[No.76] 2008/02/18 (Mon) 01:28
小さくなれば遠くにいけるかな

一ヶ月ほど前、タルホ拾遺の前夜祭に連れて行って貰ったとき、西荻近辺を再訪しました。
一人じゃ入れなかった、この喫茶店。
予想通りめちゃくちゃいい感じでした。
柱時計がいっぱい。
徳南晴一郎の「地獄時計」を彷彿と・・・させません。
もっと明るくレトロなのだ。
うっくんが好きそうだよ・笑。

バレンタインにあげたもの。
本郷の三原堂さんは、何しろ和菓子屋さんといえども、企画力が素晴らしい。
この「らぶどら」も味も大満足な逸品です。
三種のアンコの入った、「恋の最中」というハートもなかも来年は買いたいな。
となりの本は、毎日売り切れ御免で入手できなかったらぶどらの保険本。
ひさびさのオヨヨ詣でで、ほとんど自分のために買ったような物ですが。
秘かにサーカス文献蒐集しているので、今度まとめて書きたいです。
オヨヨさんといえば、素氏に渡した目録が凄かったみたいです。
店内は、人の出入りが激しくて、文庫の棚が空っぽで、、、
いつになったら、あの店内は落ち着くのでしょうかと、
心配半分、おかしさ半分で覗いています。

やっと読書の時間が取れるかなと思って手に取ったのですが。
なんだか、ぷぷぷ本です。
ポオとマラルメに私淑したヴァレリーが、思索の果て、文学放擲の果てに生み出したテスト氏。
最初は、なぜかメルカトル鮎の姿が頭を過ぎったのですが、
どうやら痩せぎすのオジサンみたいですよ。
観念小説なはずなのに、テスト氏はお喋りだし、風貌も描いちゃってるし、
挙げ句にオネムになって、僕の寝言でも聞いて飽きたら帰りなよな変人だし。
一人暮らしのはずなのに、奥さん出てくるし。
よく分かりません。
でも、思春期/青年期にぶつかる、神経ビリビリな感覚。
自負と自己嫌悪でいたたまれない感覚を、ひじょーに明解に捉えようとしている文章などは、胸がすっとする心地がします。
青春期とは、しきたりというものがよくわからぬ時期だ、また、わかってはならぬ時期だ。しきたりに対して、ただ盲目的に逆らってみたり、かと思うと盲目的に従ってみたりする時期である。言語にせよ、社会にせよ、認識にせよ、芸術作品にせよ、その他何であるにせよ、人間がそれらを築きあげるのは、いくつかの独断的な決定事項という基盤があってはじめて可能なのだが、ものを考えはじめた年頃においては、これは何とも想像のつかぬことなのである。わたしの場合も、こんなことは何とも想像しかねたから、人々とともに送る生活や他人と外面的なかかわりから生まれ、意志的な孤独のなかでは消え去ってしまうようなすべての意見や精神上の習慣を、ひそかに、つまらぬ軽蔑すべきものと見なすという掟を作り上げていた。
もっと早くこんな風に外側から自分を見られるといいなと思う。
まだまだ未熟極まりないですから。


コメント
こんにちは。喫茶店、写真を見ただけで心ノックアウトされちゃいました。いいないいな、行ってみたいな。
家出するなら佐野史郎さんが出没してそうな街を選びたい。
未だ悩み尽きない青年期まっただ中のうっくんでございます。
でも、絹子お姉さん、こっそり名前を呼んでいてくれて、ありがとう!
この空間の名前は「物豆奇」さんといいます。
ネットの海の中には沢山写真が落ちているので、中の妖しい雰囲気も探ってみてくださいな。
絹子さんも相変わらずいたたまれない暮らしぶりですが(笑)時々出かけては細道に逃げ込んでいます。
家出は色々ぱわーが要るので、漲ったら決行してみてください。
うっくんと早くでえと出来ますように。
コメントの投稿