2017-07

あなたなら本当のことを

最近、最後まで本を読むと逆に萎えてしまうので。
中途で感想書くようにしようかなと、さくさく頑張ってみる。
(前からその傾向強いけど)

平凡パンチの三島由紀夫 (新潮文庫)平凡パンチの三島由紀夫 (新潮文庫)
(2009/09/29)
椎根 和

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ミシマは僕にとって、非常に分かりやすい人だという印象が強い。
文章は平明で一点の濁りもなく、欲望も悪も清々しいまでに澄んで剥き出しだ。
何十年と磨かなくとも曇ることのないそのガラスは、景色の前に置かれても気づくことがなく、素通りしようとしてぶつかって初めて、瞠目する。
こういう人はそうはいない。
だから、ミシマはずっとひどくアンチロマンであり、アンチ幻想である。
たとえ彼がスタイルを生み出そうと肉体を文字以外に用いたとしても、僕の中では偶像にも宗主にもなりえず、まして誰かに似ることもない。

割腹自殺まで三年間、交遊を深めた平凡パンチの編集者であった著者の描き方からは、そうしたミシマの存在自体の、エネルギーの強い光度が感じられる。
生々しくも、あくまで「分かりやすい」人の姿が見られる。
こんなエピソードも大好きだ。

一九六六年の初夏、三島が徹夜の仕事を終え、ベッドに入ろうとした早朝六時頃に、一人の見知らぬ男が邸に乱入した。蒼白な顔の青年は、白亜の建物の頑丈な仏蘭西窓をガタガタいわせ、ガラスを破り、三島の書斎に入りこみ、百科事典の一冊を、ながめていた。そして、三島にむかって、「本当のことを話して下さい」と三度くり返して、かけつけた警官に、取りおさえられた。
 自分の作品の愛読者らしい文学青年がひきおこした椿事の感想をこう書いた。「その梅雨時の朝の薄い闇に、慄へながら立つてゐた青年の、極度に蒼ざめた顔を見たときに、私は自分の影がそこに立つてゐるやうな気がしたのである。(略)私はふだん、孤独すぎる人間に或る忌はしさを感じて、避けて通る傾きがあるけれども、私の作品を通じて、私の精霊は、日夜、孤独のありあまつた人々の住家を歴訪することをやめない。私はなるべくなら、明るい、快活な、冗談をよく言ふ人々の間で暮らして行きたいが、私の知らぬ私は、陰気な、古ぼけた背広を着た方面委員のやうに、暗い軒端々々を訪ねあるいてゐるらしいのだ。そこでは孤独が猖獗してゐる。(略)あいつは私の心から来たのである。私の観念の世界から来たのである」
椎根和『平凡パンチの三島由紀夫』(新潮文庫2009)40p


そういえば、この本を読んでいて感じたことがひとつ。
僕は自分が生まれた年をまたぐ学生運動の嵐にいつも強い憧れを抱いてきた。
存在はしてもいっかな触れることがなかった熱気に思いを馳せてきた。
けれど、先日放映された三谷幸喜の「わが家の歴史」でお勉強しました風に描かれたあの時代
シベリア抑留から戻ってきた元婚約者が戦後長く抱き続けた闘争
(いやドラマ自体は、大変愛らしい《家族幻想》であったのだけれど)
を俯瞰的に見ながら
あるいは、本書で三十歳前後の筆者がお祭り騒ぎを物見遊山で眺めに行った状況などを読んでみて、
ふと気付いた。

左思想には揺るぎなく惹かれ続ける。
けれど1960年代終わりから70年代初頭、国中の若者が「流行」として流れに身を委ねていたのだとしたら。
たとえ僕がタイムスリップできたとしても、熱に浮かされるどころか、冷え冷えと引いて行っただろうと。
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