2017-03

覗き込んだら、後から呼ぶ声が聞こえたよ

寒くなったらホットカーペットの季節です。
ぬくぬくで幸せだけど、猛烈な睡魔に襲われながら、入力頑張ってます。
日記は、下書きしては嫌気がさして、ざっくり消してばかりです。
もっと肩の力を抜きましょうよ、絹子さん。

ということで、「詩人と狂人たち」を読み進めています。
当初、あまりの奇妙な切り口に、唖然としていたのですが。
そもそもミステリーと呼ぶならば、QとAが存在するはずなのに、Aは元よりQさえ霧の彼方に消えてしまっている。
半分を超えた所でようやく、この話は、基本的には新たに生まれようとする狂人、あるいは図らずも生まれてしまった狂人たちを詩人ガブリエル・ゲイルが救おうとする筋立てだということが分かった。
ただゲイルは「狂気」が花を開かせる瞬間を捉えることができる稀有な存在で、
当然ながら読者を含めて一般人はそんなサインを捉えることが出来ないわけで、
ゲイル自身の方が先に狂ってしまったと、みんな感じるのだろうなあ。

こんなおかしなおかしな物語ですが。
「木曜日だった男」の解説や、チェスタトン熱に油を注ごうと企てる素氏が持ってきたエッセイ集「棒大なる針小」を並行して読み進めると、色々と考えさせられることが出てきます。

例えば、「木曜日」の解説で南條氏は冒頭に捧げられた詩が、チェスタトンの若き日の苦悩を示していると示唆しているのですが。
セント・ポール校を卒業した彼は美術学校に進み、そこで詩作や絵画に没入しながら、狂気寸前の精神的危機に陥ったといいます。
ガブリエル・ゲイルは詩人であり同時に画家であり、常人では感知できない「狂」の信号を鋭敏なアンテナで掴み取る稀有な存在です。
チェスタトンの淵に立たされ、呑み込まれんばかりに立ち尽くした状態と完全にシンクロした人物のように思えます。

「ガブリエル・ゲイルの犯罪」という一編では、その鏡面構造が如実に現れています。
かつて牧師だった青年が、いつも彼が招待された日に雨が降るために雨男呼ばわりされて、からかわれている。
ある夜、彼がやってきた瞬間、今まで晴れ上がっていた空が掻き曇り、激しい雷雨となった。
ゲイルは『神様になったような気分になるだろう』と追い打ちの言葉を投げかけ、さらにふらふらと牧場への坂道を登っていった青年を追いかけ、投げ輪で捕まえて大木に縛り上げ、熊手であわや殺そうとしたのだった。
遂にゲイル自身が発狂したと周囲は大わらわになっている状況の下、ゲイルだけが落ち着きはらって、自分は狂人すれすれの電撃療法で、青年を狂気から解放してやったのだと述べるのです。
粉砕へ向かう懊悩をほんの数ミリ下がって俯瞰するゲイルの言葉には、じんわりと涙を誘うものがあります。

非常に多くの青年が発狂の一歩手前まで行きます。けれど、大部分はそこで留まり、普通は正常さを取り戻すのです。一定の異常期間があることは正常であるとさえ言えるのです。外界の事物と内心との釣り合いが不調になると、この異常期間が始まります。あなたがたがご存知の大柄で健康な男生徒たち、クリケット競技と菓子屋にしか興味のない生徒たちは、うちに秘めた逞しい不健全さではち切れんばかりです。ところが、この青年の場合、異常さは彼の外観にさえ象徴的に現れていました。彼の図体が大きくなって服が合わなくなった。足が半長靴に入らなくなった、そんなふうなのです。内部が大きくなりすぎで外部に合わなくなったというわけです。彼は外部と内部とを結びつける方法を知らず、たいていは結びつけずにいます。ある意味では、彼自身の精神と自我とは一個の巨大な宇宙と思われ、外界のすべては些細で遥けく見えるのですが、逆に言えば、彼にとっては世界は大きすぎ、彼個人の考えは、しまい隠しておかねばならぬ脆弱な品物というわけです。このような不釣合いに秘密を保ちたがる症状を呈する人はいくらでもおります。ひどい学校で行われていた嘘のような暴行沙汰に関して、少年たちがどんなに固く秘密を守ったか、あなたがたはご存知でしょう。女の子は秘密が守れないというのは事実かどうか知りませんが、秘密を守ることのできる男の子は、破滅しやすいものなのです。
さて、この危険な異常期間中に、特に恐ろしく危険な瞬間があります。つまり、主体と客体、頭脳と現実の事物とのあいだに最初の連結橋が架けられるときがそれです。それがどんなものであるかは時と場合によってまちまちです。本人の自意識を強めるのが普通ですけど、自己欺瞞を強化することになる場合もあるからです。あの青年はあれまで一度も他人の注意を惹いたことがなかったのですが、そこへ、フラムボロー夫人にあなたは雨男だと言われたのです。しかもそれは、彼の平衡感覚と未来感覚とが完全な錯乱状態に陥った直後だったのです。
p124


この一編を読み終えたとき。
深い安堵とも羨望ともつかない音なき溜息がもれました。

イギリス人独特のギチギチと笑いたくなる嫌味エッセイが書けるようになった、チェスタトン。
genuine crisisとでも呼べばいいのか。
通過儀礼とでも呼べばいいのか。
過ぎ去ってしまった、俯瞰できるようになった。
そして正確に深奥を描き直すことができる時が訪れているチェスタトンの凄さに感嘆しながらも。
決して淵から離れられない人間、
大きな器に小さな心のアンバランスに永遠にふらふらしている人間にとっては、
ゲイルの言葉が「今眼前にあるもの」のように思えて切なくなってしまうのも事実なのでした。

少々薄暗くなったけど。
チェスタトンの笑い(今回も笑いのつもりなんだけどねえ)については、もう少し続けたいと思います。

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(1999/10)
G.K. チェスタトン

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