2017-10

お化けなんていらない

先日、終業間際になって、隣の顕微鏡の前に座ったある医師と話をした。
二人で最近は病理解剖が減ったねという話題で。

病理解剖は、主に大学病院などでなくなった方に、病因の解明や治療法の探求のためにご遺族の同意を得て行うもの。
変死などで死因特定に行うのは、法医解剖、献体されたものを固定して学生の実習に用いる、主として体の仕組みを学ぶために行うのが系統解剖、他に伝染病などの特別措置時に行う、行政解剖っていうのもある。
減った原因は、遺族の同意を得にくくなっていることと、臨床と基礎系との連絡が悪くなっている…ぶっちゃけ、病理医が病理診断を出すのも遅けりゃ、臨床が結果を活かす機会も減っているから。

「先生ご自身は、解剖されたいと考えてますか」

「それはケースバイケースだけど、もし末期の癌なら腹水も数リットル貯留してるし、臓器が腐乱してるから、僕は掃除して欲しい。腐敗も遅くなるし、十キロ近く軽くなるし、死んでから言うのもおかしいけど、腐ったものを除いてもらったら、患者も楽になれると思う」

「へえ。それは、変わったっていうか、新鮮な考え方ですね」

「僕の習った教授は、そう言って、ご遺族に了解を得ていたよ。今じゃ、そんな勧め方しないと思うけど。医学の貢献になんていうより、ずっと分かりやすいし、プラクティカルでもあると思うけど」

「腹水って、ドレーンで引いたりしないんですか」

「腹水の中には栄養分が一杯入ってるから、簡単に抜くことはできない。衰弱が激しくなるからね。でも、最近は、腹水を大静脈に直接戻す方法もとられてて、そうすると患者さんは楽になる。勿論、全身に癌細胞を播種して、転移することが分かっていても、末期の患者さんには楽にしてあげることも大事でしょ」

就業時間を延長して、私はこの話に眼を輝かせて聞き入っていた。
本当のところ、私は彼のことがあんまり好きじゃなかったのだ。
いつも可笑しいと思うのは、自分が興味の対象が合致すると、例えば世間体というものをひっくり返してでも、観察を続けようとするきらいがあること。
例えば、二年前、自分は別居中の相手と一緒に、ただただ聴きたいがため、いそいそと法歯学の講演に出かけて、スライドに眼を輝かせていた。
そうした行為は他人から見れば、非常識で奇異に映ると分かっていても。
何かしらかのつまらぬ衝動や信条を、是が非にでも突き通そうとする。

さて、本題である。

吉屋信子集 生霊―文豪怪談傑作選 吉屋信子集 生霊―文豪怪談傑作選
吉屋 信子 (2006/09)
筑摩書房
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幻想や怪奇という表現方法には、実際にお化けも血糊も必要がなかったのだと、そんなものよりもずっと寒気を誘うものがあるのだと、吉屋信子は教えてくれた。
彼女の話がぞわぞわしながらも、魅力的で一気に読めてしまうのは、その語り口の妙にある。
この集成で私が最も魅かれた「冬雁」や「生死」という話のどこにも、不思議なことは起こらない。
主人公の思考回路の歪みが、僅かに一般人とずれている、ただそれだけのことであり、何故彼らがそういう回路を持つのかというのは、生来のものとしかいいようがなく、日常生活を続けるのに何の不具合も感じていないし、周囲の人間も彼らを異常だと思うこともない。
0.1ミリのずれで人生を淡々語り、どこかしらへと消えていく。
「生死」の霊魂不滅を信じきった主人公も面白いけど、「冬雁」のつうという女性が、興味の赴くままに、醒めるままに進んだ道行きを少しだけ辿ってみたい。
私が、0.3ミリのずれで現実で呼吸しているのも、曲げられないものを抱きかかえているのも、つうとおかしな共感を見せているなんていったら、だからこそ一層面白いといったら怒られてしまいそうだけど。

