2017-04

暗殺の森

暗殺の森 [DVD]暗殺の森 [DVD]
(2012/06/23)
ジャン=ルイ・トランティニャン、ステファニア・サンドレッリ 他

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今日は「孤独な青年」の映画化「暗殺の森」を見せてもらう。
後半になって、前に見せてもらったことに気付いたが。
当時は理解できていなかったことも沢山あったようで
ほとんど初見に等しく楽しめた。

原作との相違点も結構あり、
そのまま科白自体巧みに使われている部分も多々あり
特に倒錯的なエロチックシーンは強調されて映像化されていたり。
なにより唸りたくなるほど、映像が綺麗だった。

個人的には、実家に帰ったマルチェーロが母親と一緒に精神病院にいる父を見舞うため
車に乗り込む寸前の、地面から撮られた枯葉が舞い上がるシーンが最高!

特に大事な相違点を少しメモしておこう。

・原作にはない盲目の友人の存在
彼によってマルチェーロは任務を負うことになったが、最後にはひどい仕打ちをしてこの友を裏切る。

・リーノとの再会シーン
マルチェーロが少年時代に殺害したはずの少年愛者の運転手は、
原作でもたしかに死んでいなかったことが、判明する。
でも「正常になりたい」と願い、
新たな罪を重ねることによって原罪(リーノ殺害)を消すという複雑な贖罪原理が、一気にかき消され、「正常でなくていい」と気づく根拠になったのが原作であった。
つまり、その意識改革がないと、かなりかっこ悪いどんでん返しだった原作。
でも、映画では、リーノを盲目の友人と同様に、公衆の面前で蔑み、
クワードリ教授暗殺の犯人に仕立てようとまでする。

・同志オルランドとの関係
映画では、マンガニエロっていう名前になってた!
(エロマンガ島か!スケベニンゲンか!笑)
それはさておき、原作では連絡も密にとり、
暗殺実行後も互いを気遣う良好な関係を気付いていたのに
映画では、マルチェーロは彼を途中から避け、与えられた銃を返そうとし、臆病なマルチェーロにほとほとあきれる役に割り振られている。

・母親の運転手を忌むシーン
堕落し廃墟と化した家で運転手の青年を愛人にした母親は原作そのままだが。
こっそりマンガニエロに彼を殴らせ、母親にはどこに行ったか知らないとすっとぼけるのは映画のみ。

・クワードリ夫妻暗殺シーン
原作では、元々マルチェーロには直接手を汚す使命は与えられていなかった。
事件後、二人の死体を写した写真を雑誌から切り抜くエピソードもあるくらい、
マルチェーロは落ち着いていた。
映画では、現場にいて、夫が刺殺され次に自分が殺されると知ったマリア(原作ではリーナ)が
泣き叫びながらマルチェーロのいる車の窓にしがみついても、撃つこともなくただ彼女の叫びを見つめ続けるだけ。

大まかに、以上5点の大きな相違点からいえるのは。
映画ではマルチェーロが、如何に臆病で卑怯な暗殺者であったかという人間像に変えられてしまっていること。
原作では、たしかに積極的に暗殺に加担はしなかったが、任務を完遂していた。
むしろ原題の「順応主義者」となるに至った過程、主義を貫くための異常な思考回路、冷徹な自己分析、最終的にはリーノの復活と、ファシスト政権崩壊によって自分の主義に区切りをつけるにいたる流れ。
そこに重点が置かれていた。

矮小でこずるい人間は、死ぬことすら許されない。
だから、ベルトルッチは最後までマルチェーロをダメ人間のまま生かしたと思われる。
でも原作では、空爆にあって妻子ともども死んでしまうのだよ。

あと、マリアがバレエの先生だとかも映画のみの設定で
DVDの表紙にもなってるマリアとジューリアのレズビアンちっくダンスも
映画では牧歌的な舞台設定だが、
原作では男装の麗人がいるボワット(キャバレーのようなものか?)に行くんだな。
むしろこの場面では二人のダンスシーンはそのままに
原作のいやらしい背景を映像化してもらいたかった。

でも、こういう相違点は非難ではなく。
総じて出ている俳優女優背景、みんな文句なく原作以上に原作にぴったりだったと思う。
じっくり比較しながら堪能できて、最高だった。
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絹山絹子

Author:絹山絹子
狸穴幼稚園の図書委員

kochairo@hotmail.com
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