繊細という名の視野の狭さに、息もつけない。
「作品は作者の手を離れた瞬間から、読者のものである」
という教えられた言葉を、昨日、人へのメールに使ってみた。
実感を一度も得たこともないというのに。
それじゃあ、こうした呟きさえ、公開した途端に私の手を離れたというのだろうか。
最近、綴ることが、綴ることしか主張のすべはないのに、みんな分からなくなってます。
物語って一体何を投影していたんだろう。
なので工作の夢をぼんやり描く。
来週、ここに行ってみたいな。
某所の「和色図鑑」という作品で間接的にお世話になった方が、参加されているみたい。
職人になりたい。
「死ぬって結構難しいよ」と妹が言いました。
婚約破棄を告げられぬ彼氏のために
相手の親や親戚を納得させるために、
ひいては結婚したいと願い続ける彼氏を諦めさせるために
最大かつ不可欠な理由づけとして、そういうふうに自分を追い込んだらしいです。
あのね。
昔から言われてるじゃない。
そして私達姉妹は、幼い頃から体験してきたじゃない。
気ちがいの家には、気ちがいがどんどん増えていくって。
だから早くそこから逃げなくちゃダメだって。
でも手を引っ張って一緒に逃げたり
シェルターを用意してあげることはできないよ。
血を憎む私には、どんなに大事でも、一人きりで走るのを待つだけ。
だから、「もし」があっても。
昔みた、彼女がライオンに食べられちゃう夢みたいに
一瞬の胸の重みで消えるかもしれない。
これは温度の問題じゃなく、思想の問題。
それにしても。
数少ない私の半径二メートル以内の人たちは
こうも同じように消滅の願いや方法を聞かせてくれるものだと。
そういうことはね。
そっと、そっと。
祠に棲んでる粘菌にでも語りかければいいのだよ。
個人主義
2006/09/13 01:42|日々の泡| Comment:(0)|Trackback:(0) |▲Top


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