2017-11

イヴリィン

早めにいえば穏当に解決の道もみつかるのに、ぎりぎりまで隠し通す癖。
正義や正論が常に正しいと押し通す癖。
その場を切り抜けるために、過去の一切の罪を情で洗い流そうとする癖。
あるいは過去の記憶を激しい憎悪とともに胸に刻み付ける癖。
正攻法よりもはるかに狡猾で冷淡な復讐を試みる癖。
自尊心を無視して他人を自分の管理下に置こうとする癖。

そして、深い鬱。
激しい自尊心。
濃密な自己嫌悪と自家撞着。
さらに狂気。

これら相反する、一見同時には成立しえないと思われるものが
劇場的に共存しているのが、呪わしい僕の血族です。
お前などと似ているなどと認めたくはないのに、
その欠片が必ず誰かに入っている。
罵り合い、泣きわめき、物と心を破壊し続ける。
何十年たってもその繰り返しです。

僕が一切血というつながりを信じず、
いや極端に忌み嫌い
一切子孫を残しえないのもここにあります。

ここに事実はあっても、真実はありません。

**

カズオ・イシグロの熱血教室、録画からずいぶん経って観ました。
フィクションの、作家の存在意義はどこにあるのかを掘り進めていました。

人は、事実も言わないことも往々あり
事実をないがしろにした嘘の土台でようやく危うい均衡をとり
あるいはそのないがしろにした罪を問うたり問われたりして、紛争を極めています。

でもそこには真実はほぼありません。
フィクションの、あるごく一部の(ここを僕はむしろ強調したい)中にだけ
隠された真実が眠っています。
それをメタファーによって語る、気付かせることが作家の使命です。

僕はいまだに、一切人の心がわかりません。
直接会って話す人ですらまったくわかりません。
おそらく、僕の深い絶望や諦念が、とうに放棄をしているせいもあるでしょう。

ごく少ない人の声や気遣いは、受け入れがたいものとして
あるいは歪んだものとして届くために、
「過干渉」や「監視」といったものに変化していまうのです。
そう例えるなら、僕の芯は常に冷え冷えとしていて
灼熱する鉄が近づけば、爆発に近い水蒸気をあげて凍らせてしまわんとするに似る
といえばいいのでしょうか。
(僕自身の狂気もここに潜んでいます
多くの人は、無視を嫌い構われることを望んでいるのでしょうから)

この現実の世界にはないと思うものが
少なくとも僕にはごく一部の、ごく稀有なフィクションにだけ存在する
と信じているのです。
この僕の信条すら、何の真実でもないのでしょう、おそらく。
けれども、僕が諦めず、いつかもう一度過去に出会ったほんのわずかな
真実を語ってくれたフィクションにもう一度出合えるのではないかと思っていたことと
カズオ・イシグロの講義の主旋律は、ひどく共鳴しました。

漫画の中にも、ごく一部にそれは存在します。
おそらく通常の文学との比率でいえば差異はないでしょう。
でも多くのエンタテインメントの中には、僕は見出すことができないし
(もちろん、見出せる人もいるでしょうし、あるいは探す必要性を問うこともない)
古典に海外に向かう傾向もそこにある。

誰も同じ考えである必要など一切ない。
真実の捉え方も
あるいは、真実を求めるか否かにしても。

ただいつも言いたいのは、その考えを押し付けることが
僕にはひどく許しがたいということだけです。

**

その許しがたい境界線は個々人違い
たとえ知人であっても、当然ながら血縁者であっても
いわく不可侵の領域であるのです。

この領域侵害を認めないものが
いかなる罪業や情を超えて、僕を律しているものであるので
ひたすら、ひたすらに、
繰り返し、繰り返し
Leave me alone
そう叫んで不眠を重ねるしかないのです。

**

今日は話を聞き、熟考しました。
人は平気で自己を正当化するのだと
己の狂気には一切気づかぬこその狂気だとも思いました。

法律はよく知りませんが
よく親が子を勘当だと叫ぶように
もし法的に自己の血縁をなきものにできるなら、
どんなによかろうかと思います。
戸籍では抜けているけど、すべての過去の戸籍を塗りつぶす手段が欲しい。

ああそれで、
かつて死とともにテープに吹き込んだ声や映像が消えてしまうと思っていたのと同様
僕をこの世に現した糸が絶たれ、存在自体が消えてしまうのなら
それでも一切構わないのです。
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絹山絹子

Author:絹山絹子
狸穴幼稚園の図書委員

kochairo@hotmail.com
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