2017-08

昨日聞いた事実に関連して、徒然に思うことを、思い出すことを書いておく。

***

個々人の思い出は、史実のほんのわずかな断片しか掠めていない。
また一個人の他者に対する印象は、出会った互いの年齢を含めて状況によって大きく変化する。
各人の抱く印象の集積が、脳に残される枠線であり、線の色として残る。

僕に残されたA/Bという肉親に対する印象は、
同じ血をもつ妹の描くA/Bと異なるのは、
年齢の差であり、思い出の違いであり、一緒に過ごす/過ごした時間の差であり、
そして受けとめる個人の感性の違いである。

まして、同じ血をもたない
(ここでは血の可否は問わない、ただ空間の共有時間が長いというだけの話)
他者が、いずこかの肉親に抱く印象は大きく異なっていてもおかしくはない。

***

骨を拾う。
僕はいまでも、あのバリバリと白磁の壺に押し込まれる音と感触をわすれない。
19歳の冬。
僕は、あの瞬間、実感した。
人は、どんな風に旅立っても、このようになると。
そして自ら命を絶つことを、ある程度まで愚かしいと、ある程度まで誓うことが出来た。

***

死によって、幾枚か、幾十枚かの免罪符を得ることができるのかもしれない。
けれども、いずれかにあっては、
先の免罪符を引きちぎってでも拭いきれない憎しみで、
死を与えようとする人がいてもおかしくはない。

***

人は辛い思いをしたからといって、成長できるわけではない。

ただ、冷え冷えと。
己の一部を己から切り離し、浮かべた中空から、
荒野とそこに歩く己の後ろ姿をただ透徹のきわみで眺める、
そんなドッペルゲンガーを得る程度のことも多いのだ。
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絹山絹子

Author:絹山絹子
狸穴幼稚園の図書委員

kochairo@hotmail.com
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