2017-10

叶わぬ願いこそ、すべての原点である

グラン・モーヌ グラン・モーヌ
アラン=フルニエ、Alain‐Fournier 他 (1998/12)
岩波書店
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寂しい話が好きだ。
絶望と隣り合わせで、ハリネズミみたいになっている人たちが好きだ。
絶望と言っても、どん底にはほど遠い、むしろ彼らの生来の「いたたまれなさ」からくる鳴動でざわめき立ってしまう、逃げ出したくてなってしまう人たちが好きだ。
日本人の書くものは、どうしてかやけに湿っぽくて困るのだけど、絹子が嘆息してやまない海外の作品たちは、みなからからに干からびて、頬打つ風に一滴の涙さえ浮かばないほどなのだ。

筋書きにはこう書かれていた。
「運命的な彷徨のすえに、不思議な屋敷で美しい令嬢イヴォンヌに出会うが、それは長い探索の旅のはじまりであった」
果たして、「彷徨」という言葉をここで我々は文字通り受け取っていいものか迷うに違いない。
我々はあまりにも精神の彷徨に疲れ果てているから、身を持って知る彷徨の何たるかを知らなさすぎるのだ。
おそらく、滅多に乗ることの叶わない蒸気機関車が最速を誇っていた時代、青年に満たない少年たちは、手綱を握りしめて馬車を初めて走らせるという強攻に出たとき、そして闇を迷い道を失い馬を失ったとき、ひたすらに歩く。
当たり前の行為。
歩き続け、歩き続け。
草原と樹影と、彼方に放牧された家畜たちと。
足は彷徨い、付随する肉体はへとへとに疲れ果て、見上げた先に闇に浮かび上がる城壁。
身を横たえ、周囲から浮かび上がってくる音は、彼への招待状だった。

グラン・モーヌと呼ばれた少年は、転校早々クラス中の畏怖を勝ち得た。
だが、彼は畏怖を求めていたわけではなかった。
まるで体だけが先に成長してしまった子供の中には、置き去りにされた心が指先、頭のてっぺんにまで広がる力を欲して叫んでいるようで、そのくせ叫ぶ力を静謐の中に押しとどめる奇妙な反作用にも打ち負かされて。
心が延びることができないなら、足が先へ先へと進んでいけばいいと思ったのだろうか。

グラン・モーヌは出会ってしまった。
カーニバルに。
たった三日間の、夢幻劇の狂騒に。
確かに彼は恋をした。
イヴォンヌに再び相見えることを求めて、すべてを賭けた。
けれども彼の人生を、足の裏に一箇所には二度と留まることを許さぬ傷みを残したのは、おそらくその「婚約(イヴォンヌの兄・フランツ)パーティ」という大義名分を負った子供たちの夢の時間だったのだ。
振り返れば、我々は大矢ちきや内田善美の作品の中で、金のモールに鏤められた、ある種恐ろしさを喚起するほどのお祭り騒ぎを眺めてきた。
この日本には相応しくない、過剰に華々しいそれでいてもの悲しいカーニバルに違和感を覚えたはずだ。
彼女たちが表したかったのは、異国の民がもしかしたら生涯に一度きりしか巡り合わせない「夢」の瞬間だったのかもしれないと、渦に巻き込まれながら思い至ったのだった。
この情景は、一種の建築幻想と捕らえることもできるかもしれない。
広大な敷地に点在する朽ち果てた城跡。
船で川を渡ってさえなお、新しい廃墟と背景に相応しく着飾った老若男女の歌声。
元々何かを探さねばならないのは、少年の摂理だけれども、多く人は「求める」ことを忘れてしまう。
けれども、グラン・モーヌは決定的な瞬間に出会ってしまったのだった。

そして、グラン・モーヌの終生の友であり、彼のためならばあらゆるものを守り、あらゆるものをつなぎ、最後にはすべての希望を投げ出してしまえた、主人公のスレル。
スレルはグラン・モーヌが遊星であるならば、ひたすらに楕円軌道の焦点として立ち尽くし続けている。
かつて二人は同じ屋根の下で数年を過ごし、再びあのお城に行きたいと願うグラン・モーヌの夢をスレルは自分の夢として共有した。
自らの眼で肌で知ることができなかった喜びを、スレル自身も求めるべき唯一のものとして探し続けた。
スレルはもっと喜びを分かち合いたかったはずだ。
たとえ城跡は石ころとして崩れ果てても、スレルはイヴォンヌを見つけだしてやったのだから。
けれども、スレルは何も求めない。
結婚から数日も経ぬうちに、フランツとの約束を守るため、彼の婚約者を捜す新たな旅に出てしまっても、イヴォンヌの側で彼女を支え守り続ける役目だけ全うした。
イヴォンヌが身罷り残された愛娘を守ることだけを誓いとした。

もしスレルが、グラン・モーヌの夢の最大の理解者から一歩足を踏み外したというならば、彼をフランツとの約束を守るように新たな約束を取り付けた事だろう。
それは一見残酷な裏切りにも思えるかもしれない。
けれども、残酷なのは、この物語に生じる偶然(例えば、フランツの婚約者とグラン・モーヌは一時恋仲になっていた)の連続であり、グラン・モーヌに見せつけた強烈な原始体験であるのだろう。
おそらくスレルには、イヴォンヌはかつてグラン・モーヌが求めた夢の少女ではないということが分かっていたのだ。
グラン・モーヌが求めたのは、二度と帰らぬ瞬間であり、スレルには彼が彷徨い続ける宿命を背負っていることを痛いほど分かっていたのだろうと思う。

みんな、みんな、悲しい。
悲しくて、悲しくて、全部きれいになる。

***

岩波文庫月間のこれは三冊目。
二冊目は↓でした。

影をなくした男 影をなくした男
シャミッソー (1985/03)
岩波書店
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こちらは寂しさは不十分ですけど、例えば、金貨を生み出す袋と交換してしまった「影」が変幻自在になって追いかけてくるところとか、もはや影を求める焦燥を失うほどの喜びとハイスピードで、世界を股にかける(まさに文字通り)靴を手に入れて闊歩する様など、読後感は爽やかでした。
寂しさがないと物足りないのは、絹子の性分なので、その辺りの減点はご容赦いただければと思います。
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