2017-07

そは不可解なもの

先週末、なぜか借り出された無給無交通費のイベント受付係で、10月とは思えない日差しの下、千鳥が淵公園に立つ。
しかし、巷の健康ブームとやらにはぞっとする。
なんでこんなに狂ったように皇居の周りを多勢で走り続けるのか。
お堀の景色はスモッグでけぶり、警察官は仁王立ち、脇の道路は車びゅんびゅん、日常ランナー多すぎで、普通に歩行もままならず。
マラソン好きは一日に二大会出場するツワモノもいるらしいけど、やはり、汗ダックダックで受付に来る人あり。
僕には未来的な計測用ICチップもみんな慣れたもので装着していたのには、驚きでした。

腰痛発生で全てのスタートが終了した時点で退散し、昼寝しようにも副業のせいで肩こりがひどく寝付かれず。。
あとで聞けば、脱水で倒れちゃった知人や先生とかいたようですが。
僕的にはせっかくの秋晴れ、どこかにお散歩行きたい気分でした。

***

ということで、今日は横浜の近代文学館へ大乱歩展に出撃。
空腹と、連日の仕事疲れで桜木町到着次点で既にご機嫌斜めな絹山さん。
相変わらず下調べしない素氏に連れられていった点心のお店は、まだ開店まで30分もあり。
喫煙場所を求めて10分歩いて辿り着いた公園で、さらに機嫌が斜めになり。
戻った飲茶の店のメニューが高すぎるとケチをつけ。
結局、聘珍樓茶寮で簡易飲茶をして終了。
ええ、胡麻揚げ団子と豚角煮飯、蓮葉チマキ、点心各種食べました。
あー、でも昔、香港で連れて行って貰った、あのワゴンで山ほどいろんな点心が回ってくる、ああいう雰囲気もう一回、味わいたいなー。

でも、血糖値上がって機嫌良くなったので、元町を抜けて、半端ない急坂をのぼりつつ、外人墓地を横目にみる。
そしたら、本日は墓地は特別公開日だという。
持参した手に吸いつくデジカメを握りしめた素氏と、順路を外れていろんな墓石に吸い寄せられていました。
そこに眠る方達の偉業よりも、墓型に惹かれていく二人。
ケルト十字だ!ギリシャ正教だ!と。
枯れかけた蔦にも似た野葡萄の絡まりや、蜘蛛の巣も余計に雰囲気を醸し。
すっかり、時間を忘れて、墓地を堪能させていただきました。

その後、いそいそと文学館にたどり着き。
紀田順一郎さんの講演が始まる直前に会場入りされた、アリャマタ先生の姿に、オオと唸り。
全体に漂う眠りガスに誘われて、前半何度かうとうとしつつも、乱歩が戦時中貼雑年譜を作成しながら、また海外ミステリの研究を押し進めながら、自己を再認識し、再コード化した流れなどを聞いているうちに、再びオオと目が覚めてきました。
長編に向かない、初期作品を超えられない自分を、どう活かす道を模索したかとかね。
海外に目を向けて、自分の適正が、幻想怪奇に近かったのだと認識したとかね。
正直、講演の間口を広げるためにつけられた、少年探偵ものという視点と、本当のテーマであった乱歩コードの間には、距離があって、少年探偵=引きになっていなかったようにも思えるのですが。
でも、語り尽くされた大御所ではないのだと、改めて認識させられる講演で、面白かったです。

展示物は、やはり整理癖が尋常でなかった生の資料が面白く。
自筆原稿よりも、チェスタトンのトリックを整理したメモとか、カードで一枚一枚整頓された目録とか、思わず文字を追ってしまうので、わくわくさせられつつ閉館ぎりぎりまでおりました。
外に出ると、やはり雨が降っている。
運良く山手駅行きのミニバスがやってきたので乗り込み、帰りに錦糸町の居酒屋で満腹になって帰宅しました。

****

大事に残しておいた小沼丹の「村のエトランジェ」を先日、読了。

村のエトランジェ (講談社文芸文庫)村のエトランジェ (講談社文芸文庫)
(2009/07/10)
小沼 丹

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確かにこれは若書きの作品が多く収録されていて、いまだ「物語を紡ぐ」こと=「気の利いた筋を組み立てる、落ちを際立たせる」ことに躍起になっている一面がありますが、とはいえ小沼色は既に確立されていて、たゆたう日常の寂寥感がちゃんと出ているのが、嬉しかったです。

もう一つ若さという面で感じることは、この時期の小沼氏にとっては、異性が非常に不可解な生物であったのではないかということ。
登場する女性がいずれも年上の、いわば娼婦に属する人なんです。
肉体的娼婦もあれば、精神的娼婦もある。
そして語り手である僕(小沼氏)は、彼女と彼女に関わって身を滅ぼすいずれも芸術家肌の青年達の光景を目で追う。
同時に、女性の理解しがたい、安直に言えば、恋人を嫉妬させたいという欲望に、僕も巻き込まれ、毎度、えー僕は何も関係ないのにと困惑する。
語り手は、当時、小沼氏が感じていた、捕らえ所のない女性というものを肥大化させた象徴にうろたえるウブな青年をひとつ描きつつ。
一方で、不可解ではあるけれど、芸術に身を狂わせつつ、同時に不可解な彼女たちに翻弄されてしまうことを、願っているといった二つの迷いが、余計に不思議な余韻を生んでいるように感じました。
これは、後年の作品とは大きく異なる触感ですね。

あと、ミステリへの憧憬を強く感じさせる作品とかも結構あるし。
素氏が、「それは、逆『杜子春』だ!」と粗筋を話したら叫んでくれた、「登仙譚」がかなり黒い落ちになっていて笑えます。

仙人になりたいお坊さんが、お友達のお坊さんから松葉を食べれば仙人になれると聞き。
一生懸命松葉を食べてガリガリになって、そのうち弟子も目をむく奇行に走りはじめて(木に飛び移ってみたり)。
ついには自分は本来仙人だったのだが、訳あって地上で暮らしている内に仙人感覚を失っていたが、ようやく仙人に戻る日が来たと、大事な書物や身の回りのものをみんなに分けてしまう。
で、噂が噂を呼んで、和尚が仙人に戻る大イベントデーには、近隣住民押し寄せて見守る。
最初は、ぽーーんと岩から岩へ、木から木へと飛べるんです。
だから、みな、おおおおと拍手喝采。
で、サービス精神旺盛な彼は、もうちょっとみんなに仙人のすばらしさを見せるぜと、さらに難所に飛び移ろうとして、、、真っ逆様に落ちる。
みんな、待ってるんですよ。
和尚が、なんちゃってって、起きあがって、ひょいひょい木を登るのを、天に向かうのを。
でも、待てども、べちゃっと潰れたまま、起きあがらない。
結局お寺へとみんなに担がれて戻り、ほぼ半身不随の偏屈和尚と化した彼は、無償で配ったものをガリガリと取り返すといった次第。
うん、初期には、こういうくっきりとしたイヤミ風味の作品もあったのが、非常に驚きでもありました。


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Author:絹山絹子
狸穴幼稚園の図書委員

kochairo@hotmail.com
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