2017-05

ドミノ倒し再び あるいはメランコリーへの喜劇の効用

第一回 ズンドコ杯争奪 読んでみやがれ!感想文の会
指定図書:『人妻と麦藁帽子』 ラビッシュ 梅田晴夫・訳 世界文学社 1948
推薦人:素天堂
感想担当:絹山絹子



最初にザンゲ。
こんなところでも遅刻魔です。
(私、合同誌の原稿、間に合ったためしがない)
数時間、日付ごまかしてます。


うーん、うーん。
読みやがれ!の裏側に、こんな魔物が潜んでいるとは。
読み終わった瞬間、負けを確信した。
だって、頭に浮かんだ感想が。
面白かったーー。
それがどうした?
だったのだもの。
こんな強烈な笑いの洪水を目の当たりにして、ただ濁流に飲まれてアーレーと叫んでいるわけにはいかないなんて。

本書の内容に反して、あくまで真面目一辺倒に語られる解説――「(前作の解説で)不当に落とされた地位から正当な地位に戻すために」持ち上げてしまった戯作者を「過当に引き上げられたかもしれない彼の戯曲の地位をもう一度正しいところに引きおろす」ために書かれた――に対抗する気にもなれないし。
(生真面目すぎて、若い梅田氏の若気の至りぶりが可愛いかったりしますがね)

困った。困ったなあ。
もう、いっそのことファディナール君(主人公)みたいに、「ピーヒャラドンドンドンときたもんだ!」って叫んで雲隠れしたい気分です。

そもそも私は「ああ、面白かった」と畳みの上に大の字に広がって、ご満悦になれる本をたとえ漫画であっても手に取ることが少ない。
というのも完全なメランコリー気質な人間にとっては、緊張を解きほぐす弛緩剤よりも、どこかしらで同じ匂いをもつ絶望にはまだ手の届かない憂い、共感できる憂いの棘の突き出た藪の中で膝を抱えている方が、安心してしまうからなのだ。
もう一ついえば、戯曲というものを読みつけない身にとっては、眼の裏の舞台で大人数が走り回り、歌い狂う騒々しさの初体験に、眼を回してしまった。

そこで、非常に姑息な逃げ口上だけど、『人妻と麦藁帽子』と対極的な戯曲『熱いトタン屋根の上の猫』(T・ウイリアムズ)も続けざまに読んでみた。
(対極的というよりも、戯曲という要素以外は、何の接点もない)
癌の告知をされぬまま偽りの検査結果に喜ぶ農園主と、彼の誕生日に集った二組の息子夫婦たち。
両親の愛情を全く得られなかった兄夫婦は相続の分け前を貰おうと狙い、弟夫婦はアルコール依存と同性愛な疑惑で眼を覆い耳を塞ぎたくなる罵詈雑言を浴びせあう。
嵐に飲まれながらも、妙に人心地つけるのは非常に内容が精神の根幹に根ざしているせいだろう。

構造的には、『猫』はたった一晩の出来事が三幕に濃縮され、『人妻』もまた婚礼の朝から夜更けにいたる一日が怒涛のごとく流れていく。両者は狭められた次元という類似点もみせつつも、両者はあまりに異なっている。
『人妻』は幸福すぎる、いわば善人たちのファンタジーな世界を描いている。
悩みが表面的であることは、観客にスピード感や突き抜けるような爽快感を与えるという点ではひとつの正当な答えなのだと思う。
また『猫』は洗練されすぎて、泥沼から足を抜け出すことのできない。
苛立ちと剥き出しの貪欲や欺瞞に朽ちて締めつけられていく。
リアルすぎて息苦しくなるうちに、首を絞められているうちに幻覚を見そうなほどだ。
そう、シュールレアリズムとは異なる、超現実な作品である。

あるいは、こんな視点からも両者の違いは歴然としているといえる。
戯曲という形式では、独白に特化することは難しいかもしれないが、『猫』では、おのおのが眼の前に立つ他者よりも、自分を相手に対話を続ける究極に近い形式をとっている。
一方の『人妻』では、他者が不可欠だ。
誰かの発した一言が、ちょっとした何気ない行動が、まるでサラスポンダサラスポンダと回されていく皿のように、展開の要因になっていく。

ああ、こんな横道へ逸れても、何の解決にもなりゃしませんね。
じゃあ『人妻』に焦点を絞って。

数多の登場人物は、困惑を繰り返しながらも、雪玉を巨大な雪崩へと変えていく。
まさに一つの麦藁帽子を求めて、玉はえいやっと婚礼の朝、坂を転がり始める。
そして雪玉を大きくしているのは、誰あろう帽子を追っている張本人、新郎のファディナール君のせいなのだ。
間抜けの真骨頂「ピーヒャラドンドンドン」(これって、今邦訳が出ても、こう訳すのだろうか・笑)を連発しながら進む彼の後姿は、まさに彼の本性を表している。

