2017-11

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懲りない孔雀たち

さあさあ、このお素敵なタイトルに惹かれた皆様。
グッと来ますでしょ。
読む前から乾隆帝がものした圓明園で繰り広げられたやもしれぬ爛熟の宴なぞ思い浮かべるでしょ。
ええ、確かにこれは中国人が生み出したお庭らしいのです。
女王様もお名前はクララと申しますが、どうやら中国の血を引く麗人らしいですわよ。

責苦の庭 (1984年) (フランス世紀末文学叢書〈5〉) 責苦の庭 (1984年) (フランス世紀末文学叢書〈5〉)
篠田 知和基 (1984/06)
国書刊行会
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いざと、扉を開いてみますと。
主人公がどうにもならない男でしてね、単純に言えば飽きっぽいと申しますか、学友であった前途有望な政治家殿にいくら要職を与えられても、ポーンと全部大事なところで捨てちまう輩なんです。
ですからいい加減イヤになった友達はですね、彼を発生学の権威として(大嘘)学術調査へ行ってこいと、左遷させるわけです。
船に揺られてドンブラコドンブラコ。
到着したのが、一体どこの国にあるのかも分からない広大な「庭」でありました。
そしてなぜか船に同行していたのが、クララ姫であったのです。

ここまでが、序章および第一部です。
そもそも牧神社版では、続く第二部しか訳出されておりませんでした。
しかしながら、「庭」に至るまでの経緯が第二部と等量に語られてはいても、読んだみなさんは、せいぜいが主人公がダメダメ君なのだなといった背後関係しか掴むことはできないでしょう。
結局は「世紀末叢書」にふさわしい横溢の限り、腐爛の限りを尽くして、読者の胃の腑をキリキリと締め上げるのはようよう第二部に至ってからなのです。

さてどんな麗しい欲望が手招きしてくれるのでしょうか…と思いきや。
こちらはどうもスプラッタ・ホラーの世界です。
快楽をここに見いだすのは、少々私などでは趣味趣向が厳しすぎます。
残虐、陰惨極まりない情景の中で、私たちが見いだすのは、近年喧しいハードSMといったものや、いわゆるバタイユ的な死を目前にした麻薬的恍惚=最高のエロチシズムという図式でもありません。
確かに表層的には、受刑者の肉体と精神は飢餓の極限に置かれ、完膚無きまでに生皮を剥がれるのですが。
むしろミルボーの意図した国家批判という、原始欲求とは明らかに対極にあるものに無理矢理に、そう腕の骨が折れ、血が噴き出しても、引きずられていくといった感があります。

ミルボーが本当に中国に心酔していたのかは分かりません。
むしろ「責苦の庭」と名付けられた鼻が曲がるほどの甘い薫り、有機体が最も腐敗するに適した温度と湿度が取り巻く楽園を生み出した「中国」というのは、フランスに対するアンチテーゼにすぎないという気がしてなりません。
むしろ「中国」ではなく、夢想の国名を配してもよかったのかもしれません。
あからさまな母国への絶望は、主人公の唇からこんな風に漏れ出します。
同時に、クララの愛国心も、同郷人を慈しめば慈しむほど、激しい加虐となって現れ、一面に漿液を吹き散らすのです。

