2017-09

つまらないほどに

先週末の宇都宮行きの日記を書こうと思っていたのだけど。
機を逸しているうちに、素氏の風邪の気分だけもらって、週末ぐったり眠りまくっていました。
爆眠につぐ、爆眠。
眠りは浅いから、変な夢ばかり見る。

年末から一ヶ月、数冊本を読了したけど、面白い本の感想はまたも後回しにしよう。
何しろ、文句垂れの僕は、つまらなかった本の方が、書きやすいから。

まずは昨日買ったこれ。

二つの庭 (1949年) (新潮文庫)二つの庭 (1949年) (新潮文庫)
(1949)
宮本 百合子

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そうか、もう宮本百合子はとっくに絶版か。。。
いや、これは文句をいいたいわけじゃないんです。
僕が左なのは、好きな作家が多く左傾だからなのか、あるいは右でも左でも傾いていないことを忌む性質なのか。
高校生の頃、左右の区別もつかない頃、数年間完全に百合的に好きだった女の子が左だったからか。
(いまでも、right/leftがどっちが左右か、数十秒考えないと分からんのは、おいといて)
イデオロギー以前に、抑圧と熱気に今も無責任な憧れを抱いているからだろうと思う。

「二つの庭」は「伸子」の続編で。
どちらも彼女が戦後になってようやく作品を大衆に向かって書くことができるようになった自伝的小説。
前夫と別れて、露文学者の女史と同居しはじめたところから描かれています。
顕治さんは、まだ登場していません。

でも、この作品は、僕にはプロレタリア文学か否かということはほとんど関係なく。
ひたすらに息苦しいのですね。
経験による同調と、想像による同調の並奏で息ができない。
分かり合えない母娘の関係とか、家とか。
あるいは他人との距離の測りがたさとか。
辛くて辛くて、ますますウツに磨きをかけられるワックスのような役目をもつのだけど、
それでも読み進めてしまうのは、やはり「現在」の小説では決して味わえない細やかさがあることでしょうか。
同調/共感にも色々あって、孤独とか哀しみは説明しやすいし、薦めることもしやすいけど。
今回の場合は、もっと自虐的で。
敢えてとうに癒えた古傷の埋まった背中を差し出し、鞭打たせ、膿を噴出させ、
痛みよりもその饐えた匂いに、いやだいやだと、頸を振っている感覚?

いや、何が面白いんだと言われたら元も子もないけど。
使われる鞭の茨が、あんまり細い30Gの針みたいなんだもの、ほとんど癖になりそうな息苦しさです。
世の中、みんなお手軽に泣ける話とか、好んで読んでいるのかもしれないけど。
こういう、泣けない話の方が、いいんじゃないのかなあ。
伸子の弟の部屋に掲げられた、meditationっていう戒律の方が、ずっと心に響くんじゃないかなあ。
自分の家庭教師が、日に日に家庭を侵食し、母親と精神的に不倫関係にあり、母親はその恋愛を仮想として公に家族に表明している。。。って。
先に階段をのぼっても、いっかな、おかしくないのです。

***

逍遥10号で、英国のドイル以前の探偵小説前哨戦、あるいは長編を楽しむ素地として
ディケンズやコリンズを素氏は取り上げていた。
その流れから、なんとなく手に取ったのが、これ。
ちなみに僕は、「月長石」も「二都物語」も読んでません。

文豪ディケンズと倒錯の館 (新潮文庫)文豪ディケンズと倒錯の館 (新潮文庫)
(2001/10)
ウィリアム・J. パーマー

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素氏はオモロイと云ったけど、これかなーーり、こっぱずかしい小説です。
一瞬ミステリーかと思わせますが、とっくの昔に犯人は分かっていて、ひねりも何にもない冒険活劇です。

で、作者はどうやらディケンズ研究者、つまりはアカデミック畑の申し子。
ええ、ですから、コリンズ視点で刑事と一緒になって社会の闇を暴かんと、猛然と興味の鼻を全開に跳び回るディケンズのあれこれを一生懸命描写しています。
世紀の文豪として名を馳せたディケンズの関わる劇場の模様など、非常に微にいって丁寧に描かれています。
そう、パーマー先生は、自分の範囲で頑張っておけば、こんな恥ずかしいことにならなかったはずなんです。

何が、恥ずかしいか。
まず、ディケンズは娘を病で失い、その後本作のヒロインの少女と出会い、恋に落ちるのですが。
ディケンズの乙女チックぶりは極まっていて、結局無垢の少女は全く無垢でも処女でもなかったのに、
ひたすらに聖なる女性として、崇め続けているところ。
あるいは、コリンズがある事件で出会った娼婦と恋に落ちるのだけど、その無駄に長い堕落の描写。
極めつけは、このタイトルに出てくる「倒錯の館」

パーマー先生は。
お父さんの書斎に入ったら、引き出しの中にSM写真を見てどきどきした。。。
くらいまでいっていたら、まだ許されたのだけど。
おそらく、それ以下の、純情な、純朴な、、、今時探せないくらいの。
ニキビいっぱいの中学生が川原で犬の散歩をさせていたら、一度雨に濡れてくしゅくしゃに歪んで乾いた
泥のついた雑誌のグラビアページで、女性のフツーの水着姿をみつけてしまい、鼻血を出してしゃがみこんだクラスなの。

