2017-09

可愛い子には旅をさせ

昨晩は悶絶した。
というのも、アラートをかけていても滅多に引っかからない某銅版画家R氏の逸品が一週間前からオークションにでていて、ずっと見守り続けていたのに、最後の夜にすっかり失念して入浴してしまったのだ。
最後の最後に入札しようと思ってたのに。
金欠甚だしいけど、福澤さん二枚まで出しても!と意気込んでいたのに。

でもその他の種々チケットは続々と集合中。
本日いく予定の「レオナルド・ダ・ヴィンチ -天才の実像」から「澁澤龍彦展」「パルマ展」と…最近ノンビリモードにしているはずなのに、予定は目白押し。
ちなみに、日曜日は「夜明けまえ 日本写真開拓史1」に向かいました。
写美は規模は小さくても魅力的な展覧会が多くて、ここのところ一番お出かけしている場所ともいえます。
今回は名刺サイズでも際だった肖像写真、彩色風俗写真が一杯で。
彩色写真は、そのとってつけた色の風合いが、逆にノスタルジックで可愛くてしょうがない。
ちょっとホホウと思ったことは、恐らく写真技師というものが際立って稀であった時代に於いては、技師の名前がブランドとして成立していたのだと理解できたこと。
名刺サイズであれば裏側にきっちりと名前が印刷されていて、台詞に貼り付けられた場合には金箔押しで名前が刻まれている。
背筋が伸びた、自信たっぷりな雰囲気が微笑ましかったです。

やっぱり、なんとしても九月末の大事な日には、写真館に行こう。
無理矢理にでも引っ張っていこう。
できればスナップでは決して味わえない、あのぬったりとした銀粒子が語りかけてくるようなモノクロで撮ってもらえるようにおねだりしてみよう。

さて、ズンドコ杯の締め切りも目前なのですが(一週間前には読了しているんですが、副読本も併読して唸っている最中です。今回は、何も書けないじゃなくて喋りたいことが多すぎてまとまらないよー)、本日は岩波文庫月間5冊目ということで。
ちなみに、緑と赤を交互に出しているのは恣意的です。
白、青、黄も素氏は所有しているけど、ハードルが高いわね。
以前は岩波文庫の存在自体をハードルの高いものとか、鹿爪らしいとか考えていたのですけど、読めば読むほど面白くなってくる。
懐の深さと、結構ヤバイ話が転がってますぜダンナ、ということを実感している次第です。
思い起こせば、松岡正剛の「千夜千冊」にしても記念すべき第一回は緑の中谷宇吉郎の「雪」ですもん。
ちなみに我が家には「千夜千冊」の約1100夜分が、ちゃっかり両面カラーレーザーで打ち出され、背中にタイトルまで付けてファイリングされて並んでいる。
二年前のパラダイスな職場の時代にがふんがふん印刷しまくったのだ。
嗚呼、パラダイスな職場に行きたい!


カンディード 他五篇 カンディード 他五篇
ヴォルテール (2005/02)
岩波書店
この商品の詳細を見る


おバカちゃんの話である。
話全体が、プププなおバカに彩られている。

纏めていうなら―――
「三つ子の魂百まで」バカ!
「人の不幸は蜜の味」じゃなくて…「辛酸を集めてはやし大冒険」バカ!
「死んだはずだよお富さん」バカ!
「18世紀文学って、やっぱりあけすけでエッチね」バカ!

いやはや、だんだん読んでいる私もバカなのがよく分かってきます。
ちなみに以下、悉くけなしているように見えますが、あにはからんや、誉めてます、可愛がってます。

主人公カンディードは幼い頃にパンタグロス博士に植え付けられた「あらゆるものは善なり」の教えに忠実である。
実際忠実なんてものではない、己自身に、あるいは周囲の恋人や恩義ある人々にこれでもかと不幸が見舞われても、しくしく泣いていても、何かといえば、論客をみつけて、教えが正しいですよねと確認せずにはいられない。
肉体に与えられた傷み、経済的な陥落、精神的な打撲を負っても、少々ことが好転したならば、にっこり顔をあげて、「世界はすべて善として仕組まれてるんですよね」と言わずにはいられないおバカちゃんなのである。
それは、世界各地を当初は逃亡から、ついでは愛しいキュネゴンド姫を求めて荒々しく駆けめぐる間に、多種多様に差し出された宗教の一つと呼んでもおかしくはない。
異端者に下される裁きは、こと日本人などにとっては笑えてしまえるのだけど(実際笑うのがこの本の読み方なのだろうけど)本質をじっとみると、笑えない…けど笑う、この堂々巡りである。

