2017-10

退行

小学校の高学年から「りぼん」を買うようになった。
中学校もずっと「りぼん」派で、なぜか清原なつのが一番のお気に入りだった。
その作風ゆえ、りぼんの対象読者との年齢格差が生じ、「ぶ~け」に移籍する。
高校生になって、彼女を追いかける形で、ぼくも「ぶ~け」に乗り換えた。

その最初に買った号が。
「少年は荒野をめざす」の第二回掲載誌だった。
(残念ながら、僕は内田善美をほんの僅かの差でリアルタイムで見ることができていない)
もはや、清原なつのどころの話ではなかった。

高校生活の二年間と、この作品は確実な共時性をもって、僕を揺れ動かした。
高校生作家、狩野都は、今現在においても、永遠の憧れの少女である。
狩野のお父さんの周防さんは、今も憧れのお父さんである。
大事な友達の三角形の頂点、菅埜透くんは、今も憧れの友達である。
そして作家の日夏雄高さん(このミックス名前。。。笑)は、永遠の憧れの導き手である。
唯一今も昔も好きではないのは、カリノが好きになった、鏡の少年・黄味島陸くらいだろうか。

あのころ。
一ヶ月を待ちきれず、何度も何度も読み返し。
コミックになって纏まっても、読み返し。
そのせりふの一つ一つが、道すがら、頭を支配した。
当時、とても可愛い、聡明で、冷ややかな長い黒髪の少女が一番の友達だったので、
まるで、そばにカリノがいるような気がして、余計に現実の枠線を見失い混乱した。
カリノが陸と一緒に飛び降り自殺を図ろうとした号から、失敗に終わる次号までの一ヶ月
運命は死を彼らに落すべきか否かと、考え続けた。

あれから二十数年。
ずっと吉野朔実を追い続け、読み続けて今に至る。
切っ先が鈍くなったとか、そうはいえない。
複雑になった、残酷になったとも、いえない。
芯は現在の「period」でも貫き通されている。

神様は本を読まない神様は本を読まない
(2010/10/14)
吉野 朔実

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おそらく、僕はここ数年、創作の当事者に対する、ある種の幻想を捨ててしまったのだ。
当事者は、作品以外は見せるべきではないのだとつくづく思うようになった。
だから、今度の楽しみにしていたエッセイで、
日常、彼女に近しい友人の皆様が大挙して押し寄せるのを目にして、
また何かが崩れていくのを感じていた。

いまも僕は割れた鏡をもって嬉々と歩くカリノの姿をわすれていない、
日夏さんの抱える花束や家の間取りも忘れていない。
世に自己模倣の呪縛から逃げんと欲する多くの創作者にとって、
こんな風に退行し続ける読者は、きっと残酷であるだろう。

そういえば、このエッセイの中で。
本当に絵のうまい友達は、誰も漫画家にならなかった。
適当に器用で、こずるい人だけが、作家や漫画家になっている。
というような一節が、出てきて、僕はただただ、瞼を閉じた。

毎日、三歩すすんで、五歩さがる。

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絹山絹子

Author:絹山絹子
狸穴幼稚園の図書委員

kochairo@hotmail.com
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