花婿ともあろうもの、ちょっと朝のお散歩の最中に馬がオイタをしでかして、ご婦人の麦藁帽子を食っちまったからって、麦藁帽子がないと家に帰れないと嘆くご婦人を匿ったりしたら、花嫁はムキーっと怒り出す可能性大。
彼女を隠そうとアタフタする君も君なんだ。
さらには、代わりの帽子を見つけてやろうと、行った帽子屋が昔の女の店で、彼女にも色目を使い出すなんてどういう料簡だ。
君の性格は、妙にルーズで、妙に生真面目で、手が焼けてしょうがない。
そう、一番の被害者で一番のお人よしの君は、花嫁の行列を引き連れて、あちらへこちらへと街中を練り歩く。
帽子はどこだーいってね。

さあ、さっさと片付けて結婚式を挙げたいと焦れば焦るほど、騒ぎは大きくなっていく。
ドミノは倒れる。
ばかばかしいほどに、倒れる。
最初の一枚は馬が倒したかもしれないけど、加速させたのは全く持って、君のせいなんだ。
『ボートの三人男』でも我々は四方八方に倒れてゆく勢いに圧倒されたけど、『人妻』のナンセンスな倒れ方には眼を瞠る。
さらに、これが一見無鉄砲な倒れ方をしていると思ったら大間違い。
大笑いしながら目まぐるしい転倒に度肝を抜かれ、真夜中を過ぎて終幕を迎えてふっと俯瞰すれば、ドミノの辿った道筋は、大きな大きな円を描き、コツンとファディナール君の後頭部を蹴飛ばして止まったことに気づくのだ。
そう、実はラビッシュによって周到に用意された結末は、大団円と呼ぶにふさわしい幕切れになっていた。

さてどうしてその美しい円環を、我々は野放図な倒れ方なんて中盤に感じてしまうのだろう。
勿論、ここには、名脇役たちが控えているからだ。
聞かれもしていないことを延々話し続ける耳の聞こえない叔父様しかり、植木鉢を抱えたまま移動するお人よしの花嫁の父しかり、汗を拭き吹き自分の世界に浸りこむ会計士しかり。
列に割り込みつつ、茶々を挟みつつ、意味のない道化(主人公の数十倍の)を演じているように見えて、自分と世界の間に南京錠をぶら下げた彼らは、ただの道化師ではなく、ひそかにキーワードを抱えながら、ドミノの列を伸ばす効果を果たしている。

たまにはね、こんな話で頭に釘を打ち込んでみるのも悪くない。
空いた穴から吹き込む風に、憂いの騎士達は右往左往しながら、自分が何に悩んでいたかなんて、すっかり忘れてしまうだろうから。
ただ気をつけるべきことは、鼻を少しばかりつまむこと。
性にあけすけで貞節には頑なな中世の泥臭さによって引き出された、幸福の一面性(これがラビッシュの欠点というべきでしょうか。とかく鬱な人々はこれがないと落ち着きませんからね)にそっと覆いをかけておけば、100%楽しめる。

腹の底からゲラゲラ笑って、幕が下りたら酒場に繰り出して、踊り明かせば、不眠症の彼や彼女も、この日ばかりはぐっすりと眠りにつく。
メランコリーには大いにカンフル剤になるだろう。
さらにはこの漫画的な展開を、実際に三次元の空間の中で、アタフタする彼らを眺めれば、その効果は一層大きくなるだろうと思う。

同時収録された『人間嫌いとオォヴェルニュ人』も「嘘のありがたみ」を酢昆布のように噛みながら眺めていると、いつの間にか広がった穴に落ちたご主人様の陰険さも、あっけらかんと構えた女中の可愛いずるさも、抱腹絶倒な帽子の飛び交いとは違った、一種ニマニマと人の人の悪い笑いを誘うに違いない。

もしかしたら、こうした素っ頓狂な登場人物が抱えた生真面目さが、ラビッシュ自身の奥底と通じているのかもしれない。

Un_chapeau_de_paille_d_Italie.jpgUn_chapeau_paille_2A.jpg


**********

感想文って難しいと今更ながらに、考え込んでしまった。
面白さを前面に押し出す、紹介文や販促とは全く意味が違うから。
それを読んで、何を感じ取ったかを書きなさいって、良し悪しをあげつらうことの一段上層にあることなんだなとつくづく感じました。

締め切り破った上に、感想の内容も今回は大敗。
ということで、第一回ズンドコ杯は素氏に贈られました。


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Author:絹山絹子
狸穴幼稚園の図書委員

kochairo@hotmail.com
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