2017-07

そうだよ、アントワーヌ

僕達いつも酒の肴に、変な(意味もなく奥深い)話をして盛り上がっています。
先日、ザビエルが日本に布教に来た意味だとか、
いかに日本という土地には宗教が根付かず、
彼らにとっては征服しがたい強敵であったか、
なんて話をしていました。

またこの間ぼんやりと就寝前に葛原妙子さんのことを考えていて
(なぜだか、誰かの人生をずっと頭で辿る夜がある)
死が間近に迫った時に、洗礼を受けたことを
(Sセンセイから聞いたエピソードなので定かではない)
それは、一人ぼっちで渡るのが怖いからだったのだろうかと思ったり。

僕自身が子供の頃教会学校に通っていて、思い描いていた宗教と
今、願いを叶えるだの、救いなどとは一切関係なく、
ただ傍らにあって蒲団の中や湯船の中で報告する、
己にとってだけのカミサマと名付けられた「空間」との違いなどを
ぼんやりと考え合わせてゆく。

なぜ「空間」と呼ぶのかといえば、
それは存在でもなく、次元をもつものでもなく、
他者と共有/共感できるものでもなく。
あるいは、全知全能でもなく、宇宙の摂理でもなく、運命の糸でもないから。
名付けようのない、頼るものでもなく、まして僕に何か語るものでもない。
そういう、可視不可視も不明なものを、僕は宗教とは呼ばないけれど、
いつも傍に感じていることだけは確かなのである。

黄色い本、三巻。

二巻でローザンヌに隠れていたジャックを父危篤という理由で連れ戻した、アントワーヌ兄さん。
ジャックは、相変わらずです。
革命集団に入って何やらこそこそと、彼曰く「とても幸福な時間」を過していると言いますが、相変わらずです。

ジャックは、バネです。
小さな箱に押し込められると、弾け飛び出るバネです。
でも、その弾力は意志によって磨かれた力ではなく、生来具わっていたもので、自分では制御不能の力です。
跳ね飛んで落ちた先で、どんな汚いこともやり遂げたといい、
これから先も決して僕は箱に収まることはないといいながら。
ぐずぐずと泣くのです。
泪を見せなくとも、ぐずぐず、ずっと泣き続けている弟なのです。

父さんは死にました。
尿毒症に陥り痙攣を繰り返し、四人がかりでベットに押し付けても一日中暴れて、叫び続けました。
だから、兄さんは、モルヒネを過剰投与して父さんを最期の舟に乗せてやったのです。

アントワーヌは、ジャックより10歳年上で、32歳になりました。
だからこうも二人は違うのか、いやいや、二人は全く異なるものです。
アントワーヌは、美しいほど揺らぎのない人になりました。
僕は僕でしかないことを、誰よりも知る人になりました。

アントワーヌの宗教を欲しない心。
そしてヴォカール神父の視座。

僕はほんの時折、読書によって味わう、涙が吹き出すような高揚をまた覚えることができたのです。
この数頁だけで、黄色い本は格段に素晴らしいものになりました。
これだから、「忘れられた名作劇場体験」はやめられません。


「いっぽう、《神》の仮定、これはぜんぜん不可能です!もし何か、いやおうなしにぼくに迫ってくる観念があるとしたら、それはたしかに、宇宙的な冷淡さ、とでもいうようなものでしょう!」
司祭は思わず飛び上がった。
「でもあなたがたのおっしゃる《科学》それ自体、けっきょくいやおうなしに至上律を認めるものではないでしょうか? (わたしはわざと、《神のおぼしめし》という、もっと的確な言葉を用いるのを避けますがね……) もし人にして、すべての現象に君臨し、しかもこの世のすべてのものにその痕跡のしめされている至高な知恵を否定するとしたら、またもし自然の中にあって、すべてがひとつの目的を持ち、すべてがひとつの調和をめざして造られていることを拒むとしたら、すべてはぜんぜんわからなくなってくるでしょう!」
「しかし……それもしかたがありますまい! われらにとって、宇宙はまったく不可解なんです。ぼくはそれを、ひとつの事実として認めています」
「その不可解なもの、それがすなわち神なのです!」
「ぼくにとってはしからずですな。ぼくはまだ、自分に不可解なことのすべてを《神》と呼ぶだけの誘惑に負けたためしがないんです

