2017-05

緑の天鵞絨

G.K.チェスタトン著作集 8 ヴィクトリア朝の英文学G.K.チェスタトン著作集 8 ヴィクトリア朝の英文学
(1979/01)
G.K.チェスタトン

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もう全員と音信不通になってしまったが、当時その学科には12名の生徒がいた。
五週間の教育実習とか死にそうになってやりとげた記憶があるが、あまりにも四年間の記憶は薄い。
特に実質的な英語教育・英会話の授業が苦手で、一方現実世界では何の役にも立たないチョムスキーの音声学とか古典英語とかの授業が好きだった。
英文学は詩が中心で、ミルトンを専門にしていた先生に教わった気がする。
で、三年生の時にチョーサーを習ったのが、マロリーを専門にしていた野口俊一先生だ。

さっき野口先生のことを検索していて、雄松堂書店のHPの片隅に繰り広げられている高宮利行氏のエッセイで、野口先生が2011年に逝去されたことを知った。

僕たちは古めかしい円形の木の机に電話帳二冊分もある厚いペーパーバッグの「カンタベリー物語」を広げていた。
生半可な予習では、すぐに躓く。
知った単語予測でつなぎ合わせた訳文は、すぐに差し止められる。
「そんな意味が本当にありますか?辞書をひきなさい」
何度もその言葉が繰り返される。
思えば、一語一語にこれほど丹念に向き合った時間はその時だけだった。

むしろ先生は偏屈と僕たちの目に映ったはずだ。
気を緩められない緊張が毎週続き、辟易としていた者もいたはずだ。
しかし。
なぜか、本当になぜか。
特段、その同級生たちが奇人の類の属していた(いや一部はいたけど)とも思えなかったし、さして向学心に燃えていたようにも思えないし、中学教師を純粋に目指していた者も多かったし。
だから、12名中、5人もの学生が卒論の担当教官に野口先生を選んだ時は、お互い唖然としたのだった。

僕は本当に恥ずかしいほどに、
ろくでもない論文(いや、英語にもなっていないレポート以下かも)しか書けず、
今もそうだが、なにかというと統計的分類的に結論を導こうとする傾向が強くて、
英詩に現れた薔薇のイコノロジー的なことをまとめたけど。
ほんと噴飯ものも極まっていた。
今になると、何も調べておらず、ただただ薔薇を追いかけて、その詩人の背景や他の作品に触れることさえしなかった。

で、四年生のゼミ。
野口先生は歴代こんなに来たことのない学部生を相手にしてくださった。
それぞれの進捗状況や問題点の指摘は、三年生の時より苛烈だった。
でも、なぜかみんな文句は云わなかった。
なんとなく、先生の奇人ぶりを慕っていたのだと思う。

先生の服装は、いつも同じだった、夏も冬も。
いまだに他の人が着ているのを見たこともない。
緑の天鵞絨のスーツ。
ピアノの椅子の生地を思い浮かべてもらうと早いかな。
あれは坐りこんでくると剥げてくるけど、先生の肱の辺りも擦り切れていた。
小太りで、眼鏡で、頭はうすくなっていた。

各人の経過報告とチェックが終わり、おもむろに先生はお茶にしましょうと告げられる。
助教授室には洗面台があり、そこで水を汲んで、お湯を沸かし、みんなでお砂糖も何も入っていない紅茶を綺麗なカップで頂くのだ。
その時になって、先生が少し顔を緩める。
そしてイギリス時代の話などを少しされたりしたはずなのだが、内容はあまり覚えていない。

先に書いたとおり、教育実習は最大単位のメインイベントで、五週目にはビデオ撮影ありの、学部の先生や附属中学の大勢の先生の評点が加えられる纏めの授業発表会があった。
当時、僕たちは全て英語で授業しなくてはならなくて、四苦八苦。
自分もかつて中学の時そうだったが、実習生を手玉にとる生徒は非常に優しく、ろくでもない英語を聴きとり優等生回答を返してくれるのだ。
野口先生は、評点者ではなかった。
けれど、ゼミ生の中の一人は、先生の自宅の電話番号を調べて、見に来てほしいと告げたのだった。

先生はプライバシーに関わることは非常に敏感だった。
電話をしたことに、ものすごく怒られたと仲間は云っていた。
だから。
五人は野口先生はいらっしゃらないだろうと高を括っていた。

しかし、先生は登場していたのである。
実は僕自身は、「受動態」の説明のために「世界の愛の告白」なるものを書いた模造紙の前で完全にテンパっていた。
だから、あの緑の天鵞絨が廊下に蠢いていたかは分からない。
なぜ分かったかと云えば、後日のゼミで、すべての授業をちゃんと覗いたとおっしゃり、さらに講評までいただいたから。。

ロクでもない論文を提出し、最後のゼミの日だったと思う。
先生は僕たちに、進路を尋ねられた。
教師になるもの、会社にはいるもの、留学するもの、それぞれだった。
そんな中、僕は先生の質問にすべてノーで答えてしまった。
ああ。
その時、もう二度目のセンター試験を受けてはいたけど、二次試験はまだだったと思う。
それでも、ちゃんと自分はこうしたいんですと告げるべきだった。
さすがに、何を考えているのか、君は何もしないでこのまま進むのかという眼差しが、困ったような表情になって現れていた。
最後に僕たちは、いつものフニャっとしたお茶の時間を一番の思い出に、先生に紅茶を贈って辞した。

長い思い出話になったけど。
これまで僕は一度目の大学生活が、ちっとも面白くなかったと思っていたけれど。
今回、チェスタトンのヴィクトリア朝の英文学論を一気読みして、そうは云い切れなかったなと二十年経って理解した。
野口先生だけでなく、他の英文学の授業を思い返して、ああ受けていてよかったと思った。
何もわかっちゃいなかったけど、ここで取り上げられている作家や詩人たちの名前を知っていて、ほんの少しでもどんな作風か知っていて、そしてチェスタトンの物凄い解説と比喩と論理に大笑いできている。
こんなに面白い見方や、纏め方があったのかと息もつけない読書体験。

いや、自慢じゃないです、本当に。
根っこは無知なままなんです。
二十年前の、もう記憶の彼方の授業の端々が、卒論で書いた断片が、さらには中学校時代の読書まで、ぐわっと思い出されて、驚いただけなんです。
スインバーンも、ブラウニングも、ロセッテイ兄妹も、ブレイクも、イェイツも…。
みんな彼方でした。

いまお会いしても何も話せない事は変わりないけど、
野口先生にチェスタトンがこんなこと云ってますけど、どう思われます?とか聞いてみたくなる。
天鵞絨のすりきれた色を思いだし切なくなる。
チェスタトンみたいに、身長180cm体重100kgの巨躯ではなかったけれど、なんとなく思い出の中で風貌や性格が重なってしまうのだ。



もうちょっと色々この本の内容について書きたいので、また後日に持ち越します。
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Author:絹山絹子
狸穴幼稚園の図書委員

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