「倒錯」のなんたるかなんて、ちっとも分かっていない。
彼の中では、蝋燭と鞭なんだ。嗚呼。
淫猥が本当は精神から、状況から生み出されると知らない。
彼の中では、手垢のついた三文以下の官能小説を、わざわざ衝撃的なものとして、作中作として無意味な描写として並べなければならない。
と、途中で、何度引き裂きそうになったかしれません。
ま、そんな今時珍種にも匹敵する乙女作品を渇望する方は、挑戦してみてください。

***

ゾッキ王国として思いつく出版社はどこでしょう。
B印じゃない本を探すほうが、むしろ難しい出版社はどこでしょう。
僕の中では、青弓/三一/博品・・・・、そして沖積です。

で、去年名古屋で買った「愚者の飛行船」堀切直人(沖積社)。
アマゾンの検索でも、もう出てこないわ。
いや、結構期待していたのです、このタイトル。
タイトルだけは素晴らしいですけど、初出誌に「ユリイカ」が三編も入っているのに、なぜ青土からでないのか。
読んでみるとその理由がはっきり分かりました。
今まで単行本としては読んだことがなかったけど、雑誌に載ってる評論としては、フツーに感じていましたが。

文芸評論の一手法として、一つのイメージを中央に据え置くというのは、往々ありうること。
例えば、彼は本書で岡本かの子および大正期の高等遊民たちに、「水」のイメージを与えている。
あるいは、金子光晴に「飛行船」とか。
で、イメージを表現者自身の生い立ち、作品からの引用と繋ぎ合わせるだけでなく、この人は、過剰なイメージの物語化を図るわけです。
その比喩の洪水は、筆が乗れば乗るほど過剰になっていき、読者を置き去りにして、長文化が続く。
もうついていけません、ほんと。
イメージって、個々人の中にあるものであって、それに具象を与え続けると、読者は限定された範囲のせいで逆に「水」が涸れてしまうんですってば。
イメージに付随した物語は、時に得手勝手とも思えるほど、余計なイメージを取り上げられた作家に与えてしまう。

加えて、この人、無類のバロック好き。
本文でもバロック、バロックって喧しいけど。
実際この過剰な装飾に満ち満ちたイメージの横溢は、バロックのごてごて感そのものなのです。

最終章で、「イリュージョンコミック」と題して乱歩論を展開していますが。
本来の乱歩に辿り着くまでに、まずはバロックを延々と、続いて探偵小説発生の背景を述べています。
そう、この探偵小説発生と階級の話って、逍遥10号でも素氏が苦しみながら書いていた話ですな。
別に身内褒めする気はないし、実際初稿をズタズタにした僕ですから、多くは語りませんが。
ほぼ同じ論の展開にかかわらず、この本に書かれている潮流のなんたる冗長なことか。
あんまりなので、ちょこっと引用して、終わりにします。
ながーーーーーーーい!!!
ランポはどこやねーーん!!
話を想像でつくるなーー!

素氏の癖、畳語の応酬も真っ青、メタファーもイコンもおののいて引っ込んでしまいます。
ほんと文句はいくらでも飛び出す絹山でした。
次回こそは、楽しかった本の感想を書きます。

すでに述べたとおり、バロック文化の主役クラスは上流の有閑階級によってもっぱら独り占めにされていた。だが下層階級に属する民衆もまた、傍役ながら、この文化に一枚噛んでいたことを忘れてはなるまい。貴族たちは民衆をグロテスクな怪物扱いしていた節があるけれども、それでも彼らを自分たちの主催する祝祭の観衆としてすすんで招待する一方で、香具師、綱渡り師、奇術師、人形使い、道化といった大道芸人たちの年期の入ったみごとな芸を、祭りや芝居のなかに積極的に摂りいれることにつとめた。貴族たちがあくまで主導権をにぎっていたにもせよ、そこでは上流階級と下層階級とは、互いに各々の遊戯的文化を交流させ、浸透させ合っていたのである。
ところがここに、この両者の交歓風景を、祭りの渦中には加わらず、部屋の窓越しに、苦々しい思いでじっと眺めていた連中が、彼らと別個に存在した。それは脇目もふらず一心に勤労にはげむことによって、確実に力を蓄えつつあったブルジョワ階級の人たちである。黒い質素な衣服を身にまとったこの中産階級の者たちは、バロックの祝宴を、その無目的な濫費、派手好み、遊戯三昧、アイデンティティの徹底的な解体などの理由から、蛇蝎のごとく忌み嫌い、そこに加わって浮れ騒いでいる貴族や庶民を軽蔑し、憎悪した。彼らが創造しようと苦慮している世界は、バロック文化の浮華のような美しくはあるが不安定な世界とはおよそ正反対の、地にしっかり足のついた堅固で不動の世界、確乎としたアイデンティティに裏打ちされた誠実さと廉直さとを美徳とする平穏な世界であった。嘘言、ペテン、仮装、軽佻浮薄、移り気、不意打ちの趣味、堂々たるみせびらかしなどの、子供とバロック人とが共有する演戯的性格は、ブルジョワジーにとってもっとも許すべかざる悪徳にほかならなかったのだ。
200-201p



あ、そうそう。
ただ一点面白いと感じたのは、関東大震災の衝撃について。
戦前/戦中/戦後と価値観を区切る考え方よりも、ある意味一夜にして世界が瓦解した大震災のことを
僕はいままで深く考えたことがなかったのだけど。
元々お坊ちゃまだった虫ちゃんのことを考える上で、22歳の衝撃ってどんなのだったのか、もう一回見渡しみたい部分だと思いました。
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Author:絹山絹子
狸穴幼稚園の図書委員

kochairo@hotmail.com
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