2017-09

tumi tumiki kuzure ru

「罪と罰」読了。
トーマス・マンの「魔の山」「ファウスト博士」一生に一作品、精魂籠めるに値する、身を捧ぐにふさわしい作品だったけど、これも捧げられるなら捧げてしまい話だった。
こんなに続けざまに、僕は命を削る本に出会っていいのか。
あるいは、もう残りがないのだから、こういう本にだけ出合い続ける甘美に興じるべきだろうか。
と逡巡する必要もない、問いで是非を問う。

ドストエフスキーは、策略家だな。
劇場型の人間だな。
プロットの巧緻さもさることながら、刺激の高いドラマで哲学をぶちやぶるな。

でも。
面白さと、裏腹に、ああ、これは、僕の探した絶望じゃなかったなと思った。
崖の淵においこまれ、犯罪の露見、恐喝と悪と善のコペルニクス的転回。
きれいだったな、鮮やかに醜いサーカス曲芸だったな。

だって、愛っていうんだもの。
許しと呼ぶんだもの。
この期に及んで、マリア様を、神の導きを、血のつながりを信じてしまうのだもの。
ラスコーリニコフは、復活の芽を摘まれることがないのだもの。

彼の絶望は、彼が人工的に生み出した
いわば、ここに居るくらいならば、地獄の汚穢の壷に突き落とせと甘えてねだる子供のそれだもの。
虚無を知らぬまま、復活の道を選ぶのだもの。
彼の「罰」は狂気に瀕した、【他者による】退路の破壊工作にすぎなかったのだから。
本当の絶望は、そんなものじゃないから。

素氏は一行も読んでいないのに、問いかける。
「罰」ってなにかを?
彼は苦しんだかもしれない、悪夢に追われたかもしれない。
でも、僕は甘っちょろいと思うさ。
それでも、最大の苦々しい彼の責苦は、死を放棄し、こんな世界で生きることを選択したことにあるのだろう。

本当なら、文フリで入手した西岡兄妹のこの本のように。
豚に食われてしまう無の破壊者たる素質/天賦を、ほんの僅かラスコーリニコフは
与えられていたというのに。

神の子供神の子供
(2010/11/30)
西岡兄妹

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6/17。
金曜日。
初めて絶叫する耳鳴りを抱いて職場を走り去る。
退勤時間も待てなくて逃げ去る。
いつも親しく鳴っている、高音のピーとも、砂嵐のザーとも、トンネルのワワワとも違う奴がやってきた。
あれは、黒い心臓と癒着した犬の吠えだ。
三人、フツーのひとが、後にいただけ。
本当に、、吐いてしまえれば、ずっとずっと楽だったのに。
心身症すら、羨ましいです。

6/18。
ブラックスワンを観る。
トーシューズのディテールだけ追いましょう。
硬い爪先で硝子を崩して、滑り止めとするんだ。
世界を踏みつけて、これから踊り子だけに与えられた不可能のポーズを可能にする音。
ざりざりざりって、とても綺麗に壊す音。
傷みって、小さいこそ、痛いのだと思う。
爪をはがす、サカムケを引きちぎる、それの方が何倍も刃より強力よ。

僕は無神経だろうか。
他人が無神経だと呪う資格などあるだろうか。
十字架は、きっと年経るごと、深くめりこんでゆくだろうか。

泣いて泣いて泣いて泣いて。
泣きつくして、土曜を締めくくる。

絶望して、もっと絶望して。
震災のあと、「人とのつながりを大切におもうようになりましたか」という質問に
何度もノーを返して。
ニヒリストは、何も動じないねと、五日前素氏と、笑いあって。
こころのなかでも、究極の個人主義者は、ちっとも変化が訪れないとつぶやき。

だから、もっともっと内側へ。


また明日から、絶望の物語を探して、僕は欧州を巡ろうと思う。

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絹山絹子

Author:絹山絹子
狸穴幼稚園の図書委員

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