2018-07

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無の意味

為すことに意味があるのは、ほぼ蓋然性があるが
為さないことにも、半分くらいは意味がある。

沈黙は金とは、非常に正しいことだけれど、
沈黙が、拒絶を明言するとき、答えを生み出してしまう。

返答しないこと。
それが日常と化す。

一語一句、挨拶であれ手紙であれメールであれ呟きであれ。
発した瞬間に、己のものであった言葉は、主を失い、
矢印を正反対に向き変えて、こちらに向かってくる。
それらは、おそらく誰も気づかないはずの、
気づいていても恐ろしいほど鈍化されて社会に埋もれている
巨大な「嘘」となり、僕を殺し続ける。

嘔吐もひとつの明らかな拒絶である。
向かってくる、主を失った言葉、
本当にささいな一語に苛まれ続けることに
ほとほと嫌気が差している。
嫌気がさしたと擲てるなら、それでもよかろう。
けれど、実際には身動きがとれず、何日も嘔吐する。

ならば、答えは沈黙でしかありえない。
それを無視ととらえようと、無礼ととらえようと構わない。
悪意というよりも、防御であると明言できれば
力も湧くだろうが、本当はそんな容易なことではあるまい。

ただ、昔は、断絶のために、はっきりとサヨナラの言葉を叩きつけた僕は
それほど苛烈ではなくなって、
世の習いに従い、
「嘘」を重ねるくらいなら、唇を開かず、文字も書かない
とするに至ったというだけのことである。
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絹山絹子

Author:絹山絹子
狸穴幼稚園の図書委員

kochairo@hotmail.com
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