2017-07

死体は夜飛んだ。

件の「平四郎危機一発」ですが。
第一回は、かなり面白かったです。
原案:双葉十三郎ってとこがすごいらしく、僕もどこかで聞いた名だと思ってたら、
あの分厚い映画評『ぼくの採点表』のヒトだったんですね。

いや、石坂浩二若すぎて、声しか今の面影がないような。
加えて、恐らくスタントマン使用していないので、もの凄く身軽な(ばくてんとか簡単にやってた)ことに、非常に驚きました。
第一回のタイトル「死体は夜飛ぶ」っていうのもカッコイイですが、
これが、屋上にあったアドバルーンのロープが死体の足に引っかかって、箱根大涌谷まで飛ぶんです。
発想がかなり面白いんですけど。
その一方で、死体交換が行われるのですが、この交換が一瞬、うわ、ミステリー!と視聴者を狂喜させておいて、すぐさま、全く無意味な交換であったことが露見。
まあ一時間枠で複雑な筋立てをするのは難しいでしょうけど、微妙に無駄なロマンスシーンなどもあり。
ついでに、合成丸出しの車運転シーンが、やたらに長く。
ええ、運転席の二人の背後に見える景色が、いくら60年代の国産車とはいえ、揺れすぎでしょ!と叫びたくなる程に、ふわふわ揺れる。

でも、ま、モノクロドラマ時代の探偵ものとしては、かなりいいんじゃないかと
(他に例も思いつかないくせに言いますが)
今週第2回も楽しみにしております。

***

就寝前のミステリーランド、2冊目。

ぐるぐる猿と歌う鳥 (ミステリーランド)ぐるぐる猿と歌う鳥 (ミステリーランド)
(2007/07/26)
加納 朋子

商品詳細を見る


今日はオペ開始が九時半だったので。
7時半には出勤せねばならず、必然的に夜更かし禁止!だったのですが。
ついつい全部読み切ってしまう。

加えて困った興奮が胸や頭を刺すので、読了後も寝つかれず。
いや、ワクワクの興奮だったら、きっと痛快な気分で眠れたでしょう。
今回の興奮は、いわば蒸し返しの、個人的針の筵的しろもので、大層参りました。

先に述べておきますが。
また前回の「カーの復讐」を引き合いに出すのも申し訳ないですが。
非常に忠実に、「子供とかつて子供だった大人のためのミステリ」という、
幾様にも捉えられながらも漠然とした、叶えるのが難しいお題を全て満たした出色の作品だと思います。
(つまり前回はこの真逆だといいたいらしい・笑)

探偵小説/冒険活劇といったものとは全く異なるもので。
子供が子供にとっての謎を解き、子供が大人に謎をしかけ、子供が大人から秘密を守る。
子供の結束を描きつつ、背景に黒い黒いものを投げ掛けてやまない。
また前半やモノローグ等で加えられていく幻(大人が、夢でも見たんでしょと片づけたがる)が、
最終的に、非常にせつない解答をもって、解き明かされる、重層化の物語です。

僕は、もう小中学生、いやもっと上の子供がいてもおかしくない年齢ですが。
当然のごとく、誰もいません。
そうやって誓いをもって行ってきたことは、このブログでも何度も書いてきたことなので、
あまり書きたくないのですけど。

僕は、子供時代、決して家族にも他人にも甘えたことがありませんでした。
甘えられなかったことを誰かのせいにするつもりは一切ありませんが、
今でも家族というもの、特に親子関係については、極めて懐疑的です。
親が各種の手だてで愛情を注ぐのは、別段不思議でもありません。
親は子供を作ることを自らの意志で選んだのですから。
けれど、子供は選べないので、本当に偶然成立してしまった不条理に、耐えざるをえないと思っています。
偶然が佳き方へ向えばいいでしょうが、必ずしもそうではないので、
僕は、そんな不条理を血やDNAの元に正当化し、豪語することが、許せないのでした。

この作品を読んでいると。
偶然に子供を取り巻いてしまった環境、
親子関係を筆頭に、住んでいる町、通っている学級、先生、友達といった諸々に
偶然でありながら、彼らは選択の自由なしに押し込められ、歯を食いしばって変化を待つ
その痛みが、あらゆる行間から湧き上がり、息苦しくてどうしようもなくなります。

子供の時、今の僕の年齢のヒトは、大人と呼ばれる別の人種でした。
(本当は、同じ年頃の子も別の人種だったけど)
けれど、本当に別の人種と呼ばれるに値する者になったかといえば、決してそうではなく。
ただ大人というのは、ある程度の抑圧から解き放たれたもの、ある程度の自由を与えられたもの、ある程度誰かの選択を奪うことができるようになったもの、に過ぎません。
この話を読むと、そうした搾取する人たち、自己都合を律として押しつけようとする大人が、たくさん登場するので、ますます息がつまります。

作者は後書きに、子供の頃の担任が非常に不条理で、その瞬間、大人の身勝手さを思い知り、
早く担任が替わって欲しいと願っていたと書いていました。

昔、僕は、同級生との距離が測りがたく。
よく学級委員長や生徒会長などをやっていましたが。
それは目立ちたいという本能ではなく、一種支配する側に回ることで、曖昧な距離に物差しを当てようとしていたのだと思います。
その証拠に、生徒会の役員会になって、同じ高さで話し合いをすれば、急に話ができなくなるのです。
今もその名残で、何万人の前に立っても怖じ気づくことはないでしょうが、
一対一で他人と話すことが出来ないのでした。
けれど、僕は、もう不条理や個人的な律で誰かを動かしたりしたくはないので。
ひっそりと、息を潜めるようになったのです。

ナスカの地上絵の、猿とハチドリが、社宅団地の屋根屋根で軽やかに踊っています。
早くパックが、自分で自由を掴んで、外に旅立てるように願ってやみません。
スポンサーサイト

ちょっとしんみり «  | BLOG TOP |  » 融解力

プロフィール

絹山絹子

Author:絹山絹子
狸穴幼稚園の図書委員

kochairo@hotmail.com
Twitter account:@quinutax

最近の記事

FC2カウンター

カテゴリー

リンク

このブログをリンクに追加する

ブログ内検索

月別アーカイブ