中国人たちは比類のない庭師だ。不敬な技法と呪うべき交配によって植物の美を破壊する西洋の園芸家など足もとにも及ばない。西洋の園芸家などまったくの犯罪者だと言っていい。自然の生命の名のもとに彼らを厳罰に処する法律をなぜ早く制定しないのだろう。彼らを情容赦もなくギロチンにかけたらさぞすっきりするだろうと思われる。彼らとくらべたら、あの蒼ざめた人殺したちのほうがはるかにましである。なにしろ彼らは立派な社会的<<淘汰>>を行っているのだから。大抵のばあい彼らがねらうのは、醜悪で、けがらわしいブルジョワの老婆であり、人生に対するたえまない侮辱のような連中なのだ。それに対して我が国の造園家たちは恥しらずにも、単純な花の感動的で美しい魅力を破壊するばかりか、かよわい薔薇や、星のような花弁のクレマチスや、大空のような美しさの飛燕草や、紋章学のような謎をもったいちはつやつつましげなすみれに、年取った将軍や、厚顔無恥な政治家などの名前をつける。
(中略)
花が政治信条を代表し、選挙スローガンを流す役に使われる!神聖な事物に対するこれほどの冒涜、これほどの罪に匹敵する精神の愚行や堕落がほかにあるだろうか?魂が欠如した人間が花に対して憎しみを覚えることが可能であるとするなら、ヨーロッパの庭師、とりわけフランスの庭師こそ、この信じられないような涜聖の逆説を証明するものにほかならない!
それに対して、完璧な芸術家であり、巧みな詩人である中国人は花に対する愛情と敬虔な信仰とを大切に保っている。それこそ中国の頽廃の中にあっても生き残っている昔ながらの伝統のもっとも貴重なもののひとつなのだ。そしてそれぞれを区別する必要から、彼らは花に優雅な比喩や、夢のイメージや、われわれの心の中で花によってよびおこされる優しい喜びや激しい陶酔の感覚を永続させ、調和させるような純粋さと快楽の名前を与える。
――第二部 182-184P




クララが狂乱的に発言を右往左往させるのはいいとしても、主人公の意識が霞の中で揺れるヤジロベエ状態にあるのには、非常にイライラとさせられるはずです。
結局はプロットが杜撰だという感が拭えないのですが、一方でこの作品の愉悦点は集中型のイメージにあるかもしれません。
おそらく読み返してみたところで、この庭がどの地にあるのか想像する材料は一切ないでしょうし、また建築構造的に庭の俯瞰図を描くことも出来ないでしょう。
ただ私たちは、花や鳥といった美しく淫らな神が気まぐれに粘土で生み出してしまった、嘔吐を促す造形物をサイケデリックに着色されたバスの窓から眺めていれば、感覚器がトロトロに溶けていく残像に包まれるといった具合でしょうか。

孔雀は図々しいくせにびくびくと首をのばし、赤い砂の上に紋の出た尾をみごとに引きずりながらついてきた。中にはビロードのように純白のものもいた。その白い胸には血のしみがついていた。残忍な顔つきの顔の上には扇の形の大きな冠毛がついていて、その冠毛の一本一本の細くびんと立った羽根の先には薔薇色のクリスタルのしずくがゆらめきながらとまっていた。
そこからは鉄の机や用意の出来た拷問台や不吉な骨組が数を増した。巨大な御柳の蔭にはロココ風の肱かけ椅子があった。しかしその曲がった肱には鋸と釘がかたまって植わっていた。その釘の一本には肉片がこびりついていた。クララは日傘の先でそっと巧みにそれを拾うと貪欲な孔雀たちに投げてやった。孔雀たちはそこに殺到して翼で叩きあい、くちばしでつつきあって肉を争った。しばらくのあいだは目もくらむような混乱、きらきら光る宝石のぶつかりあいだった。わたしは嫌悪も忘れてしばらくはそのすばらしい光景に見とれていた。あたりの木の上にはにじきじや、帝王雉や、金銀の象眼の鎧をつけたマレーシアの大きな軍鶏がとまって孔雀たちの争いを見守り、彼らの番を腹黒く待っていた。
――第二部 241-242P



ええ、庭園幻想というジャンルが存在するならば、確かにこの作品は加えられてしかるべきものであります。
けれども庭園SMもとい、庭園エロスというジャンルを求めるならば、むしろ初めに挙げた圓明園を扱う、中野美代子「カステリオーネの庭」を推薦しとうございます。
勿論これは、私が状況エロス、非接触型主従関係に激しく萌えるからなのですが。

十全の加虐を存分に堪能したクララは庭を後にして、気絶し空白の時を刻みます。
二度とは庭には行きたくないと叫びます。
けれども従者たちは皆、よくよく心得ているのです。
クララ様も、恐らくこの主体性のない主人公もまた、クララもうやめようよーと泣きながら何度も「庭」に訪れることになるのです。

だから、この人たちってば、ほんとに懲りないねということで。
この輪廻、閉じた円環の中で永遠に互いを殺め合う術も持たぬまま「観察」に徹する姿こそ、世紀末の名にふさわしいのかもしれません。

カスティリオーネの庭 カスティリオーネの庭
中野 美代子 (1997/09)
文藝春秋
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