2017-08

for prayers,for ironists

僕は元気です。
夏か冬に向けて、入力作業も少しずつ再開しています。

映画も二つ観にいきました。
展覧会もいきました。
気分の悪い画廊にもいきました。
本もいつもより多く読み終えました。
桜も満開になりました。
夢も血だらけで怖いものから、自分の笑い声で眼が覚めるものから、たくさんみました。
神戸の同級生からのメールも返信しました。

それでも停滞する気持ちは、
そこに理由を委ねようとする、甘えなのかどうなのか。
日々、アクティブに動き、日々、発信し、爪先がきゅっと上った幾人かの人たちに
敬意と感謝を。
彼らはむしろ何も出来ていないと歎くけれど、
無発信に沈み込む僕らより、、、、本当にありがとうって言いたい。

***

寺田寅彦『柿の種』から。
祈りと自戒に纏わる皮肉をこめて。

震災の火事の焼け跡の煙がまだ消えやらぬころ、黒焦げになった樹の幹に鉛丹色のかびのようなものが生え始めて、それが驚くべき速度で繁殖した。
樹という樹に生え広がって行った。
そうして、その丹色《にいろ》が、焔にあぶられた電車の架空線の電柱の赤さびの色や、焼け跡一面に散りばった煉瓦や、焼けた瓦の赤い色と映え合っていた。
道ばたに捨てられた握り飯にまでも、一面にこの赤かびが繁殖していた。
そうして、これが、あらゆる生命を焼き尽くされたと思われる焦土の上に、早くも盛り返して来る新しい生命の胚芽の先駆者であった。
三、四日たつと、焼けた芝生はもう青くなり、しゅろ竹や蘇鉄が芽を吹き、銀杏も細い若葉を吹き出した。
藤や桜は返り花をつけて、九月の末に春が帰って来た。
焦土の中に萌えいずる緑はうれしかった。
崩れ落ちた工場の廃墟に咲き出た、名も知らぬ雑草の花を見た時には思わず涙が出た。

大正十二年十一月 (岩波文庫 68p)




大震災の二日目に、火災がこの界隈までも及んで来る恐れがあるというので、ともかくも立ち退きの準備をしようとした。
その時に、二匹の飼い猫を、だれがいかにして連れて行くかが問題となった。
このごろ、ウェルズの「空中戦争」を読んだら、陸地と縁の切れたナイアガラのゴートアイランドに、ただ一人生き残った男が、敵軍の飛行機の破損したのを繕って、それで島を遁げ出す、その時に、島に迷って饑《う》えていた一匹の猫を哀れがっていっしょに連れて行く記事がある。
その後に、また同じ著者の「放たれた世界」を読んでいると、「原子爆弾」と称する恐るべき利器によって、オランダの海をささえる堤防が破壊され、国じゅう一面が海になる、その時、幸運にも一艘の船に乗り込んで命を助かる男がいて、それがやはり居合わせた一匹の迷い猫を連れて行く、という一くだりが、ほんの些細な挿話として点ぜられている。
この二つの挿話から、私は猫というものに対するこの著者の感情のすべてと、同時にまた、自然と人間に対するこの著者の情緒のすべてを完全に知り尽くすことができるような気がした。

昭和四年十一月 (岩波文庫 120p)

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絹山絹子

Author:絹山絹子
狸穴幼稚園の図書委員

kochairo@hotmail.com
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