2017-05

少女伝説

「1492年。
私は82歳です。私自身が若かりし頃見たことをお話したいと思います。」

Sieur Louis de Conteは、未来にいるはずの、ひひひ甥やひひひ姪に語りかけた。
(決してヒヒヒと笑っているわけじゃないんですよー)

マーク・トゥエインのジャンヌ・ダルクの序章はこのように始まっています。
"Personal Recollections of Joan of Arc" Mark Twainを、本当に亀の歩みですが読み進めています。

ジャンヌ・ダルクの幼馴染にして、召使であり秘書であった、シェール・ルイ・デ・コント(どうやら実在の人物であるらしい)によって、ジャンヌの姿が思い出話として描き出されるという設定のようです。
設定自体面白いし、実際、子供の視点を大事にした、生き生きとした描写は、すごく楽しいんですが。
あー、もう。
単語力が足りません。
(並行してNewYorkTimesのクロスワードパズルもやっていたけど、純粋にとけたのは2単語だけ・涙)
簡単に思えた文体も、結構くせがあって、一文の区切りを考え考えているうちに、三十分とか過ぎてます。
訳文をまじめに書くのは、もう17年ぶりくらい?

で、なぜこれを読んでいるかといえば。
ずばり8号で復刻した「変態心理におけるオルレアンの少女」のせいなのです。
論文というよりも、講談調になりがちだった佐多先生のお話は、まるで子供が体育座りして、紙芝居を見ているような面白さがありました。

そもそも世界史。。いや歴史にまったく興味がない僕は、ジャンヌ・ダルクがなんたるかを、知らないに等しい状態だったのです。
それを佐多先生は、変態心理、つまりは精神病理学から解き明かしてみせてくれました。
一番面白かったのは。
ジャンヌが英軍の包囲を突き崩し、王子シャルルの戴冠式まで成功させた時点までは、トランス状態でなにもかもが吉と出ていたのに、その後精神が平生になってしまうと、普通の一少女にもどって、なにもかもが、暗転していったという部分でした。
憑き物が落ちてしまったあとの、むくろに心が戻ったために生まれた、悲壮。

でも、これは、刷り込みの一種なのかもしれません。
初めて出会ったものを、お母さんだと思って、ひょこひょこ追いかける。
というのも、続けて手にした、この新書で、ジャンヌをめぐる伝説・考証がいかにたくさんあるかを教えられ、面白いけど、いや絶対深くは追求できない世界だと思い直したのでした。

ジャンヌ・ダルクの神話 (講談社現代新書 (642))ジャンヌ・ダルクの神話 (講談社現代新書 (642))
(1982/01)
高山 一彦

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ジャンヌの行動が佐多先生の見方で、単純な精神疾患の一種と片付けうるものであったのなら、
あるいは死後何百年も経って、Cristianismの政治的手法で「聖女」となったことを単純に受け入れていたなら
いわゆる歴史考証家から、これだけ多くの説はうまれなかったろうなあと、わくわくさせられる読み物になっています。
講談風の躍動感ではなく、これからミステリを読む前に、こんな手法もあるんだよとカードの一端を見せてくれているだけなんですが。
卵から飛び出たばかり、羽もびしょぬれのヒヨコには、お母さんが沢山いすぎて、さあ大変な感じで楽しめました。
ジャンヌの傀儡説、ではその操り手はどんな候補がいるのか。
ジャンヌの王女説、ではその根拠はどこに潜んでいるのか。


さてと、先日も書きましたように、マーク・トゥエインの方は、邦訳があります。

マーク・トウェインのジャンヌ・ダルクマーク・トウェインのジャンヌ・ダルク
(1996/09)
マーク・トウェイン大久保 博

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でもまあ、すこーーしずつ格闘するのも楽しいので、
どんなジャンヌが待っているか期待しながら、読み進めたいと思ってます。

