2017-06

不安を求める心

ようやく上巻読了。
ピアノや演劇が好きで、数学が得意だったアガサ。
プロポーズを沢山蹴って、婚約も破棄して一度目の結婚をしたところで終わる。

才女だったお姉ちゃんからホームズを教えてもらい、「黄色い部屋の秘密」について語り合う。
ポアロが生まれて、スタイルズ荘の原稿を出版社に送っても返送されてきていた時期。

女性上位、男女均等などという概念がまだなかった頃。
それでも、それは卑屈などではなく、高い誇りに裏打ちされて日々を疎まず生きていた女性が大勢いた時代。
そういう風俗や価値観をつぶさに見ていけるのが、とても面白かったりする。

この自伝を読んでいると、勝手に陰鬱になってばかりいる、自身に
元気とまではいかなくても、フラットくらいまで持ち上げろと
喝を入れたくなったりもする。

アガサが、今昔の女性像を比べているところをどうぞ。

わたしたちは恋愛を楽しみにして待っていたし、面倒をみてもらったり、はぐくみ慕われることを待ち望んでいた。またわたしたちにとって重大な事柄については自分の思うがままに行動し、同時に自分たちの夫の生涯、経歴、成功を自分たちの誇らしい義務として前へ押しだしたいと思っていた。わたしたちには元気づけの錠剤かまたは鎮静剤など必要なく、人生に信念と喜びを持っていた。
今の若い女の人たちにとっても人生は愉快なことなのかもしれないけれど、どうもそのようには見えない。しかし、今ちょうど思いついたことだが、彼女たちは陰気を楽しみ味わっているのかもしれない。いつも頭から押しひしごうとかかってくる、感情的な危機を楽しみ味わっているのかもしれない。彼女たちはまた心配事さえも味わい楽しんでいるのかもしれない。
わたしの同時代人たちはよく暮らしに困って、ほしいものの四分の一も手に入れることができずにいたものだった。なのに、どうしてわたしたちはあんなに多くの楽しみを持っていたのだろうか?今日ではなくなている、樹液が立ちのぼってくるような活気がわたしたちの身体の中にわき上がっていたのだろうか?
わたしたちはその活気を教育というもので窒息させてしまったか、切り捨ててしまい、そしてさらに悪いことには教育について心配している――心配事とは、いったいあなたにとって何なのか?

わたしたちは手に負えない始末の悪い花のようなものだ。雑草かもしれないが、ともあれわたしたちはみな旺盛に伸び育つ。舗道や敷石の割れ目や不都合な場所に猛烈な勢いで押し上がり、生命感にあふれ、生きていることを楽しみ、日光のもとへ突き出し、しまいに誰かが来て踏みつぶすまでつづく。しばらくは傷つき苦しんでいても、やがてはふたたび頭を持ち上げる。
今日では、ああ人生は(選抜性の)除草剤を適用されているように思われる――わたしたちには二度と頭を持ち上げるチャンスはない。世の中には”生きる資格のない”者がいるといわれる。
わたしたちのころは生きる資格なしという人は誰もいなかった。いったとしても、わたしたちは信じなかったろう。ただ人殺しだけが生きる資格がなかった。
今日では、殺人犯だけが生きる資格がないといってはいけない人間になっている。

『アガサ・クリスティー自伝』ハヤカワ文庫1995 乾信一郎訳 上巻238p

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絹山絹子

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狸穴幼稚園の図書委員

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