2017-08

慚愧

最も古い友人Aからの年賀状が七草粥の頃に届いた。

「元気にしてるか~仕事はどうだ~創作活動はどうなってるんだ~
といろいろ聞きたいことはあるけど、多分何とかしてるんだろ、
と勝手に思っています…よ」

うん、うん、うん。
いいな、この文面。
ここ二、三年は大阪行商で手伝って貰ったから逢う機会も少しはあったけど
滅多に逢えない仲であることは確か。
大昔の今とは違った意味でダメダメだった僕を熟知している彼女は
今のダメっぷりもよくよく見抜いているような気がする。
だから、知って知らずか、簡単にボディブローを食らわしてくるんだ。
なんだか、無性に逢いたくなってしまった。

ここ数年ハケンという身分だったので、一切職場関係には年賀状を出さずにすんでいたのに
今年から来るわ来るわ…。
オスマシ図案を考えるのも面倒で、呪われた図案をそのまま返信しました。
ちなみに、今年の歌は、

含愁 湯山愧平

羅(うすもの)に
ロリガンにほふ
喪の女

自分ながらに、かつてないほど呪詛がかった歌を選んだと思いつつも、
エロスタナトスだと勝手に思いこんでいます。

さて、この高知市にあるという中華料理店「一壺春」
(かつて出張鑑定団も来たらしい)の店主さんのお名前に使われている文字。
詰まらない政治家連や一列に並んですみませんね~な謝罪会見で
苦々しくも頻出するようになった「慚愧」という言葉。
昔は僕も大好きな言葉だったのだけど、今では逆に使うことに恥じ入ってしまう。

無言館ノオト―戦没画学生へのレクイエム (集英社新書)無言館ノオト―戦没画学生へのレクイエム (集英社新書)
(2001/07)
窪島 誠一郎

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2005年初頭。
素氏に誘われて、東京駅のステーションギャラリーで行われたある展覧会に向かった。
そして三年経った今になって、もしかしたらこの本は、あの時の?と首を傾げながら手に取った。

展覧会の印象は、さほど強くは残っていなかった。
館内よりもむしろ終わった後に、二人は黙々と歩みを進めていた時間の方が頭に残っている。
アポロ11号が月面着陸した年、安田講堂が占拠された年に生まれた僕には
戦争の悲惨は、想像の域を出ることがないものだ。
団塊の世代真っ直中の素氏も、僕とは異なる思想をもっているだろうが、
幼少の砌、いまだ戦争の匂いは残っていたとしても実体験を持たない。
だからきっと、僕たちは、何かを口にすることを憚っていたのだと思う。

もう一度、本書の中で紹介された新書の一頁に二三枚ずつ配置された
モノクロの小さな図版を眺めて、記憶の糸をたどろうとする。
確かに覚えているといえるのは、十点にも満たない。
そんななかで、物静かな肖像画や風景画に混じって、一点、戦闘機が海面につっこみ、船舶がいままさに転覆しようとしている様を図案化した、久保克彦氏の「世界崩壊の予感」はポスターカラーを使ったようなvividな作品で、鮮明に覚えていた。
モチーフと色彩が、暗い時代背景の中で異質に見えるほどだったからだろう。

この本は、上田市にある無言館の館長さんが、
開館までの経緯、戦没画学生たちの作品収集、開館後のマスコミの動き、そして来館者の反応を綴ったものだ。
二十代から三十代半ばで命を落とした画学生およびプロとして独り立ちし始めたばかりの人たちの経歴と、遺された作品の記録もメモとして記されている。
窪島氏は、プロローグからエピローグに至るまで、ずっと同じ思いを述べている。
それが、慙愧(本書ではザンキ)という思い。

戦後生まれで、村山 槐多や関根正三などの蒐集を自分の好みの赴くままに進め、先に「信濃デッサン館」を作った人間が、戦争を知らない世代の人間が、一私人としてまるで反戦運動の旗印とみなされてしまう収集を行うことになってしまったのか。
確かに自分の意思で行った事業であっても、そこに他動詞的な意味が濃厚に滲み出している。

また窪島氏が戦没画学生の作品を探すきっかけになった画家の野辺山氏が、
途中で窪島氏との同行から離れるようになってしまった理由のひとつも
その違和感を浮き彫りにしている。
最初にNHK関連で取材をしたときには、まだ氏と同じに戦後取りに越された遺族たちが
死者の無念や実像を肉声で語ることができた。
しかし戦後五十年にちかづいた時期の窪島氏との道行では、
遺族も代替わりしていて、肉声はおおく伝聞となり、輪郭はかすんでいったと。

僕がこの本で、感じ入るのは。
開館から本書が書かれた時点まで無言館対してに抱かれた、様々な人の様々な思いを、
好意的反意的いかんにかかわらずすべて採り上げている、
その客観性だ。
年代も戦争体験も思想も異なる人たちの思いは、私設美術館・戦没者を扱った美術館が孕む問題を明らかにしている。
問題が複雑で一筋縄でいかないからこそ、読んでいるこちら側も、次第に感情を廃した抑えた状態に入っていく。

このまるで隙間なく積み上げられていく石の砦めいたものは、なんだろうか。
大なり小なり、なにかを成した者には、本来意図や思想があっておかしくない。
一元的に自己を仮託するのも、よくあることだ。

これらの石は、見せるために積み上げられる。
色とりどりであることを、多様であることを理解して欲しいと、積みあがっている。
では、戦後生まれの大多数が育んだ無思想の防御力を、気づかれないようにしているのかといわれれば、単純にそうとはいいきれない。
なぜなら、石組みは、堅牢ではないからだ。
囲われているものが、体裁ではないからだ。
中にあるのは、窪島氏の常に恥じ入らずにはいられない部分である。

文字通り、いたたまれない、慙愧が底流として流れているゆえに、
この一種言い訳めいた、そのくせ台所もあけっぴろげな文章に、
僕はほとんど、不快感をいだくことがなかった。

マスコミに何度も取り上げられて、無言館は人口に膾炙するところとなる。
そして、収蔵するものは画業を志したものの遺品ではだめなのか
(たとえば、作家やその他もろもろ)、
あるいは、戦没画学生とは、何をもって範疇を決めるのかと
新たに遺品を預かって、修復保存して欲しいという申し出がふえることになった。

これに対して窪島氏は、
戦没者・遺族に対する思いが交錯する中、可能な限り範囲を絞っていく。
そこには、事業という重みがあり、なにより、
一枚一枚の絵を遺品というよりも、作品として捉えていこうとする方向性が固まりつつあったことが
あとがきに示されている。

上手く言葉にならないけれど。
恥じ入り身を引いてばかりはいられない、けれども常に心の隅に疑問符を残してゆく姿勢も、
またひどく納得できるものであったのです。

本来なら、僕自身、真っ向から戦没画学生に目をむけてこそ、感想文といえるのだろうけど。
本末を転倒してでも、むしろこうした文章の進め方が、とても興味深かったと言っておきたい。
加えて、もう言葉としては使えなくても、
ひとそれぞれ恥じ入る部分は異なっても、
胸の奥にしまわれた「慚愧」をひごと噛みしめて溜めていられたらと思う。

**

どうやってこの無理のある日記を直そうかと放置したけど。
今はこんな風にしか書けない。
随分と時期はずれな話を、蒸し返しているのも恥ずかしいけど。
やはり感想を残しておきたかった。
とまあ。
これこそ、しょっぱさ満点で次の本に取り掛かるとしよう。
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Author:絹山絹子
狸穴幼稚園の図書委員

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