2017-10

涙は出ない

twitterを見ていると日々大量の訃報が流れてくる。
ついでに著名人の誕生日だの命日だのも流れてくる。
冥福だの合掌だのの言葉に、どこか鼻白む思いもする。
人それぞれの血肉が何から成っているかは分からないので
その言葉の軽重は問いかねるけれど。

先日、吉野朔実さんの訃報が流れた。
おそらく内田善美を越えて、清原なつのを越えて、僕の最も血肉となった人。
昨夜半、眠れず枕元の本の山を探って出てきたのは「恋愛的瞬間」だった。
この人には僕にはいずれ遠く遠く気づくであろうことと
永久に一人では気づき得ないことと、渡ってはならない淵の際を見せられてきた。

恋愛よりも、実は遥かに異性間の友情めいたもの
(友情と言いきるには難しい、一時期芽生える際どい結束のようなもの)
を描いていたと思うし、
彼女の描く草草のほとんど刃にしか見えない切っ先が見開き一杯に並んで読者を切り刻む時
僕たちは否応なく死にいざなわれ、同時に死することの滑稽さと無意味さとエゴを知った。

あるいは、セックスと生殖が一切つながりのないものだとも
性別に潜む、万華鏡のように己すら制御できない不確かな別の性があるのだとも
僕はずっとずっと「少年は荒野をめざす」で狩野に出逢って以来
そのコマの隙間から、台詞の空白から教えられてきたのだ。

狩野都や夏目らいちや菅埜透が
僕にとっての、永遠の憧れの子供たち、少年少女であって
永遠にその片鱗すら遺伝子に組み込むことが赦されない孤高の存在だった。

(だから、S女史が同姓同名の登場人物を小説で使ったことは
パスティーシュでもオマージュでもないと、今でも想っている)

「眠れる森」の林檎を食む狂女を妻にした医師の
あのまなざしを今夜は胸に抱いて眠ろう。
この作品を収録した「天使の声」のなかにたしか出てきたと思うが
画家は盲しい、音楽家は聾するように神は最も才に長けた部分を妬むといった科白があった。
嫉妬も羨望もすべて見越した高みに、その人は位置していて
(人は本来そんな位置には立ちがたいので、ある種のユートピアに終始するが)
本当に肉体ごと、雲の浮橋、欄干の果てにのぼっていったのだと思うことにした。

涙とは、気を済ませる行為なので、一滴も流れない。

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絹山絹子

Author:絹山絹子
狸穴幼稚園の図書委員

kochairo@hotmail.com
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