2017-10

夜を思い出す

今週はきつかったー。
風邪は三回目の抗生物質変更で収束に向かったものの、
フル稼働で培養や染色やったら、眼が回った。

「たまに一生懸命に生きたら、しんどいです~」
といったら笑われた。
そう、一年ぶりに校正を夜やっているので、眠る以外はフル回転なの。
眼鏡一号出したときのパソが旅立ったことをすっかり失念していて
最終稿が残っていないことが、発覚。
ありえない・涙。

いつも陰気な人を演じるのが楽で好きなのだけど。
一年経過して、だんだんイラチだとか暴言だとかいろんな隠れ技が露見。
なので、最近、僕の席の周りに人が寄るようになり、面白いとはいえ、内省の時間が消えて、結構ツライ。
古本好きで、カラオケで吼えるとばれたので。

カラカラカラン♪(ドアの鈴)と口音で人が来る。
いわく、僕の店は、昼間は古本喫茶○○、夜はスナック○○らしい。
(○○には僕の本名。しかし、高校以来、僕の下の名前で呼ぶ人がいないので、なんだか、別人の名に聞こえる)

昼夜通じて、この店で、僕は、ママと呼ばれている・笑。
古本喫茶では、
「いい本だろう」と無理に本を勧めるらしい。
挙句、ミステリなら、犯人を教えるらしい(大迷惑)
スナックでは、すぐにマイクを掴んで昭和歌謡を絶唱。
「いい曲だろう」と同意を求めるらしい(さらに大迷惑)

そう、内省。
反省というのではなく、内側を覗き込む時間。
いま、なぜか、江藤淳の「夜の紅茶」というエッセイを読んでいる。
青い函に本自体は橙の布装。
シンプルだけど、すっと穏やかな佇まいが好ましく、ぶっくおふ100円で掴んだのは随分と前。
この間まで読んでいた、円朝の「真景累ヶ淵」が、
まあホラーというよりも、因縁因業極まりないスプラッターサスペンスの連続で
確かに面白かったんだけど、その表層感に疲れたので、
静けさを欲して、紅茶を飲んでみることにしたのだった。

江藤淳の本は読んだことがなく、この先も読まないかもしれないけど。
それはどうでもいいこと。
滋味があるわけじゃない。
おかしみがあるわけじゃない。
ただ、この人は、夜を知る人だということ。
夜食のあとに一時間、レコードを聞いて眠って、目覚めて紅茶を飲んで。
夜に潜り込む。
昼の社会、昼の他人の汚れを、紅茶で拭い去る。

特に、読書に関する一文がとても染み入るもので、
僕は、電車に乗っているのに、両隣に他人が座っているのに、
車内の明かりは日没に似た速度で、枕もとの肌色がかった弱い電気スタンドに変わり、
硬い椅子は、巻貝みたいに丸まってゆき、
呼吸がただ一人の空間のなかだけで許される、最高級に緩慢な伸縮に変わった。
僕はその心地よさに肉薄した寂しさを、随分と忘れていて、
あやうく乗り過ごし間際で、われに返ったのだった。

さ、後二日で間に合うかな。
校正も入力も入稿も、内省ではないけど、ほんの少し夜に近づくことだ。
眠らないでみられる夢をみることだ。

We are such stuff as dreams are made on:
and our little life is rounded with a sleep.

その「読書について」の中で、最後に引用されているシェークスピア「テンペスト」の一節。
江藤氏はこれを
「われわれは夢と同じ材料でできていて、われわれの小さな人生は、眠りにぐるりと囲まれている」
と訳している。
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絹山絹子

Author:絹山絹子
狸穴幼稚園の図書委員

kochairo@hotmail.com
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