2017-08

ゆーかり

中学校の同窓会、ユーカリ会から会誌が届く。
僕の通った学校は、当時は神戸大学教育学部附属明石中学校というながーい名だった。
その頃は幼・小・中だけだったのが、今はもう一つの住吉と合併して中高一貫校になった。
この春、ついに明石校舎は閉校したと会報に書かれている。

地元の小学校に通っていた僕は、
6年間変わり映えのしない面子(50人しかいないので、超顔見知り)と更に三年同じ教室にいるのがしんどくて、
さらに小学校に隣り合う地元の中学の荒みっぷりがいやで、
編入で明石の附属まで通うことにしたのだった。

昭和50年代後半の中学はどこも荒れていた。
怖いというより、そういう世界が面倒くさくて、というのが生意気な僕の気持ちだった。
で通った付属校は、非常にほのぼので、自由で、変な学校だった。
生徒はいわば教育実習生のための、教育モデルのための実験動物なので、加えてそうなることを快く引き受けている人が多いので、喧嘩やいじめとかほとんど見当たらなかった。
みんなが同じに考えていたわけではないはずだけど、妙に大人ぶって寛容で物分りのいい子供が多かったように思う。
後に僕自身が別の大阪の付属校で五週間教育実習をした時も、こんな子供だけなら先生は随分楽にちがいないと思ったのもむべなるかな。

教室に先生が来るのではなく、生徒が教科ごとに毎時間移動するシステム。
木曜は三時間目以降夕方までが自由研究。
四月にテーマと指導教官を決めて、秋の文化祭発表まで、好きなテーマで研究ができる。
いわば大学のゼミみたいなもの。
グループを組んでもいいし、単独行動もいい。
二年生の時は、古い緞帳を身体に巻いて、「ベニスの商人」のポーシャをやった。
三年生では指人形で「ブレーメンの音楽隊」をやって、幼稚舎まで遠征公演もした。
夏の臨海・林間学校、奈良飛鳥の自転車旅行、五泊六日の九州修学旅行。
みんな楽しかったな。
なんだか中学時代は時間が溢れるほどあって、本も一日一冊読んで、途中下車して須磨の海岸歩いても、のんびりのほほんとしていた。

次の高校生活が部活も学業も、行事もみんな笑っちゃうほど厳しかったので。
もう軍隊そのものの。
あの中学時代の暢気な感覚はどうして生まれていたのか、今でも不思議なくらいだ。

校舎はマンションみたく画一の面白みのない建築だったけど、
解体されるなら、もう一度、校舎をみてみたい気もする。
30年前のこと色々思い出した夜でした。

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絹山絹子

Author:絹山絹子
狸穴幼稚園の図書委員

kochairo@hotmail.com
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