2017-07

きれいなもの

心が疲れているときは綺麗なものが見たくなる。
それはありふれた心理浄化作戦だ。

ということで、下町とは呼ばない旧貧民窟な吾が東京市深川区から都バスに乗れば
永代橋を越え、兜町、日本橋、そして丸の内に到着。
江東区は今も場末感があり家賃安いわりに、都心へのアクセス抜群なので
暮らしやすい街ですよ。
まずは、オアゾ丸善四階で「米倉斉加年 憂世絵展」へ。
角川文庫「ドグラ・マグラ」の表紙といえばわかりやすいかも。
売れない俳優時代糊口をしのぐために絵筆をとって、
仲間からは気味悪い絵だと評されたが、宇野重吉氏には誉められたエピソードが貼られていた。

ukiyoe.jpg

虹色の紐を纏う女性像もよかったが、
やはり目の焦点を失った狂女の姿がことさら美しい。
余白の白を存分に使った作品が多い中、
入口付近にあったグラバーの息子と題された碧の眼の異国の男性像は、重い闇に顔が浮かび、視線が渦を描くようで、不気味で美しかった。
本当はもっとエログロ要素のたかい作品があったら嬉しかったのだけど、
丸善だとこの辺が限界でしょうか。

平日なので人も少ないので本当はもっとゆっくり見たかったし
絵葉書や色紙なら手に入れることも出来たけれど
普通の画廊の展覧会とは異なって、店員がまとわりついてくる。
そして、妖しさを封じた幼い恋人たちを描いた作品について
「これが息子さんの結婚式のためにかかれた……」とかなんとかしつこく云ってくる。
米倉作品に惹かれる人の多くは、そんな日常を欲していないだろう。
結局、振り切るように洋書コーナーへと逃げ出した僕だった。

画廊は絵を売る場所である。
予約の入った作品には赤や金の売約済のシールが貼られている。
いつもそのシールを眺めては、この子達が巣立つ家を思い浮かべる。
大事に愛でてもらえるのだろうかと。
売買という経済サイクルが成り立たねばいけないのは重々承知だけれど
僕個人でいえば、物を、特に逸品を個人が蔵する責任を果たすことは出来ないと
最近より強く思うようになってしまった。
管理という意味でも、愛でるという意味でも。
金額が出せるか否かではなく、死蔵し気を済ましてしまうことが恐ろしいのだ。

気を済ますって、時間を断裁するような行為だと思う。
勿論、済まさねば、動けなくなることも多いだろうけど。

**

その後東京駅ステーションギャラリーへ。
「東京駅100年の記憶展」も見てきました。
模型が沢山、特に圧巻だったのは、ボードではなく薄い木材で作られた三つの時代の東京駅周辺模型。
別々の建築科の学生さんたちが手がけたはずなのに、白木の美しさ、エッジのきいた統一感が素晴らしい。
それから複雑な駅の地下構造を見上げるように立体構成した模型も。
二階は、東京駅を描いた作品群。
松本竣介の絵が三枚も出展されていて、とても嬉しかった。

ちょっと悲しかったのは
辰野金吾先生のスケブが、ぞんざいに展示されていたこと。
大勢が立ち止まる入口直後の映像コーナーも端にあって、ゆっくり見られない。
他の展覧会の時はもっとその細かな可愛さが綺麗に配置されていたのに。
それと、パネルにすべき説明文が、ポスターマグネット留めで
裾がひらひら巻いていたこと。
あれは演出ではなく、手抜きだろうと思ってしまった。

最近、展覧会でも、ここの学芸員はどうなのよって思う展示がままあって
少々オカンムリな絹山でした。
まあ、観客の精神状態で作品は変容し、時に不十分な反射を戻すこともあるのですが
気分以前の部分も目に付いてしまう今日この頃であります。
スポンサーサイト

ゴミゴン «  | BLOG TOP |  » 三猿

プロフィール

絹山絹子

Author:絹山絹子
狸穴幼稚園の図書委員

kochairo@hotmail.com
Twitter account:@quinutax

最近の記事

FC2カウンター

カテゴリー

リンク

このブログをリンクに追加する

ブログ内検索

月別アーカイブ