2017-10

fermium

楽しいこと、好きなことをやらないといけない
一方で苦しいこと、嫌いなことも飲み込まないといけない

そういう二律背反を人はそれぞれの比率でなんとかやりこなし
やりこなしそこなった者が、じっと膝を抱える。

楽しいことを義務にしたらお仕舞だ。
でも楽しいことが楽しかったはずのこと、苦しいことに変化する時、それはどうしたらいいのだろう。
変化は、どうして起きるのか。
自分の中の嗜好の変化もあるだろう。
楽しいことが、実は背後に別の要因をもち、それに突き動かされて「楽しそうに」見えていただけの場合もある。
背景が変わると、最前面に出ていたものが色あせてしまう。
あるいは、楽しいことに、別の要素が外野から加わってしまう場合もある。
楽しいことをすると同時多発的に、他者が関わりが生じて、本質が濁ってしまう。

そういうことが、ほんの些細な瑕瑾が、目に見えて増大する。
時に数分で、時に何年もかけて。

そして気づけば、自分は何もしたいことを、好きなこと、楽しいことをなくしてしまったような気分になる。

自分もとても楽しかったはずなのに、
ある時点から、客体に変わって、遠く離れて見下ろし、そこにいた人たちを呆然と眺めている。
あの時、僕は夢中になっていただろうか。
我を忘れていただろうか。
渦中にあっても、中空に浮かんだ別の僕が、醒めた眼で見下ろしていなかったろうか。

嘘はつかない。
大人になると、そうは簡単に。
その代わり、本当のことは一切言わなくなる。
隠していることを、自分で忘れてしまえば、隠していることにもならない、
それ以前に罪悪感に苛まれることがなくなる。

本当のことを言っているように、親しげに話してしまう。
その瞬間、多くの人は、気を許してしまう。
気を許すということは、小さな甘えや弱さを見せることだ。
でも僕というひどい人間は、物凄く弱音を吐きまくるくせに、他人の甘えには平手打ちで返す。
それは信用していないから、許せなくなるのだ。
だから、本当の事を、本当のような事を話さないようになる。

**

怖い妹が親身になって病気の相談に乗ってくれる。
今は驚きとありがたい気持ちが多分にある。
でも、いつか僕の気持ちが変容してしまうのだろう。
いつも通りに、断絶を繰り返すのだろう。

病院を変えないといけない、ということはよく分かる。
別の病気なのだということも、よく分かる。
自分に甘い僕は、
また苦しいとのたうちながら、他人を散々暗い気分にさせるだけさせて、
次の階段をのぼれない、臆病者になりさがってゆく。

**

僕と付き合う人は、どんなに疲れるだろう。
自分と向き合うのをやめて、純粋に人の話を聞く方が楽しくなる瞬間が、いつか来るのだろうか。
無理に我慢を飲み込んだりせずに、脱力して世界に目を開く日が来るのだろうか。


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絹山絹子

Author:絹山絹子
狸穴幼稚園の図書委員

kochairo@hotmail.com
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