2017-10

アストラル

仕事じゃなきゃ早起きもできる。

今日は二十年ぶりに帝釈天→美味い鰻を食う→矢切の渡し→江戸川散歩→里見公園の秋薔薇という王道ヘトヘトコースを進む。
秋風はからりとして、いくらでも歩けそうな気がした。



以前は考えすぎて鬱になっていたのだけど。
考えてぐるぐる巻きになると、ぐるぐるの先に何かしら思考回路が、そう異形の選民意識めいたものに変わり、これこれで自分はおかしいけれど、間違っていないとか、これも孤高にありうる論理だとか、平たく言うと自分で自分の落としどころを見つけ出し、その勝手な論理を文字に変えて書き連ね、嘔吐して終わる的な自浄作用が働いていたのだろうと推察する。

が、ここ最近は肉体だけでなく、脳の無気力化が進み、ぐるぐる巻きにならずに、フリーズしたまま沈んでゆく。
浮かぶ術が何もないので、最後の砦は、己を刹那化するしかなく、あるいは多忙にして沈んだ底なし沼の深さ、呼吸停止で見渡すヘドロの濁りをサングラスで見ないようにすることになってしまった。
これはたいそう厄介である。

人は年経るとこういう思考停止になって、何も関係のない事象を延々と無限オートリバース・レコーダーのごとくしゃべり続けるようになるのだろうか、あなおそろしやと思うのである。
そうするとますます僕はその恐怖を緘黙の一手で逃げざるをえなくなるのかもしれない。



たとえば奥泉光の「滝」「その言葉を」という短編が非常に美しいのは、猛烈な一文の長さが一因なのだけど、あれを別の言語に翻訳するとどんなに難しいだろうとか思う。
逆に、オカルト科学の某変人の一文の長さに辟易している僕もいる。
例えば次の二例、関係代名詞、that構文の入れ子構造が狂気じみていて、もはや笑うしかないと思う。
なんでこんなに無駄に長い後修飾が好きなんだろう、この時代の人たち。
あとnot ...but...構文、二重否定、好きすぎ問題とか。

And the answer which presents itself to those acquainted with occult science is, that it was absorbed into that higher and spiritual consciousness in which no sense of self and separation; into that state of freedom in which the spirit having expanded into infinitude of all-being, takes no notice of what takes place with the instrument which he uses when his attention becomes again directed to or absorbed by the material plane of existence.

These are fact; and if those who call themselves "the representatives of science " know nothing about it, they have to blame for that nothing but their own want of experience; nor does anybody ask them to believe in that which they do not know; all that the public has a right to expect is that they should not, with an air of authority, deny the possibility of such thing, but that they should first study the laws upon which such phenomena are based before pretending to be experts and judges therein.

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絹山絹子

Author:絹山絹子
狸穴幼稚園の図書委員

kochairo@hotmail.com
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