で、今日訳してみたところは、こんな感じです。
地名や人名はかなり適当に書いています。
先は遠いぜ。

Capter 1 When wolves ran free in Paris
第一章 狼がパリで走り回った日

私、シエール・ルイ・デ・コントは1410年1月6日、ネーフシャトウに生まれました。私の誕生日はジャンヌと同じで、彼女が生まれるちょうど二年前に当たります。15世紀初頭、私の家族はパリ近郊からこの遠く離れた地区へ引っ越してきました。家族は政治的にはアルマニャック派でした。アルメニャック派というのは、我がフランス国王自身がそうであったように、国王を称揚するいかれて無能な愛国者たちでした。イギリスのブルグデアン党はアルメニャック派から周到に略奪していきました。彼らは、私の父のささやかな自尊心を除いてあらゆるものを奪っていきました。父がネーフシャトウに辿り着いたとき、貧しさは極まっており、精神も壊れかかっていました。しかしネーフシャトウには、父が好む政治的な風潮があり、他にも何かあったようです。比較的静かな土地に来て、狂気や怒りや悪魔に執りつかれた連中から離れ、虐殺の連続に常に危険を感じていた日々からしばらくは離れることができたのです。パリでは、暴徒がくる夜もくる夜も、強盗や放火や殺人を繰り返し、人々を悩ませていました。夜が明けると、建物は壊れて煙を上げており、そこここに無数の死体が転がっていて、強盗に身包み剥がれた人がいて、さらに通りの向こうでは暴徒の残り物を拾い集める神から見放された者たちで溢れていました。死体を集める気力を持つものはおらず、そのため死体は腐り、疫病が生まれていました。

そう、疫病は暴徒たちが生み出したのです。病はハエのように人々の間に蔓延していきました。実際には埋葬は夜中にこっそり行われていましたが、もし蔓延の規模が発覚すると、民衆がより非人間的になり、絶望へと突き進んでいくことを恐れて、公には埋葬は許されておりませんでした。さらに酷いことには、フランスにとって500年来という大寒波が襲ってきたのです。飢饉、悪疫、虐殺、氷に雪―あらゆる悲劇が一時にパリを包んでいました。通りには死体が積みあがり、昼間から狼の群れが街に入ってきては、それらを貪り食っていました。

ああ、フランスは落ちました。深い深い地獄へと。四分の三世紀以上、イギリスの牙はパリという生肉に食らいつき、終わりなき暴力と勝利であまりにも怯えさせたために、イギリス軍の悪しき光景は、フランス人を敗走させるに十分の力となったのです。

私が五歳になると、アグニコートに恐るべき災害が起きました。英国王は自分の栄光に酔いしれるために帰国していましたが、ブルグデアン党の工作によってフランス側の結束が断ち切れると、ある夜一気にネーフシャトウは略奪の波に飲まれたのです。燃え上がった藁葺き屋根の光で私が見たのは、この世で最もおぞましい光景でした。兄、つまりお前たちの先祖は、背後に隠れていました。人々は命乞いをしている間に虐殺されました。殺戮者は彼らの祈りを嘲り笑い、嘆願の真似までしました。私は大目に見られて、怪我人の間から逃亡しました。彼らが去ったとき、私は這いつくばい、燃え盛る家々を見ては泣き叫びました。敗走し隠れた死傷者を除いては、私は一人ぼっちになりました。

私はドムレミ村に送られました。後にこの村の司祭の女中が、私にとって大切な母親代わりになりました。当時、司祭は私に読み書きを教えてくれましたが、この特権は村で唯一私に許されたものでした。

この素晴らしい司祭の名はジェローム・フロントといいましたが、彼の家が私自身の我が家と呼べるようになった頃、私は六歳になっていました。その家は教会に隣接しており、教会の裏手にはジャンヌの両親の小さな庭がありました。ジャンヌの父はジャック・ダルクといい、母親はイザベル・ロメといいました。十歳のジャック、八歳のピエール、七歳のジャンと三人の息子がいて、その下に四歳のジャンヌと、一歳位の妹キャサリンがいました。私は最初から彼らと遊び友達になりました。他にも友達はいましたが、特にピエール・モレル、エチエンヌ・ロゼ、ノエル・ラインゲッソン、という四人の子たちと仲良しでした。加えて、ジャンヌと同じ年くらいで、次第に彼女にお気に入りになったホーメッターとリトル・メンゲットという女の子たちもいました。

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