2017-08

子供の音楽

日曜日、蒲田で行われた文フリ、結構面白かったです。
ジャンルは違うけど、オンリーはかなり場数を踏んでいるのですが、
今回の会場は、すごくよかった。
勿論、大手さんがいない=長蛇の列が生じないという目論見があるからか、
雨避けを含んだ控え室的なものはなかったのですが、
天井が高くて、トイレや喫煙所も近くて、いい感じ。
列ができないせいか、お客さんの出動時間も非常にまったりしていて、
開始から終了まで、ずっとほぼ同様の混み具合。
カタログや入場料無料という配慮も、すごいなと思いました。

あと、面白かったのが。
大別すると、創作系・文藝評論系・その他の評論系の三種になると思われますが。
買い物に来る人たちの、瞳が三種で違うんだわ。
特にその他の評論系の人たちのやや眼光鋭い感じ。
僕たちは、その他に挟まれたかっこうだったのですが、すっとすっ飛ばされていくのが、
各人が放つオーラで分かるといった雰囲気。
逆に売っている側の人は、若い人が多くて、ある種の昔ながらの文系な男性が多く。
ついつい、帰ってから、お隣さんとが中学時代の図書委員長にそっくりオーラだったとか
急激にタイムスリップしておりました。
普段逢えない感じの匂いがかげて、ちょっと懐かしいなとも思えました。

買い物はさしてしなかったのですが。
僕的に大当たりだったのは、日本ジュール・ヴェルヌ研究会さんの会誌でしょうか。
素氏にみせたらすごいというので、創刊号を探しにいったのですが、既に完売とのこと。
僕はヴェルヌのいい読者とはいえませんが、ものすごくグレードの高い本です。
特に、かつてマントルまで地底探検をしようと実際に考えた、科学者の方の寄稿があったり。
アニメや映画化へのフォローがあったり。
視点の広がりも、真面目一辺倒に終始する一角の同人誌とは、まったく違ったモノになっていました。

仕事の方は。
相変わらず、一ヶ月前のノートを数行しか埋められない体たらく。
でも早出や休出は毎週あっても、残業だけはしないぜ!をモットーになんとか渡っているところです。

先日の、「法王庁の抜け穴」に続いて、ジッド週間ということで。
「一粒の麦若し死なずば」を借りて読み始めました。
いやー、茶紙最高、旧字旧かな最高ってわけでもないですが。
昭和15年発行の、この新潮文庫は、このスタイルで読んで一層滋味が深まるといったところ。
加えて、小泉さんという人の可愛い、ペン先をもじった蔵書印がついていて、
ピンクの色鉛筆で線引きが所々にあるのですが、これがまあ、なんと共鳴する箇所で引かれていることか。

Image2431.jpg

ジッドはちょうど僕の100年前に生まれたひとです。
なので、ちょうど1909年に、同じ年で存在していたのだと、まずは第一頁から思いを馳せることが出来ます。

ジッドの子供時代は、大層幸福だったといえるでしょう。
羨望を免れぬことができないほど、
両親からの愛情の注がれ方がたまらなく贅沢であって、
特に父親の導き方は、特別な観があります。

また、その羽化する前の、ジッド自身が「眠っていた」「遅鈍であった」と自身を振り返るように、
十代の始めまで、彼はさまざまな美しいものに、美しい人々に、
祈りが織りなす澄んだ宗教心に日々目を瞠りながら、
この自伝が書かれた時点でも、それらの事象を、まるで現前するかのごとく覚えていることができるのです。
羽根がひろがる以前から、ずっと中空を漂っているよう。
同時に、羽化以前の己を振り返って、ジッドは、周りがみえないために惹き起こしてしまう
今となっては些細な過ちを、特に大切な人を傷つけたと今も申し訳ないと告解しているのです。

果たしてこの眠りの状態は、自意識が目覚める以前と単純に呼んでいいものか。
僕自身は、自意識のめざめの瞬間を覚えていますが、
それ以前の記憶、特に小学校へあがる以前の記憶はないに等しいのです。
まあ、僕のことなどどうでもいいので。

機械いじりを愛し、植物採集や科学実験を愛した彼の言葉は、
まるで音楽のように響いていきます。
ほんと、読み進めるのがもったいなくなってきます。

黎明のほの暗さのなかで見る、幻影にも似た箇所。
どこを引用すれば、この美しさが伝わるでしょうか。

私の祖父の時代の人々は彼等の祖父達を苦しめた迫害の想い出を、なおまざまざと憶えていた。それまでではなくても、少なくとも、反抗の伝統とでもいうべきものを持っていた。彼等を折り曲げようとしたものに対する、内面的な頑強な力がまだ残っていた。彼等の各自は、基督が、自分や迫害されつつある小さな羊の群に向って、――《汝らは地の塩なり、塩もしその効力を失はば何を以てか之に塩すべき》と仰せられるのをはっきりと耳に聴いていたのであった。
ユゼスのちいさな教会に於ける新教徒の礼拝は、私の子供時代にはまだ、慥かに、よそから見ても実に気持ちのいいものであった。そうだ、私は、神に親しい呼びかけで話していたこの時代の人達の最後の代表者達が、フェルトの大きな帽子を被って、式に列するのを見たのだった。彼等はその帽子を式の間ずっと被っていて、牧師が神のみ名を呼んだ時だけもたげ、また、《われらが父よ…》を唱える時だけ脱ぐのであった。これらのユグノオ教徒が、こうして帽子を被っているのは、彼等の信仰による神への奉仕が、若し見付かりでもすると死刑にあった時代に、叢原の秘やか物蔭で、炎熱灼くが如き野天の下で行われた礼拝の憶い出のためであることを知らぬ他国の人は、恐らくこれを、神に対する不遜な態度として眉をひそめたかも分らない。
やがて、こうした老人達は、一人一人と死んで行った。彼等の死んだあとにも、なおしばらくは彼等の未亡人達が生き残っていた。彼女達は、日曜日に、教会へいくために、また、そこでお互いに顔を合わすために出掛ける外は、決して外出しなかった。そこには、私の祖母と、祖母の友達のマダム・アボオジとマダム・ヴァンサンと、それからもう名前は忘れてしまったが、もう二人の老婦人がいた。礼拝がはじまる少し前に、主人の彼女達と殆ど同じ位に年取った女中達が、主人達の炬燵を持って来て、席と定められたベンチの前に置いた。すると、時間きちきちに未亡人達がやって来るのだった。その時は既に式がはじまっているのである。半ば盲目になった彼女達は、入り口をはいるまではお互いに一向気がつかないが、ベンチに坐るといきなりお互いが判るのだった。無事にまた顔をあわせたことの悦びにすっかり有頂天になって、喜びの言葉だの、答えだの、問いだのがごっちゃになって、実に奇妙な合唱がそこに醸しだされるのだが、お互いに皆金聾なので、相手の言うことは何も聞こえはしないのだった。そして、その入りまじった声は、しばらくの間は、当惑した牧師の声の上に完全に蔽いかぶさっていた。或る人達は腹が立って仕方がないのを、彼女達の夫の想い出によって、我慢していた。それほど厳格でない人達は、こうした場景を面白がって見ていた。子供達は大声で笑っていた。私は、少し恥ずかしくなって、祖母の傍には坐らしてくれないように頼んだものだった。こうした小喜劇は、日曜日毎に繰り返された。これほどにグロテスクな、またこれほど胸をしめつけるような場景もないものだった。

p49-50 新庄嘉章・根津憲三訳 
(新字新かなに変えて引用)


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Author:絹山絹子
狸穴幼稚園の図書委員

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