2017-05

ふーとんとん

中国の屏風―モーム・コレクション (ちくま文庫)中国の屏風―モーム・コレクション (ちくま文庫)
(1996/03)
サマセット・モーム

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きっとこの本は、ある程度の年齢に至らないと、ひどくつまらない本なんだ。
後書きに書かれたモームが確かに中国を旅した年代、彼がスパイであったことなど現実世界の情報で補足したところで、この紀行文と分類される文章には、何の意味も与えられない。

僕が好んだ数少ないゲームに「クーロンズ・ゲート」というのがあって。
眩暈必至の道をひたすら歩み、地下世界の住人たちと会話しながら、壁にふれてゆく。
そうすると、迷路の先にあらたな迷路が見出されて、また新たな横揺れ縦揺れの中、珍獣たちと戯れることができる。
全4枚にも及ぶ長い探検は、何度やっても楽しかったけど、あの薄暗い道を進んでいるとき。
たとえば、タイトルに連なる宮本隆二の「九龍城砦」や「銀星倶楽部」の「魔都」なんかを思い出して、かつてあったはずの、けれどもほぼ夢幻に近しい気配に浸るのが何より面白かった。

胡同(フートン)というものもまた、僕の中では夢幻世界の一呼称で、迷路の影からぬっとでた手招きする白い指先に値する。
「中国の屏風」は、たった1-3頁の短編の積み重ねであって、それぞれに繋がりはない。
最初に僕たちは、幌馬車揺られて門をくぐり、修飾語にまみれた町並みをゆっくりと見渡し、第一篇を読み終える。
何だろう、この文章は?
そう首を傾げ、次へ次へと手探る。
白い指先が見える瞬間も、ないわけじゃない。
でも、指先に従ったら連れて行かれてしまう、貪婪の阿片窟のような魔的な場所は見つからない。
もっと淡い世界だ。
ただ淡彩世界にもたしかに美醜があるというだけ。
きれいなものものに対して、敢えてモームは感傷に浸らないだけ。

農村のあぜ道で、外国人の乗った人力車を避ける、クーリーの肌の色。
本当は朝寝坊の詩人たちがポエジーの力で構築した麗しい夜明けを打ち砕く、一つの夜明け。
1週間かけて下る川の途中で野営した人夫たちの寝付けない声がふっと途切れる瞬間、滅多にないロマンス(訳語はロマンスだけど浪漫の方がいいように思う)を感じ取る。
こうした表面的には意味をなさない、評論に近似する言葉を景色の中に織り込んで、消えるともなく一篇が閉じられる。

またモームの視線は、中国人のそれでも外国人のそれでもない。
たびたび出てくる、外国人の中で、何より伝道師たちの顔色は青ざめても赤らんでもいない。
長い諦めと禁欲に身を浸す快楽を知ってる。
彼らは、全てを捨てるためにここにやってきて。
祖国を思い出すものには一切触れず。
他の外国人たちが悪し様に罵る中国人のことを、捨てたものではないと何度も笑みを浮かべて囁き。
最後にモーム一人には、伝道師ほど、中国人を憎んでいるものはいないと見抜かれている。

地名も季節もない、ただ「中国」と名づけられた地。
篇題には、モームが見たありふれて奇妙な外国人の名が、刻まれる。
ヘンダーソン、マカリスター、サリヴァン。
これらは固有名詞であって、ただの記号。

もぐらのように僕たちは迷路を、せいぜい文庫に挟んだ栞に導かれて進み、ふっと開いた穴や扉に顔を突っ込む。
ただ石畳に午後の日差しが照り返しているだけで、あっけなく首を引っ込めたり。
おやおやと突っ込んだ頭もろとも背後から突き飛ばされたり、鼻先で扉を閉められたり。
落ち着かないまま、進んでいく。

モームは胡同の魔法をかけたかったんだろうか。
もし意図的な策略ならば、こんな老獪な技はしらない。
浮かび上がる前に密閉された感情は、余韻にもなりきれず、僕たちを狼狽させる。

Chinese Screen
屏風と呼ぶよりも。
細切れのショットの連続で目を回しかねない、そのくせ病みつきになりそうな。
「中国」で撮影されたのかもしれない映画のスクリーンめいている。


ARTDINK BEST CHOICE クーロンズ・ゲート-九龍風水傅-ARTDINK BEST CHOICE クーロンズ・ゲート-九龍風水傅-
(1997/02/28)
PlayStation

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おっとっと。
個人的に大事なことを書き忘れておりました。
まさしく個人的なことで申し訳ないんだけど。

素氏は、さかさパンダという異名の他にも、公開されていない様々な名称を体の各所に有していますが。
トンスラ。
そう一箱の店名にもなったトンスラは、素氏がズンドコ神から受ける寵愛のしるし。
またの名を、ひじきのピザと申します。
頭上に燦然と輝く(最近、シャンプー変えたら、ひじきが増えてきて、嬉しいような悲しいような)、その部分に、モーム様からおふらんすな名前を頂戴することに相成りました。

この作品の中の一つの影ともいうべき、灰色のユーモアとして、引用したい文章は数知れず。
特に「神の真実」や「領事」における、嫌味さ加減はぜひとも賞味して頂きたいのですけど。
あえて、「名誉」のこの一節から。


子爵は恰好のよい頭をしていた。
かなり禿げているが、みっともないほどではない(フランス人の小説家だったら「軽い脱毛症 レジエール・カルヴィシ」と表現して、残酷な事実の不快さを消すところだ)。



レジエール・カルヴィシ!léger calvitie
(この綴りに辿り着くのに時間かかりました~)
虫太郎風なルビに喜び、略してレジカル。
とひとりほくそ笑む、絹子でありました。

ま、本当に蛇足ということで。


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