2017-05

眼球

美しいものをみて心を洗うのは誰もがおこなう浄化方法だ。
ただ人それぞれ「美」の極点があまりにも異なるだけ。
この世には秘められた美しさが無限にあり、表層的で一般化された記号のみでかりそめの満足を得ている人は、あまりにももったいないことをしているとしかいいようがない。

平塚市美術館に「画家の詩、詩人の絵」展をみにいく。
文字通り、画家の言葉と
(それらはあまりにも苦悩に満ちた青ざめた死の匂いに満ちた詩が多かった)
それらに呼応する絵が並んでいた。
学芸員さんの腕の見せ所、画家も詩人も既知の人がほとんどだったけど、作品はそうではなかった。

どんな絵が好きかと問われると、答えに窮する。
静物/風景/人物・・・○○派、▽▽主義とかは関係がない。
同じ作家でもすべてを肯定することもない。
比較的版画や大正末期から昭和初期には惹かれやすい要素が多いけど。
内省的な絵が好きだ。
あざといメッセージ性はいらない。
具象と夢幻のあわいから、恐ろしい緊迫の鼓動が聞こえたり、色彩と描線の滲みから沈みゆく憂愁の風が漂ったり。

今日の一番は香月泰男の「水浴」
なんて美しいビリジアン。
夏のプールの端のコンクリートに寄る三人の少年たち。
水面と夏の空気が濃縮されると毬藻をぶちまけた以上の輝くビリジアンに変わる。
熱気もはしゃぐ音もすべて色彩に飲みこまれて、凝固している。

こんな偽の画像じゃ伝わらない。
詩をもつ前に、言葉を持つ前に、何百倍もポエチックなのだから。

suiyoku.gif

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狸穴幼稚園の図書委員

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