2017-10

選択の自由


隻眼の少女 (文春文庫)隻眼の少女 (文春文庫)
(2013/03/08)
麻耶 雄嵩

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もう何年も現代ミステリを読んでいなかった。
でも、この人の騙してくれる感覚が面白かったなという記憶で、新作を読んでみた。

素晴らしく精緻に練り上げられたプロット。
ミステリの基本を突き崩す、戦略的な解決。
女系三代、同じ名を継ぐ探偵と、被害者のシンクロナイズ。
読後振り返れば、初代の探偵が解決したというオリエント急行的事件の概要も、
非常に婉曲的に全体構造の鍵を示唆していて、
どこまでも、練りこまれた細工物を思わせた。

そう、きっと素晴らしいものであったのだろうと思う。
多くの人を愉しませるものであると思う。

でも僕は、自分の求めるところと違うところ進んでしまった
現代の小説全体に、再び溜息をつくことになった。

やはり、ここには心が一切なかった。
ミステリはエンターテインメントであれば、それでいいのかしら。
そもそも、漫画にすら娯楽性を求めていない、
むしろ奥深い絶望や孤独を求めているのだから、救いはない。
(これも誤解を生みやすいが、真の絶望はそうそうは描けない、陰惨とは非なるもの)

本作の語り手は、
母親を保険金目当てに父親に殺害された大学生。
そして事実を知った彼は、警察に訴える前に、父親を階段から突き落とした。
その絶望(と呼べるのか)をもって自死するために湯治場へ向かった人物であった。
しかしこの分厚い本の中には、
彼の本当の心は見抜かれていなかった、一切。
ただ、構造のための道具でしかなかった。
横溝張りの記号化された情景、人物たちが次々に消されていく。
記号は組み替えられ、
本来人間が複雑に持ちうる心情は放擲されて、
鮮やかに、まさしくプロットが宙返りをして結末の驚きが生まれる。

記号化しているのは、ミステリだけではない。
ほとんどの、80年代以降の小説はみんなこういう上面を撫でるばかりだ。
本当は、深い心を持ったミステリ、
例えばチェスタトンとかだって、あったのだよ、昔は。

もしかしたら、どこかにあるのかもしれないけれど
その余りに少ない確率に縋るより、
過去へ遡ってゆけば、僕は真実、心揺さぶられる人々に出会うことができる。

読書する時間は有限である。
だから、現代には本当にサヨナラする。
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Author:絹山絹子
狸穴幼稚園の図書委員

kochairo@hotmail.com
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