2017-11

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不思議な関係

大分、復活してきました。
みんなが早く帰れというので、早退して煮物を作って、お風呂に入ったら、鼻水止まりました。

そういえば、週末は画像工作担当の素氏にたのんで、年賀状を早々と印刷。
今年は、15枚買いました。
僕はお友達いないので、その精鋭部隊に発信する怪しいもの、全く目出度くないものを目指すのが
とても楽しみなのですが。
もらった人は、とっても迷惑していることでありましょう。
干支に関係ある年もあるけど、基本的には脱干支、脱慶賀です。
去年は、ねずみ年でしたね。
だから、蝙蝠柄の可愛いマッチの図柄で攻撃してみました。
鳥年には、フクロウ貴婦人に、「未来のイブ」のアダリーの台詞を吐かせました・笑。

来年は、牛年ですね。
はっきりいって、牛とはなんの関係もありません。
脱慶賀というよりも、むしろ喪中はがきに等しい、薄暗さです。
例年どこからともなく探してくる妖しい詩篇、
今回は、篆刻俳人といった変わったジャンルを志した趣味人、
その実体は、高知県の中華料理屋のオヤジ。
といった変わった方の俳句を引用させていただきました。
この賀状を受け取る奇特なみなさま、どうぞ笑ってやってくださいな。

さて、いまだにチェスタトンの世界に片足つっこんだままですが。
ブラウン神父シリーズは、ほんと電車乗り過ごしが勃発して困るくらい、
数秒でその世界に引き込まれます。
最終巻に、訳者の中村保男さんが詳らかにチェスタトンの叙述手法について考察されていますが
なにしろ、もったいないと叫びたくなるほど奇妙なプロットが瞬く間に解決されてしまう。
一向にすっきりするわけでもなく、読者は、ブラウン神父が頭を抱えて
「頭が痛い・・・」とつぶやき始めると、
「えええ!もう終わっちゃうの、こんなに素敵なタペストリー広げたのに」と
ショックを隠しきれません。

どんでん返しでもなく、叙述トリックでもなく、なんといえばいいのか。
きっと事件を解決することよりも、そこにある奇妙な人々の心の綾や
神父のつぶやく、人間くさいけど深遠な真理や予感とか
そして何より、チェスタトンが等量に重きを置いている、風景の美しさが
みんな同じ天秤の上に乗っかって、絶妙なバランスですっと収束するんだな。
そう、高速回転の遠心機にかけるには、きっちりとチューブの重さを合わせないといけないけど。
チェスタトンには、計算しつくされていて、ぐるぐると僕らに美しい回転をみせてくれる機微があり
一方で、その計算を匂わせない裏側に横たわる郷愁があるんだ。

本当のところをいうと。
僕は常に青いメランコリーを求めるきらいがあるので。
「詩人と狂人達」の方が好きだと言ってしまうのだけど。
キャラクタライズしにくいブラウン神父にも、もっと難解な齢を重ねて見出される
人恋しさが含まれていて、それが相棒のフランボウとの関係に淡く描かれている。

フランボウは、第一話では大泥棒だった。
芸術的な盗賊で、その美学ゆえに、ブラウン神父は、
一見どんくさい坊主という仕草を逆手にとって、延々ヒースの丘までつきあってあげたのだ。
それが数話目になると、木の上に隠れたフランボウに
お前の美学は、きっとそのうち、醜いものに変わってしまうよ。
ただの薄汚い盗人になってしまよと、改悛させるのだ。
フランボウも神父を相棒とみていて、探偵になったことをちゃんと楽しんでいる。

たとえば、ブラウン神父のこんな言葉が、とってもいいです。

「フランボウ」とブラウン神父――「あそこのベランダの下に長い腰掛けがある、あそこなら、雨にもぬれずに一服ふかせるだろう。おまえは、わたしにとってこの世でただ一人の友達だから、話がしたいのさ。というよりも、いっしょに無言でいたいのかもしれん」

『ブラウン神父の童心』「狂った形」創元推理文庫(1967)205p



あとね。
僕はチェスタトンの「童心」が存分に現れたところに突き当たると、うっとりが止まらなくなる。
こんなに綺麗で物悲しい予感に包まれた世界って、そうそう見つかりません。

 一夜、二人のボートは、長い草と短く刈り込まれた樹で覆われた堤のもとに碇泊した。力いっぱいに漕ぐことで疲れきっていた二人に眠りがたちまち訪れ、同じような偶然の理由から二人は明るくなるまえに目を覚ました。いや、もっと正確にいうなら、陽の光で明るくなる以前に目を覚ましたのである。大きなレモン色の月が頭上の鬱蒼とした草むらの向こうにようやく没しかけていて、空は濃い紫と青の混合色で夜すがら照り輝いていたからだった。二人は時を同じくして子供のころを想い出した。小妖精のことや、たけの高い草が森のように頭上に蔽いかぶさってくるあの冒険の時刻。低空(ひくぞら)にかかった大きな月を背景に伸び立った雛菊はまさに巨人の雛菊に見え、たんぽぽは巨人のたんぽぽかと思われた。この情景はなぜか二人に子供部屋の壁紙を想い起こさせた。河床がかなり低くなっているために、二人はあらゆる潅木と花の根の下に沈んで、草を下から見あげるかっこうとなった。
「これはすごい」とフランボウが言った――「お伽の国にいるみたいだ」
 ブラウン神父はボートのなかでまっすぐに半身を起こして十字をきった。この動作があまりに急激だったために、神父の友人は眼をみはって、いったいどうしたのかとたずねた。
「中世のバラッドを書いた人たちは、あんたよりもよっぽど妖精のことをよく知っていた。お伽の国で起こるのはいいことばかりだとはかぎらないのですよ」
「でたらめをおっしゃい」とフランボウ。「こんなに無垢な月のもとでは、よいことしか起こるはずがありませんよ。ぼくは断然もっと深く入って行って、どういうことになるか見届けたい。こんな月、こんな気分にはもう二度とめぐりあえないうちにぼくらは死んでしまうかもしれないもの」
「いいとも」とブラウン神父。「お伽の国に入るのは例外なくいけないことだとは言ってませんよ。そうするのは例外なく危険だと言ったまでです」

『ブラウン神父の童心』「サラディン公の罪」創元推理文庫(1967)217p



実は、まだ一冊目なので、また素敵な部分があったら、書きたいと思います。
その前に、年賀状を投函しないとね。
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