめちゃいけないけど。
それでもオモロイという叫びが、こういういまや忘れられそうになっている歴史の新たな呱呱になるんじゃないのかな。。。とも思う。

どうしても浅薄な感想になってしまうけど、眼を覆いたくなるほど酷い扱いを受けた炭鉱人たちの悲惨さの裏側には、おかしみや愉しみがあり、必ずもう一度そこへ戻りたいと願ってしまう求引力があった。
この二面性を何よりも強く上野さんが訴えかけてきている裏には、筆者自身、かつて悲惨の側しかルポルタージュできなかったという、悔恨と慙愧があるから。

『追われゆく鉱夫たち』に対して筑豊の炭鉱労働者から与えられた批判を、私は忘れることはできない。その一つは、筑豊香月のS炭坑の労働者からの批判である。私はこの呪うべき圧制ヤマの労務係が食物もなくて寝ている鉱夫の家を訪れ、袋に入れた米をみせて「入坑する者にはこの米を与える」とそそのかし、せめて一食でも我が子に米を食わせようという親心から、鉱夫たちはよろめく足をふみしめて入坑してゆくと書いた。これに対して批判者は、おまえはなぜ真実を書かなかったと迫ってきたのである。彼の主張するところによれば、そのような卑劣な手段で労働者を坑内に追いこんだ後、労務係はふたたび米袋をさげて家を訪れ、米と交換に彼の妻の肉体を奪うのだという。「なぜそれを書かなかったのか。それを書かなければ、ほんとうのことを書いたことにならないではないか」と彼は追求するのである。
p17



上野氏はこの批判を受けて、闇にはさらに深い闇がひそみ、さらなる深い地底、いつ崩れるかもしれぬ地の底にある明るさをも見いだそうと試みている。
「笑い話」というのは、決して表面的な語ではなく、疲れ果てた鉱夫たちをわずか一時慰める口伝えの噺だ。
怪奇あり、艶笑あり、悲嘆あり、噴飯あり。
種々の内容にかかわらず、慰めと活力を与えた根元に、「笑い」という語を当てている。

また、鉱山独特の「ケツワリ」「八木山越え」「スカブラ」といった語にも、何層にも重なる意味が含まれているんだと、もう眼が離せない。

「ケツワリ」というのは、朝鮮語の「ケッチョガリ」が転じたもの。
被圧迫民として地底に投げ込まれた朝鮮人の悲惨な運命が、鉱山から鉱山へと点々と逃げ惑う日本の鉱夫にも定着したらしい。
上野氏も、「尻を割る」という生々しい語感が、一旦は定着したはずの底を叩き割るという、肉体的な痛覚の凄まじさに通じて、彼らに愛用されたのだと読み解いている。

で、その逃亡だけど。
逃亡に失敗すれば、晒し者として死に瀕するほどの責苦を与えられるといった一面から、監督側があえて逃亡へと追いこむパターンもあったらしい。
つまりマージンの甘い汁を吸い取った監督(納屋頭)は、追いかけるふりをして、逃がしてしまうことも。
決死の山越えの最中、真っ暗闇で人の気配を感じて睨み合い、二つの集団があわや殺し合いになりかける瞬間、相手もまた自分たちが向かおうとしているヤマからの逃亡者と気づいて、大冷や汗をかくことも。
また、どんな鉱夫よりも蔑まれた部落出身の男をかばった礼に、逃亡中、部落にかくまってもらった家族。
そして、猛者の中の猛者たちは、決して逃亡不可能といわれた離れ島から逃亡し、わざわざ俺はケツワリだ、いま○○にいるから早く探しに来いと葉書まで書き、一つ成功を収めると、新たな難所を求めて別の離れ島の鉱山へと入っていく。

「スカブラ」というのは、著者もはっきりとした語源が分からなかったらしいのだが。
「スカッとしてブラブラ」とある老人に言われた、あっけらかんな説明に妙に納得してしまう。

スカブラは、みんなと一緒にヤマには入るけど、一向に仕事をしない人間のこと。
鉱夫のおしゃれは、真っ白の手ぬぐいを各人各様に工夫して締めることだったらしいのだけど(熱い坑内は裸同然)、みんなあっという間に真っ黒にする手ぬぐいをスカブラだけが、白いまま輝かせているという具合。
じゃあ、彼がみんなから嫌われ、厭われていたのかというと、決してそんなことはなかった。
スカちゃんと呼ばれて、大事に可愛がられていた。

スカブラは、日に何度も現場と詰め所を往復する。
ツルハシを一度も振らずに詰め所に向かって、だらだらと係員とお喋りをし、ヤマに戻ってはみんなに休憩時間だ、ほらもっと精を出さないと終わらんぞと声をかける。
そうすると、何故か仕事はめきめきと捗る。
一方で、このおかしなスカブラが時計の代わりをしてくれない日には、一向に作業が進まない。

彼は決して単にラジオの時報を務めたのではない。彼はみずから地獄の柱時計の振り子となってゆれ動くことによって、みずからを時そのものと化していたのではあるまいか。そして既存の物理的な時刻とはまったく異質の秒を刻みつづけたのではないか。彼が休んだ日は、それこそ時間の流れが凍結してしまったように感じられるのも、けだし当然というほかはない。堪えがたい時をみずからの運動としての時と化してゆく者、それこそが寝太郎であり、スカブラであろう。スカブラとは、もっとも絶望的な秒読みの音に肉体を刻まれつつ生きてゆく楽天主義の名でなければならぬ。
p105



ああ、なんていいんだろう、この文章。
そして、落盤事故が起こった日、今まで一切仕事をしなかったスカブラは、三日三晩一時も休むことなく、仲間を助けるために働き続けた。
係官も、納屋頭も、どんな偉い奴も、みんなスカブラに怒鳴り散らされて、救助に向かわされた。
そんな出来すぎにも思える噺にも、純粋に頷いてしまう。

もっと巧く紹介できればいいんですけど。
ほんとにオモロイので、是非一読あれ。


筑豊炭坑絵物語筑豊炭坑絵物語
(1998/07)
山本 作兵衛森本 弘行

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