2017-10

トピのこと―「ことばの食卓」

ことばの食卓 ことばの食卓
野中 ユリ、武田 百合子 他 (1991/08)
筑摩書房
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あっちでも、かつてのそっちでも。
絹子の書くことは、基本的には本のことばかり。
それも仕方がない。
友達以前に、本は王様であり神様であり、阿片でもありチョコレートでもあったのだから。

だから絹子の一番幸せな時間は、パンダ氏と本の話をしていること。
で、もう一つ欠くべからざる時間が、パンダ氏の昔話を聴くことなのであった。
同じ話を何度もねだってみたりする。

いまだに途上にあるはずなので、こういう分析はしたくないのだけど。
絹子はフランキー(次回紹介予定)みたいに、人とは違っていることを強調したくて、信じたくて、あらゆる流行に背を向けるようになったのかもしれない。
結果的に、昔の方へ昔の方へと好みは偏っていく。
だから時々、妙に昔のことを呟いてみたりすると、パンダ氏に驚かれたりする。

トントントンカラリンと隣組♪ とか
死んだはずだよお富さん♪ とか口ずさむとぎょっとされる。
でも七つ年下の妹たちだって、ちゃーんと歌えるので、さほど驚くこともない。

絹子の子供時代。
ほんのささやかに平和な時代の名残が、今も家族の呼称という形で生きている。
トピ=お父さん、カピ=お母さん、ネピ=お姉ちゃん(絹子)
後の妹二人は、トピが名付けたピッケと、私が名付けたキャツと呼ばれている。

トピは18年前に天に召された。
けれどもっと昔、そう30年位前から、トピは藻に埋め尽くされた金魚鉢の中に棲むザリガニみたいな暮らしをしていた。
だからネピたち子供は、同じ家の中にいてもほとんど喋ったことがなかった。
金魚鉢に入れられる前の、ぼんやりした思い出しか残っていない。
絹子の中にある、大戦前後の唄や言葉は、昭和11年生まれのトピから遺されたものだ。
今なら、「その頃」がどんなだったか。
いっぱいいっぱい訊きたいことがある。

目の奥に残っているもの。
たとえば、一人ではいけない夏休みのプールで、同伴してもらって日よけのベンチでラジカセからイヤホンを引っ張る姿。
沢山の童謡のドーナツ盤。
タイプライターの弾ける音。
Bill Y >>>>なんていう胡散臭いサイン。
奇妙に尖った王冠をかぶった、細長い王様やお姫様の絵。

絹子は今も夢を見る。
捨てた家族の夢ばかり見る。
そして、夢の中では、トピはいつも幽霊さんになって坐っている。
入院中以外にはほとんど着たことがなかった浴衣や紺地のどてらを着て、薄暗い部屋のそのまた余計に暗い隅で、ぼんやりと坐っている。
喋るけど、話しかけるけど。
幽霊さんはゆらゆらひょろひょろと、哀しく体を揺するばかり。
体の色は何十年も抽斗に仕舞ってあった、蝋燭のように黄ばんだ白。灰色の影。
ちっとも怖くない。怖くない。
ただ、また夢に出てきたんだねえ、辛いねえと、夢の中にいながらに考えている。
そして、背中が引き攣れるように痛んで、目を覚ます。

いつも以上に、つまらない前振りが長くなってしまったけど。
百合子さんのエッセイは不思議だ。
「犬が星見た」も、表には顔を出さないドライバー兼メモ係に徹した泰淳氏の「新東海道五十三次」でも、みんなそうだった。
立ち止まって中空を見つめると、幸福な思い出の煙がもくもくと立ち上る。
そういう作用を知っているので、窪みにはまったり力を失ったりする特別な時に、手に取るように大切に集めている。
なぜか、上・中が現れてくれない「富士日記」も、他の人も百合子さんの言葉を大事にして手離さないんだろうなと思いながら、新刊で入手することなく、いつか我が家にやってきてくれる日を待っている。

百合子さんは、殊に気持ちの悪いもの、ぞくっとするものを触感をもって何気なく描いてしまう。
美味しかったものより不味かったものの方が克明で、喉を突き上げたり胃酸過多になったりする。
「私はアレが嫌いで、コレも嫌い」なんていう人の好き嫌いの話は、本人以外は普通なら「あっそう」なものだけど、百合子さんにかかると、ぞぞーっと頭が相槌を打つ前に、体が反応してしまう。
本当のことも夢の一場面のようで、まるで百間の短編の残り香みたいな感じがする。
それでどうして幸せな昔を思い出せるのかといわれると困るのでけど、光の加減や物の輪郭が、目ではなくちゃんと皮膚や感覚器に一気に駆け抜けるので、タイムマシンに閉じ込められたみたいに、虹色のシャボンの裏側で昔が蘇ってしまう。

だから例えば。

溜色のほの暗い天井から吊したろうそく型のシャンデリアが、角度の加減で大硝子窓全体に散乱して映り、中庭の楓の葉蔭にも、ろうそくの焔が点々とゆらめいているように見える。気が遠くなりそうである。

と描かれただけで、円山公園とは程遠い須磨の離宮公園に、絹子は飛んでいる。
食堂から眺めたシンメトリックな夜の噴水のネオンや、夏の日差しの中でゆっくりと上昇していくクリームソーダのエメラルドグリーンの泡粒を思い出す。
そして、いつもそこに連れて行ってくれたのは、トピだったという事実に気づいて、シャボンが弾けてなくなってしまうに任せて佇んでいる。
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