2017-08

ドミノ倒しの彼方へ―これもまた幻想(1)

ボートの三人男 ボートの三人男
丸谷 才一、ジェローム・K.ジェローム 他 (1976/07)
中央公論新社
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ボートに乗り込んだ男が三人と、犬が一匹。
テムズ河を遡っていく舟遊び。
骨組みとしてはそれだけなのだが、この作品が300pの文庫になっているのは、むしろ骨の外側に張り巡らされた、奇っ怪な色の肉や神経叢の部分。
まるで、プラスチネーションされた人体から、羽ばたくように広げられた紅鮭色の筋肉みたいに。あるいは、義眼がギロリと意地の悪い意識をもってしまったかのように。
クスリ、クスリと心の底の悪心をくすぐる。

そもそも三人と一匹は、何故ボートに乗り込んだのか?
スタートからして笑わずにはいられない。

主人公である語り手・Jは、ある日図書館で医学書を眺めるうちに、はたと気づくのである。
自分は、「膝蓋粘液腫」以外(ここ傍点)のありとあらゆる病に冒されていると。…いやその徴候があると。
どの自覚症状にも該当する!
自分のような珍しい人間は、大切にしてもらわなければならない!
なにせ医学生は何百人のクランケを相手にするよりも、自分を診ればたちまち名医になれるのだから!

――つまりは、妄想である。
降り積もらんばかりの蒙昧である。
そして、Jは鬱々と落ち込む一方で、妙な自信にも支えられていることを忘れてはならない。
ほかの二人もご同様。僕も胸が苦しい。僕も頭痛がひどいんだ。
なにしろ、生まれてこの方、やる気がまったくでないんだもの。
これは、みんな病気のせいだったんだ!
かくして、舟遊びでもして残り短い余生(笑)を…いやいや休息でもとるべく準備にとりかかろうか。

Jとハリスとジョージ。
三人のキャラクターは恐らく意図的に性格の違いが現れていない。まして容姿なんてほとんど分からない。
三人とも自意識過剰と自分勝手さに満ち溢れていて、そのくせ当然にもろくもある。
だが、この話においては「キャラが立たない」ことこそ魅惑的なのだ。
隣のどこにでもいるオッサンでいいんだ。

準備をすれば、喧嘩が始まる。
お前がやれ、俺は見ていると。
漕ぎ出せば、罵り合いが始まる。
帆を張っても、食事をしても、一筋縄では済まされない。
ハプニングがハプニングを呼び、考えられるだけあらゆる災難が無知と知ったかぶりを後ろ楯に襲い掛かる。
そうしてみんなは叫ぶのだ。
「みーーーーーんな、○○が悪いんだ!!」
フォックステリアのモンモラシー君に至っては、三度の飯より喧嘩が好きときたものだから、もう手に負えない。

川の流れに逆らって、上流へと上流へとボートはよろめきつつ進んでいく。
そしてこんな現実の大喧嘩の隙間にも、思いつくまま、気の向くまま、あーんなバカな話も、こーんなムカつくこともあったねと、エピソードは金魚のフンのようにつながっていく。
もう小咄のオンパレードで息つく暇もない(いえ、本当はゆったり息がつけるんです・後述)。

で、どんなエピソードがあるんだい?
そうだな、リズムでいうとこんな感じ。

ターラターラタラタラタラダンダンダダダダダダ・ドッカーン・バカヤロウオマエガゼンブワルイ!
とか
スーラスーラパチパチヌルヌルグチョグチョ……ミンナオオウソツキノミエッパリ!
てな感じでしょうか。
(え?ぜんぜん分からない。でも披露すると読む楽しみが減るじゃないですか)

その淡々と短く纏められた小咄の中に、罵声と底意地の悪さが、そうオールを持ち出して殴り合っているうちに、並んだボートが次々とドミノ倒しになっていくみたいなおかしさ。
現実とそんな諧謔一杯の想い出の隙間にあるもの。
それが、さらに奇妙なスパイスとなる、叙情なのです。
不釣り合いなほど情感と色彩に満ちた情景描写、歴史背景がなぜかしらゆったりのんびりと堪能できてしまう。
もう一度読み返すなら、テムズ河流域の地図や歴史書をひもといて、楽しんでしまいたくなる。
そんなガイド小説でもあるのです。
(でもね、そういう美しい景色は、語り手のおなかが満たされて、風も優しくそよぎ、本人は漕がずに舳先をくいくい楽チンに動かしてるときというのも、むべなるかな)

この奇妙な重奏に耳を傾けて、何度も他人の喧嘩を肴に噴き出しながら酒を傾ける。
そうすると、大きな揺りかごの中で幻を見ることができるのです。
英吉利人にしか絶対書けっこない、ユーモア小説で夢をみるのも悪くないでしょう。

※この本は丸谷氏の翻訳の妙がなければ、けっして楽しめません。
往々、翻訳者というのは巧くても一向に目立たないものですね。
そう思うのは、ひどい翻訳にぶつかった時で、最近読んだマンディアルグ「薔薇の葬儀」があんまりにもあんまりだったので、それまで深く考えたことのなかった生田さんのことを、やっぱりすごいよと思うようになりました。
いいんです。この際生田氏の人間性なんてね。私たちは本を読んでいるんだから。


※なんとなく、毎日切ないので、自分の大事にしてきた「幻想」の領域を言葉で押し広げることにしました。
いつの読書も幻探偵団なのです。
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