で、「すべては善である」教の申し子は、ひとつの趣味があり、それが他人の不幸話の蒐集なのである。
つまりは「お前は一番不幸だっていうけど、みーんな苦労しまくってんだよ」と言われて、一度他人の不幸話を聞き始めると、もっともっと聞きたいと堪え性のない青年なのだ。
天真爛漫や純真は一歩間違えれば、他人を傷つける刃になるのだが、あるいは学習能力のない人間は愛想を尽かされるのが落ちなのだが、カンディードの場合、先に述べた鋼をも打ち砕く信条を掲げているがために、妙に憎めない奴になっているのである。
カンディードのバカさ加減においては、集めても集めて、どんな波瀾万丈も他人の論理も消化されないまま、腹の奥底ので眠っているので、彼にとって不幸話は「蜜の味」にならない。
むしろ、弾圧のために存在する必要のない一神教に守られた、物質的にも満たされた、「ありえないものの象徴」としてのエルドラドだけが、時折彼の胸を掻きむしるというのも、象徴的である。

話自体がおバカに彩られているというのを典型的に表しているのは、ゾンビの出現である。
墓場から腕を突き出して歩いてくるならまだいい。
いやはや主要な登場人物の大半が無惨に殺されたと思いきや、つぎつぎと蘇ってくるのである。
カンディードがその目で惨殺されるのを見た、あるいは自ら手にかけた人間までもが、かっはっは、傷が治ってなと現れるのである。
その強烈さは、魔法なんていうチンケな手腕に到底及ぶことができない、リアリズムの究極である。
そうシュールレアリズムと呼んでもおかしくないかもねえ。

諷刺というものが、一般に「ひねり」であるとするなら。
この作品は、パン生地をぎゅうぎゅう捻っているうちに、ぶちぶちにちぎれて四散してしまい、その発酵不十分な断片がべたべた顔についてしまって、大笑い、そんな感じに受け取りました。
非常にふざけた感想で申し訳ないんですが、楽しめることは請け合えます。
究極の脳天気弁士カンディードは、肉体をもって戦い、口吻をもって戦ってきた様々な周囲の人間に感心こそすれ、最後まで納得のいく答を得られません。
ついに自ら見つけた答とは、むしろ作者の全否定にちかい、全否定の裏側はあらゆるものをあるがままに受け取るべしという声となって聞こえてくるのですけど、いかがでしょうか。

一通り読むと、ほんの少し西洋の宗教史のお勉強になるのかもしれません(無理があるかな)。
でも私は何度訊いても覚えられない○○派という言葉が飛び出るたびに、巻末を捲り、なるほど~と頷いておりました。
基礎知識のある方には、ヴォルテールのイヤミな前歯が一層光って見えるのではないかと思います。

キャンディ キャンディ
テリー・サザーン、メイソン・ホッフェンバーグ 他 (2007/02)
角川書店
この商品の詳細を見る


最後に素氏に教わった豆知識。
私は映画版しか観たことがないのですけど(音楽が滅法よかった)、↑の元ネタなんですって。
変格はカンディード→カンディー→キャンディーと覚えるべし・笑。

※私が読んだのは、1956年発行吉村正一郎訳(絶版)の方で、「カンディード」しか収録されていません。
現行本は、全六編なのでお買い得だと思います。
でも吉村さんの解説は捨てがたいな。
スポンサーサイト

● COMMENT ●


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://quinutax.blog35.fc2.com/tb.php/52-53419333
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

一箱古本市 楽しかったんだよとっても «  | BLOG TOP |  » 一箱古本市に出品します

プロフィール

絹山絹子

Author:絹山絹子
狸穴幼稚園の図書委員

kochairo@hotmail.com
Twitter account:@quinutax

最近の記事

FC2カウンター

カテゴリー

リンク

このブログをリンクに追加する

ブログ内検索

月別アーカイブ