2017-08

帽子を忘れる話

某センセイが文章を書くのが面倒で
解説文をツラツラと項目箇条書きにしたり、図に纏めてしまうという話が
時々我が家で出てくるのだが。
僕は、ぱきっとした論理的な話がとても好きで
ではその昔その対極にあるようなモヤモヤっとした幻想に
なぜ惹かれたのかと云われると、
非常に答えるのが難しいのだが、
モヤモヤっとしていそうな腑に落ちない幻想にも、
実はパキっとしたものが隠されていて
それを、トンデモ科学とかオカルト趣味とか呼んでもいいのだろうが
むしろ、僕はその隠され方の妙というものに惹かれていたのではないかと考える。

ここ数年きづいたことは、
幻想と非常に大きく今はカテゴライズされるようになってしまった一連の芸術作品の中の半分くらいは、いやいや違うんですけどどう好みとかけ離れているのか、説明しがたいものがあるんですということであって
結果的に、幻想から足を遠のける結果となっていったのであった。

それはさておき、パキっとしたものは、僕にはとても美しいものに見える。
先日、不木の「指紋の謎」もささやかなそうした光を放っていて
その美しさをいかに素氏に説明しようとしても
ちょっと数字が並んでいるだけで、すべて角膜で反射し、網膜にも映らず
到底脳の俎板の上にも載せてもらえないことになってしまうので
こればかりは、キレイだなあと共感してもらえる人でないと難しい。

主語と述語が不一致であろうと
論旨が不明確であろうと
その語句の間を吹き抜ける風の一吹きで、すべてを感受できる人は
それはむしろ素晴らしいといえるのだろうが
僕の場合は、風では何の匂いも嗅ぎ取れない朴念仁となる。
パキパキっと明解にしてくれないと、体が痒くなってしまう。

コミケでここ数年、必ず購入しているサークルさんがいる。
「数学ガール」の同人誌を出している数寄屋さん
登場人物は同じだけど、毎回きっちり出題と解答へのアプローチが独自に組まれている。
数学は大好きだったけど、
たとえば予備校で、学校とは全く違った解法でときあかされる
公式に頼らない手品みたいな早技を綺麗だなあってぼーっっと感動だけしている
冴ない高校生のままの頭の僕には、本当は何も分かっていやしない。

でも、この同人誌で、確率を図形で解いてゆく技をずっとながめてゆくと
綺麗で綺麗で、心が澄んでゆくような気分になる。

いつだったか、マックで隣のおじいちゃんが煙草ふかしながら数学の問題解いていた光景を思い出す。
もし長らえることがあったなら、そういう非生産的な年寄りになりたい。

で、今回の問題の一問目は。

五回に一回帽子を忘れる癖のあるK君が
(これ、うちの素そっくりじゃないかというのが、寒いコミケ会場での笑い話。
僕もKだが、素もイニシャルKなのだ)
正月にA,B,Cの三軒を順に年始まわりをして、家に帰ったとき、帽子を忘れたことに気付いた。
さてK君が二軒目のB宅で帽子を忘れた確率は?



もうひとつ引合に出されているのが次の問題。

五回に一回帽子を忘れる癖のあるK君が
正月にA,B,Cの三軒を順に年始まわりをした。
さてK君が二軒目のB宅で帽子を忘れた確率は?



この二問の違いは、ただ「K君が忘れたことに気づくか気づかないか」だけなのに。
答が違ってくるという。
こうなってくると、パキっていうよりも、言葉の綾に踊らされるモヤモヤの世界のような気もする。
数式に取りかかる前に、日本語の裏側をくすぐられるような、
ちょっと困った気分になる。
でもそこは逃げないで、作者さんの図形に導かれると、
「忘れる」の反対には「忘れない」があって
「気づく」ことが起れば「忘れない」ことは起こらないという見落としてしまう条件が隠されていたことに、わっと気づかされる。

何が面白いのか、何が綺麗なのか。
僕の力量では説明できないことが余りにもこの世には多すぎるけれど
でも、あの混沌の会場の中で、
こういう本に出会えるととても幸せになるのでした。
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絹山絹子

Author:絹山絹子
狸穴幼稚園の図書委員

kochairo@hotmail.com
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