つうは蕎麦屋の長女に生まれた。
職人気質の父親と、母と妹、それに辰次という店員で店を切り盛りしていた。
つうは、子供のころから夢想癖が強い方で、店に置かれた一幅の広重の衝立を何時間も眺めては、巡礼する親子連れに見入っていた。
年頃になったつうを母親は父も亡くなった店の中で跡継ぎにと、辰次との婚姻を勧めるが、頑として聞き入れない。
辰次以外の他の誰でも嫁ぐといった彼女は、見合いをしてある一人暮らしの男の元にいく。
彼は家具も揃った立派な一軒家に住んでいたが、ただ一点、猛烈な吝嗇家だった。
二人の前妻もその徹底したケチっぷりに嫌気が差したのだろうが、つうはあまりの徹底振りに、まるで遊んでいるみたいな気分になって粗食に、無駄をなくすことに付き従った。
だがある日、実家から秋刀魚を貰って戻ってくると、良人の口元の動きが眼に留まる。
彼は朝から夕暮れまでずっと一粒のラッキョを口の中で転がしていて、それに気づいた彼女は急にぞーーっとして、蕎麦屋に戻ってしまった。
しばらくして、寺の庫裏に住む年下の美少年と恋仲になった。
けれどもある日、彼が顔を歪ませて、腹が下ったと告げたのが醜くて堪らなくなって、再び実家に戻った。
次は米問屋の女中に入ったが、隠居の妾同然だった。
ただご隠居は茶の道を毎日つうに教えて、彼女も習うのが楽しくてしょうがなかった。
姉が妾になったと口さがなくいう噂に耐え切れない妹は、縁を切りたいと罵る。
それでもつうはあっけらかんと、楽しさを伝えるだけだったが、戦争も長くなり米問屋も疎開することになって、つうは暇を出された。
再び蕎麦屋に戻ると、辰次が美貌のつうに襲い掛かってきたところを、妹が見つけ、二度と敷居を踏むなと追い出した。
戦火に包まれ、店も焼けてしまい、妹夫婦の消息も分からなくなった。
軍需工場の仲間に紀伊出身の女がいて、自分が子供のころに好きだった衝立の絵が、八十八箇所巡りのお遍路であることを知り、興味は巡礼に向かうようになった。
つうは器量を見込まれて、戦後、料理屋で住み込みの店員として働き始め、そこでも女将にたいそう気に入られていた。
ある晩、女将は奇妙な物音に目を覚まして廊下に出ると、ぎょっと腰を抜かしそうになった。
よくよく見ると、つうがようやく溜まった給金で、巡礼用の白装束一式が揃ったことが嬉しくて、真夜中に仲間が寝静まるのを見計らって身につけていたのだった。
女将は、つうの思いを叶えてやることにした。
旅費を渡してやるのに加えて、関西の知り合いの住所を教えて、ゆっくり奈良や京都も巡ってくればいいと送り出した。
その後、つうは二枚の絵葉書を女将に送ったが、二度と帰ってくることはなかった。
女将はつうがどこかで男と一緒になっているという声を激しく叱り飛ばして、あの子は二度と男と一緒になるわけはないと言った。

そう、ホラーというなら、視覚的にはつうがぬっと白装束で現れたところなんかを取り上げてもいいのだろうけど、本当はこの小説は別の薄気味悪さがある。もっと生理的に微妙な、はっきりと気味が悪いともいいきれない、心の奥底の産毛の一本をすっと撫でられたような感触がある。
平板に粗筋を流しただけでは感じ取れない、吉屋信子の筆致は、もう読んで味わってもらうしか説明のしようがないかもしれない。
まあ、最初の男が転がしたラッキョの実のように、味わってもらえるといいなと思う。

もう一つ、この集成から感じたことは、吉屋信子自身が戦火で焼け出されたのだろうという予測と、戦時下、あるいは戦後の混乱期の苦しい体験の中で、幻想に退避したといった浅はかな想像をよそに、あの混乱期にこそ幻想が生じるのだと思い切った短編を描ききった力だった。
特に焼失した家屋に突き刺さる夏の日差しは、何度描写されても乾ききって眼に突き刺さるし、復員兵や防空壕といった当時はありふれていたアイテムが、黄泉返りや異空間を招き寄せるにつれ、彼女の技巧に眼を瞠るのだ。
例えば、終戦を知らせたくないがために、蔵に閉じ込めた老婆を子供たちがお化けだと思い込んでしまったという「黄梅院様」の落ちでさえ、幽霊の正体見たり…以前に、老刀自を軟禁していた家族が淡々と語る言葉のほうが、ぞっとしてしまう。

※蛇足ですが。
もし吉屋信子といえば…の百合臭を求めるなら、あまり期待に添えないです。
強いていえば、「井戸の底」で井戸に落ちる女学生が嫉妬した友人二人の関係が、少し百合っぽいかも。
ついでに、吉屋信子って、伊藤人誉に似たところがあるなーと思うのは、私だけでしょうか。

※お待たせしている(待ってる人いるのか?)ズンドコ杯感想文。
明日、期日スレスレ滑り込み提出します!
そしたら、二週間ぐらい地中に潜り込みますよ。
やばいんだ、原稿が。
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● COMMENT ●

感想文が讀みたいな。

感想文アップ、おまちしてます(微笑)。
昨日本を探しに色々廻ったのですが
見つからず。。。
ですので、感想文で
未だ見ぬ本を夢想したいと思っております。
吉屋さんの本、いいですよね。
女性の多面性がいろいろ出てくる、
讀みにくいかもしれないけど慣れればハマる美しい文章。
私は田辺聖子が書いた吉屋の評伝も結構好きです。

なんとか

書けましたけど、非常に不甲斐ないです。
喜劇ってむずかしいです。
「人妻と麦藁帽子」はどうでしょうか…古書としてはめちゃくちゃ見つけにくいというわけではないみたいですが、店頭では難しいかもしれませんねえ。
素氏もネット検索で購入したらしいです。

吉屋さんの良さは今回読んで、初めて噛みしめました。
読みやすかったですよ、非常に。
一日で一気読みだったので。
小学生の時に有名どころを読んだだけだったので、百合な雰囲気しか覚えてなかったです。
じわじわくるあの感触なんて、子供にはわからないだろうなー。


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