2017-10

J/Gの日記より2

冬に大活躍してくれた洋梨酵母。
しばらく冷蔵庫で冬眠していましたが、
ふたたび起き上がり、白ブドウジュースを醸し始めました。

冬場はホットカーペット上で三週間くらい発酵に時間がかかったのですが
やはり気温が20℃を超えてくると、早い早い。
ぶっくぶっくと酸素を求めて泡が立っています。

ただこの時期は、カビが大敵なので、注意が必要。
本職の細胞培養からもいえることですが、
培養している本来の菌の強さで、かびるか否かが決まります。
酵母君ことセレビシエが、頑張ってくれることを祈る。

**

本日のジュリアンの観た一枚は
1930/6/30のギュスタヴ・クールベGustave Courbet "Le Sommeil" (1866)
「眠れる女たち」とか「まどろみ」と呼ばれる、大胆な裸婦像です。

800px-Courbet_Sleep.jpg

この時、ジュリアンは30歳。
(気分はまだ二十歳くらいだそうですが)
二日前にもドリュエ画廊という所に赴きクールベを眺めています。
そして、「気違いじみた考え」と思いつつも、「眠れる女たち」が欲しくてたまらなくなったよう。
大金を用意することも一瞬頭をよぎり、一枚の絵のために没落することもありかなと考えたようですが。
姉妹からは「こんな大胆な絵をサロンにかけるなんて」と非難されると、この絵を笑う奴は誰も家に入れない!とジュリアン、相当ムッしたようでした。

**

先日、日曜美術館で現在東京芸大美術館でやってる「夏目漱石の美術世界展」について
丹念に漱石の小説に出てくる絵画と地文の関係を解こうという試みをやっていました。
実際の絵と、朗読を組み合わせて、おなかいっぱいになる構成だなあと
おもしろく観ました。

漱石のようにがっつり小説の中に組み込むことはしないけど、
福永武彦やジュリアンの絵画をみつめる瞳って
より深層と呼応するエッセイや日記になって現われていて
もっと絵と文章を見比べたいなあと思わせられます。

**

「つみびと」は多田智満子・井上三朗の共訳だったせいなのか
それまで読んだものでは感じなかった日本語としての躓きを感じて。
ここ日記に到ると、もっと首を傾げることにも。
福永武彦によれば、ジュリアンの訳は、直訳調の方がいいんだよと。
中村真一郎によれば、普通の仏語感覚より描写が緻密で、長すぎるんだと。

ちなみに、ジュリアンはアメリカ人だけど、フランスで育ちフランスに根付いた人。
なにやら独特の癖があるようだけど、ぼくは全く仏語ができないし、検討もできない。

なので、和訳された日記でちょっと考える。
彼らしい孤独の溢れた内容です。
ちゃんと理解できると、もっともっと深く沁み込むのに。

ひとは知っているだろうか、自分のいないあらゆる通り、そこでは自分と知り合いになりたいと思っているかもしれない人々が自分を待っているのに、誰も来ないのを知って行ってしまうそんなあらゆる通りのことを絶望的に考えながら、ひとつの通りを歩いてゆく、その苦しみを?

1931/1/8 「日記1」57p



なんとなく掴めるようで、きちんと理解できない。
もしかしたら、こんな解釈なのかな。

自分がいない通りすべてで、自分と知り合いになりたいと願っている人が本当は自分を待っているというのに、彼は、今目の前に誰も自分を待ってなどいないということだけで絶望を感じ、その通りをひとりで進んでゆく。
ひとはこんな苦しみを知ってるだろうか。



うーん、ちょっと違うんだろうなあ。
ではこんな風に。

自分がいない通りすべてで、自分と知り合いになりたいと願っている人が本当は自分を待っているというのに、結果的に彼は誰とも知り合うことが出来ない。知り合いたがっていた人々は彼に会えず、そのままあらゆる通りから立ち去ってゆくのを感覚だけで離れている彼は感じながら、絶望し、そのまま通りをひとりで進んでゆく。
ひとはこんな苦しみを知ってるだろうか。



こっちの方が合ってるような気がする。

なんというか、
誤訳とかじゃなくてね、
こうやって、唸りつつ想像するために佇む時間も愛しいなあと思うのです。

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絹山絹子

Author:絹山絹子
狸穴幼稚園の図書委員

kochairo@hotmail.com
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