2017-10

つかわしめ

言葉は恐ろしい
言葉に僕たちは使役されているのだ
と、常常感じるのは、
言葉というものが、枠の一種であるからだろう。

たとえば、{  } こんなマークで内包する枠。
たとえば、輪切りにした人参にぎゅっと押し付けて、桜の形に抜く行為。
いざとなれば風呂桶に風呂敷を突っ込んで、水だって運べます。
そういう、ある意味、緩やかな適度な枠、布、範囲に突っ込んで差し出されたものを、受け取った側が、開いて見たら、中身が実は変わっていた、というようなこと。
その落差に人は驚き、時に泣き、時に笑う。
というのも、受け取る側も、似て非なる枠を使って、鍵を差し込み結び目をほどくので、往々にして中身が変質させざるをえないんだ。

枠は認識と呼んでもいいけれど、
多くの人はこれを無意識に使って、ガッコンガッコン型抜きしては桜吹雪を散らしてるつもりで、相手はみぞれどしゃぶりってことにもなっている。
でも散らした側も、濡らされた側も、鈍感なので、少しおやおやと首を傾げる程度になる。
が、この無意識ほど恐ろしいものはない。

さて、俺が使役する側になってやらあ、と意気込んでみたところで、一般人の器では到底無理なのである。
せいぜい、一個でも言葉を覚えてあげましょう。
一語書く前に、口から出す前に、それが適切なのか知りましょう。
特に、不相応なその言葉、とても下品に響きますというのに神経立てましょう。

でも、かの戦前の本当に言葉をよく知る人たちですら
たとえば、谷崎とか、日夏とか、
つまりは、型抜きを沢山持っていて、使い分けていた人たちだって、
ああ、この微妙な味わいを、いかに表すべきであろうかと、思い悩んでいたに違いない。
枠を知れば知るほど、己がツカワシメのような気分に陥ったかもしれない。

それに、使役の呪縛を逃れるには、
もう一つ、詩神を召喚するっていう魔法もあるらしいですよ。
枠の曖昧さに怖気づくよりも、メタファアが内側から言葉を制する。
若草の萌える頃、人は一度は、そんな力でもって、隷属の恐怖から解放されるような気もするのです。

**

と、僕は毎日、こういう益体もないことを考えている。
そのこころは、
下品撲滅運動なんだけどね。
いつか、僕の枠の「下品」とは何か説明したいと思う。


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Author:絹山絹子
狸穴幼稚園の図書委員

kochairo@hotmail.com
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