(略)
「それに」とアントワーヌは、あいかわらず微笑しながら言った。
「カトリック信者の大部分のものにとっては、神という観念は、《親切な》神、親しみのある個人的な神、といったような子供らしい観念に還元されています。つまり、われらおのおののうえにじっと目をそそぎ、われら微小なものの心の、そのほんのちょっとしたゆらぎさえもほろりとした心づかいで見ていてくれ、そしてわれらのおのおのが、たえず《主よ、われを導きたまえ……》とか、《主よ、何々させたまえ》とかいう祈りで、相談をかけることのできるような神なんです。神父さん、どうかぼくの言うことをわかってください。ぼくはけっして、口から出まかせの皮肉で、お気持ちを悪くさせようなどとは考えていないのですから。ただぼくには、宇宙の生命の、ほんの極微な所産たるわれらのひとりと(あるいはさらに、ほこりの中のほこりにすぎないこの地球、といってもいいでしょう)それと、他方、この大きな《全宇宙のおきて》たるところの神とのあいだに、ほんのわずかばかりの心理的関係、わずかばかりの問いかけと受け答えの関係さえも考えられずにいるんです! こうした神にたいして、何か人間的な感覚とか、父親たしいやさしさとか、同情のこころとか、どうして考えることができるでしょう? あるいはまた、秘跡の効能とか、祈祷とか――金をはらってしてもらう誰それのための、おミサとか、いま煉獄に送られているひとつの霊のための、おミサとか、どうして本気で受けとれましょう? ねえ、カトリック教のそうした儀式、そうした信仰、それと、そのへんの原始宗教、異教徒の献祭、未開の民が偶像の前にささげる供物などと、そこには事実上なんら本質的な相違がないのです!」

(略)

「それに、神父さん、ぼくの用いたいくつかの言葉については、どうか誤解なさらないでください。ぼく自身、こうした哲学方面のことを大胆に口にするだけの資格のないことを知っています。しかしぼくは、あくまで率直でありたいと思っています。ぼくは、《大いなる秩序》《宇宙のおきて》のことを口にしました……つまり、誰でもが言うようなことを言おうと思ってのことなのでした……実際において、そうした《秩序》は、これを信じるとおなじだけの理由で、これを疑うこともできるでしょう。現在ぼくの立っている立場からいって、一個の人間的動物たるぼくの目は荒れ狂う無数の力の大きな混乱を認めています。しかし、それらの力が、はたしてひとつの全般的法則――つまりそれらの力の外にあり、それらの力と独立している、ほかのひとつの法則にしたがっていると言えるでしょうか? それともなにか――さ、なんと言ったらいいでしょう?――内面的な法則、ひとつひとつの原子の中に存在し、そして、それらの力をして《個性的》ともいうような運命を遂行させる法則、すなわち外からそうした力をおさえることなく、それと一体になってしまうような法則、いわば、そうした力を元気づける法則とでもいったようなものにしたがっていると言えるでしょうか? ……そして、さまざまな現象のたわむれは、それははたしていかなる程度まで統一がとれているのでしょう? ぼくとしては、むしろひとつひとつの原因がほかの原因の結果であり、ひとつひとつの結果はほかの結果の原因であり、こうしてすべての原因は、無限にそれらの原因相互から生まれるものであると言いたいんです。どうしてむりやり《至上律》などを考え出す必要があるでしょう? つまり論理学的精神の誘惑ですな。無限にわたり、ひとつがひとつを産んでいくこうした無数の運動について、なにを苦しんでひとつの共通な方向を求めようなんてするのでしょう? ぼくは、たびたびこんなことを考えていました。つまりすべては、そこになんら目的がないかのように、なんら意味がないかのように、すぎ去っているだけだ、と」
 司祭は、黙ってアントワーヌをながめていた。だが、目を伏せると、氷のような微笑を浮かべて言った。
「なるほど、それ以下の考え方はなさそうですな」

(略)

「祈り?」とアントワーヌは、首をふりながら反対した。
「だって、そんなばかばかしい呼びかけ……いったい何に向ってするのです? なぞのような《秩序》に向ってとおっしゃいますか! 盲目な、口をきかない――冷然とした《秩序》に向ってとおっしゃいますか?」
「それはどうでもいいでしょう……その《ばかばかしい呼びかけ》ですな! わたしを信じていただきたい! たといあなたの考えておいでの仮の終局点がどこであろうと、また、さまざまな現象を立ちこえて、おりおりちらりとあなたのお目にうつる、その《秩序》なり《おきて》なりの不明瞭な観念がどうであろうと、そんなことはどうでもよろしい、あなたはそちらに向き直って、そしてお祈りをなさるのです! わたしの切なるお願いです、そうした孤独にとじこもるかわりに、どうかすべてを為してください! たといいまがいま、なんら感応の事実が見られず、単にうわべのひとり言にとどまるにしても、どうか《無限》に対する接触を忘れず、それと語るベき言葉を忘れないでいらっしゃってください!……はて知れぬこの暗黒、この没人格、この不可解な大きな《なぞ》、それがなんであろうとかまいません、ただただそれに祈るのです。《ばかばかしい呼びかけ》をおつづけください。いつかはおわかりになるでしょう。その呼びかけにたいしてこそ、とつぜん、心の中の沈黙が答え、やすらぎの奇跡が答えるのですから……」
 アントワーヌは、答えなかった。《絶対隔離……》と、アントワーヌは思った。

106-110p 第三巻「父の死」14節  山内義雄訳 




さあ、三巻後半はジャックの出番だね。
アントワーヌ、再登場願ってますよ。


↓ベルギー国営放送製作、360分TVドラマ。
だんだん見たくなってきた、
だんだん手が黄色く染まってきた。
下段右、髯のハンサムさんが、アントワーヌだろうな。

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