2017-09

J/Gの日記より1

ジュリアン・グリーンはパリに住んでいたのだから当然かもしれないけど
本当によく美術館に足を運んでいる。

公開を目論んだ日記の題材としては恰好で
(彼が決して無難を目指していなかったことは、日々の告白で明らかだが)
今なら、日記に出てくる絵がどんなものか大抵検索できそうだから、
彼が観て回ったものを題材にして、
新たに何かを書いてみるのもきっと面白いだろうなあと思う。

で、J/G日記に出てくる絵画を一枚ずつ紹介する
という作業はその方面に造詣の深い人にはもってこいと思うのだが
僕では、美学ヘボヘボが完全にばれちゃうのでねえ・笑。
絵を張るだけで赦して下さい。

絵に関しては、評論を読んだりするのが苦手です。
建築もそうですが、後年、学者のみなさんが決めた○○派とか…
いつまでたっても覚えられない~理解できない~。
もう大人だから、試験に出るから覚えろ!とかなくてよかった。
マニエリスムって、バロックって、なんやねん!です。

かわいいな、綺麗だな、ずきゅーんと来るな。
これだけでいいので。。

こんなどうでもいい話はさておき、今日の一枚は
1931.10.8にルーブルで彼が観た
リベラレ・ダ・ヴェローナLiberale da Veronaの『エウロペの誘惑』

europe.jpg

原注によれば、当時はフランチェスコ・ディ・ジョルジオ作と考えられていたとのこと。
ジュリアンはどんな風に感じていたのか。

このような絵を前にすると、ぼくは世界が消えるのを感じる。あるいはむしろわれわれの世界にもうひとつの世界がとって代わるのを。ほら、ぼくは難なく夢の国に入る。ぼくの知るかぎりでは、この種の奇蹟を完全に実現できるのは、ほとんどシエナ派しかない。フィレンツェ派の画家たちはわれわれをこの地上から離れさせない。むしろ彼らはわれわれを地上にひきとめる。
(中略)
葵色の砂の岸に、人の歩みはどんな足跡も残さない。牝鹿としゃこの類はあさみどりの水のほとりを歩いている。川のすぐ近くには、若い娘たちが花束の花さながらに押し合いながら、耳の上に編まれた冠を戴き、厳かに後肢で立った大きな白い牡牛を見守っている。エウロペは、金で縁取られた衣と赤い靴下を着けて、牛の首と銅との上に半身を横たえている。彼女は怖がってはいない。『善政』の壁画(註:アンブロージオ・ロレンツェッティ『善政と悪政』)の「平和」のように落ち着いている。
けれどもそれについて語って何になる?まるで音楽を言葉で表現しようとするようなものだ。
十五世紀のシエナ派はつねに、自らの時代のなかに追放されていると自ら感じている人々の故郷であるだろう。

ぼくはその絵から哀惜をもって離れた。眼は疲れ、心は少し重かった。
ぼくはわれわれがどこへ行くのか知らない。ぼくはわれわれがしていることの効用を理解していない。すべてがぼくには空しく、偽りに思われる。いくつかの絵、いくつかの音楽、そしていくつかの詩を除いては。
あらゆる可能な道によって、今日シエナ派の絵がぼくにかいま見させてくれた、あの失われた国をふたたび見出すこと。

1931/10/8 「日記1」p80(人文書院 小佐井伸二訳)



ジュリアンの日記は暗9/明1の割合です。
内省と苦悩の毎日です。
この頃は、ナチの影がすぐそこに近づいている。

今夜やりたかったのは、実は日記のまったく違う部分で。
もしかしたら、ジュリアンの和訳は凄く難しいのかなあという話とか、
もっと、共鳴する部分を色々取り上げたかったのですが。

なぜか、前フリで書いた、ちょいネタのみで力尽きる。
まあ、誰も待たないけど、まて次号!っことで。

ちなみに絵に関しては、説明できません。
シャコはどこにいるのかな。
ブログのカラムサイズ制限で大きい絵が張れないので
エウロペちゃん部分の拡大だけしておきます。

以前『黒死館逍遥』でも「ボスフォラス以東」という語彙に絡めて
エウロペちゃんについてやったなあとか思い出しつつ終る。

verona2.jpg

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