2017-10

グロテスクにもいくつかあって

昨晩、NHKの「あの人に会いたい」の中島らも編をたまたま観た。
NHKに残された映像で故人の名言を追うといった趣旨の、短いけどいい番組。

そこで、「その日の天使」という話が出ていた。
沢山の締め切りに追われて切羽詰まった夜半、どこからともなく、
「いしやき~~いも、おいも~♪」と聞こえてきたそうな。
最初は、こちとら忙しいのに、どこで呑気にそんな声を上げやがると思ったそうだが。
ふっと思い返すと、その瞬間、ぐつぐつに煮えきっていた頭が緊張から解かれていたという。
そんな風に、本人は気づいていないけど、
人は毎日、どこかしらで誰かとすれ違って、ささやかな出来事で救われている。
それを、「その日の天使」と呼んだのだという。

そうか。
そんな風に考えると、昨日のケーキ屋さんのおじさんも、プチ天使だったのかも。
延々と治らない眼の話を聞かされたけど、
(眼球の一点が感染?でやられて、視界の中心だけが真っ黒なんだって)
何度もその左目をぐりぐり動かしては、訴えていた。
「ほら、ここに来た時だけ、真っ黒なの。でもちょいとずらすと大丈夫なの。
ね、オネエサンのきれいな顔が、一瞬真っ暗になっちゃうんだ」

いや、別にオネエサンでも、きれいでもないけど。
するっとああいう冗談を交えて話かけてこられるとね。
そんなすごい研究やってるんだとか、いわれるとね。
悲しいことばっかり、やめたいやめたいと思ってる仕事でも、
ちょっとはいいのかなと、今頃になって気づく。

家の中には、ズンドコ教の堕天使ピカエル(お皿があたまに載ってるの)がいて、
いつも天使な羽根をおおらかに広げていてくれるけど。
らもさん風に考えると、プチ天使も、ちょいちょいいるのかもしれないなと
少し元気が出たのでした。

***

「薔薇のいれずみ」読了。
戯曲なので、一気にいけました。
でも、そうね、これ、僕にはかなり苦しかったです。

シシリー女が、ずっと旦那と愛し合っていると深く深く信じていた女が
急に旦那に死なれて、さらには、別に女がいたことを知らされる。
彼女セラフィーナは仕立て屋だったけど、夫の死と浮気を受け入れられず
どんどん周囲から浮き上がった存在になってゆく。
高校卒業を控えた娘が、水兵と付き合い始めたと知って家に閉じ込め、
卒業式の前日、娘は手首を切って、自殺を図ったかに装い、水兵と逃げ出そうとする。
娘もいなくなったと余計に崩れたセラフィーナは、
ふいに現れた、夫の幻影をかついだ若い男に惹かれてゆく。
ついには男との寝てしまったことを娘に知られ、娘は完全に家を出て行く。

といった粗筋なんですけど。
その、セラフィーナの崩壊があまりにもひどいので、
単純にいえば、「ひたむき」とか「素朴」などと解説されている域をはるかに跳び越していて。
スリップ一枚で路上で助けにきた娘の担任や、水兵に食って掛かるところとか。
自分の信じたものが覆されようとする瞬間だとか。
もう、、、キチガイなの。
グロテスクの極みなの。

ところで、絵画にしても、小説にしても、グロテスクに魅了される瞬間は、誰しもあるでしょ。
その瞬間が、本当の嘔吐に結びつくときと、
怖いもの見たさの覗き見風に好奇心を煽るときとの差異は何でしょうか。
もちろん、単純に好みだとか、生理とかいわれても仕方がないですけどね。
僕は、リアリティだと思うんです。
多く記憶や経験に裏付けられた何かが、全くの不快へと導く現実感だと思うのです。
「薔薇のいれずみ」の誇張された愁嘆場は、
現実世界で知りうる、あえて見たくもない陳腐で凡庸なグロテスクであり、
何よりこの悲劇は、僕の遠い昔の現実とあまりにも重なるので。
苦しかったのだと思われます。

あと、テネシー・ウイリアムズが目指した、「時のない世界」についてですが。
確かに彼がめざしたものを批評家が汲み取れなかったのも言いえて妙でありましょう。
セラフィーナが、夫の死後もその満たされた過去に狂的に執着しつづける姿とか、
近所の子供達の遊ぶ声が、クライマックスに近づくと、数字を数え始める声になるのも
娘の卒業祝いに買った時計を、どうしても渡すことができないまま、娘が出て行ってしまうのも
あまりにも寓意的、イコン的なんですわ。

こうした練りこまれすぎた象徴が、観客の視覚聴覚にスライスインした結果、
「時」という概念が頭にこびりついたとしても、「時がない」とはいえない構成になってしまったんですね。
むしろ、最後に。
夫がしていた刺青が、己の乳房に浮かんだ瞬間身ごもったと実感した奇跡が、新しい男によっても同じに引き起こされたと分かった瞬間と因縁の妙。
(これはもしかしたら、彼女の思い込みに過ぎないのかもしれないけど)
このようやく動き出した、彼女自身の活力の時計の生々しい息遣いだけを前面に押し出した方が、よほど、爆発力のある作品になったのではないかと思います。
「時が動く」その当たり前のことを表すには、もっともっと確実に「動かない瞬間」が必要なのです。

でもね。
テネシー・ウィリアムズのすごいところは。
普通、動かない=静的、動く=動的と描き分けるところを。
あえて、動かない=狂気と妄執のいわば、激動でもって描いてみせようという試みたことにあったんです。
うん、今度は、苦しくないグロテスクを求めて、↓で、彼の未読の小説でも読んでみよう。
だって、「呪い」は最高に美しいグロテスクの塊でしたから。

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