2017-08

イヤミに捧ぐ

周辺では国内外の旅行から戻ってきた人がわんさといて、
毎日お土産をもらってばかりの日々ですが。
こちとら夏休み一日もなく、臨床に隣接した仕事のせいで一日呆然と辞典作業ばかりこそこそやって眼球痛めていながら、夕暮れになるとオペ室や外来を走り回って、知らぬ間に外は大嵐てな毎日で、くたくたになっています。

ちなみにこれは、ドバイなんぞに行った人のお土産。

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そんななので、ぼんやりと子供の頃の夏休みのことを思い出していました。
僕はガリ勉ママの第一子だったので。
小3から塾通いでしたが(まあ、幼くして学校社会に馴染めず、塾の方が生き生きしていたから別によかったんですけど)、夏休みといえば毎年のように出されていた宿題の数々。

学校は港町にあったせいで、必ず「船」を作らねばなりませんでした。
僕は体育が延々と「2」のアヒルちゃんで、しかし柔軟と水泳だけは並だったから。
だったら浮かぶ船を造ればいいのに、まるでインドア派を象徴するがごどく、6年とも浮かばない船を造りました。
いやいや、妹二人も浮かばない船を6隻だったわけですから、ただただ飾り付けだけを、それも某薬局のカエルがマドロス風に甲板に立つケロヨン号、ストローや伊達巻きのパッケージやらを繋いだデッキ、万国旗はためく謎の貧相客船が18もできあがっていったわけです。
そして、「船を浮かべる会」(於プール)で水に濡らさないように佇むのは、きっと三姉妹とも同じ光景であったことでしょう。

また模造紙一枚で仕上げる、実験もいろんなことをやりました。
頑張ると、学校代表で大丸の展示会に飾ってもらえたから・・・というわけでもないんだけど。
変な実験が楽しかったの。
一番悲惨というか、臭かったのは。
ジャガイモの腐敗実験。
ビニール袋に水と一緒にいれたりして、いかにもカビそうなものを、さらに炎天下の屋上にさらして、腐り具合を観察すると。
デジカメなんてないのに写真まで撮って、よくまあ、袋を開けて、うわああああと叫んでいましたよ。

もうひとつの思い出は、夏休みアニメ大会。
どこのチャンネルでしたかねえ。
朝9:00-11:30くらい、みっちりみっちり、アニメがこれでもかと再放送の嵐です。
もしかしたら関西ではまだ同じことやってくれてるのかな。
僕は高校生になっても、あの時間を満喫していました。
いつもお膳代わりに、アイロン台で特等席を作って、取りあえずドリルなんぞ広げているわけですが、CM以外はほとんど画面に釘付け。
脇には、粉末を規定の二倍量使った緑鮮やかなサイダーやチューペット。

再放送が多かったのは「ド根性カエル」「エースをねらえ」「さるとびえっちゃん」「明日のジョー」「クリーミーマミ」「はじめ人間ギャートルズ」「妖怪人間ベム」とかかな。
大嫌いだった「かぼちゃワイン」「みゆき」「レインボーマン」「ハイジ」のことも、憎むゆえによく覚えています。
先日天に召された大先生の作品は、どうだったろう。
「おそ松くん」も「天才バカボン」も何度も観たけど、アニメ大会だったかどうか。
僕は、赤塚キャラはそんなに思い入れがなくて、バカボン一家もレレレのおじさんも、ダヨーンもケムンパスもそんなに好きじゃありません。
でも、イヤミだけは別。
イヤミの何もかもが可愛いってそう思えます。
まあ、「ギャートルズ」のガイコツや「怪物くん」のドラキュラ、「ドロロンえんまくん」のシャポーが好きに通じるところでしょうか。

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と、前置きが長くなりましたが。
色々本は読んでるのですが、なかなか巧く熟成しないので。
本日ほぼ読了した、マルセル・エイメ「クールな男」(福武書店)のイヤミっぷりについて少々書こうと思います。
福武書店はすっかりベネッセになってから別世界に行ってしまいましたが、この文庫が発刊されていた時代は、素敵な海外文学が目白押し。
ゆえに、現在も絶版文庫の中ではなかなか入手しづらい古書に位置づけられています。

短編集の読み方は、できるだけ短いモノ、表題作というのが僕のとっかかりです。
いわばグラスの縁に唇を添えて、tastingしている時間。
(かっこつけるんじゃないよ)

今回の始まり「クールな男」にはちょっと首を傾げました。
ありきたりといえば、ありきたり。
たとえば場末の酒場で隣の二人組が気だるい面持ちで交わす噂話のよう。
いますよね、こういう人。
平凡からの逸脱か、生活苦も切羽詰まった状況もない立場から、己の信念(といえば聞こえがいいですが)若さ故の連帯に対する嫌悪感に苛まれ、アウトローに身をやつす人。
彼は浮浪者になり刑務所を転々とし、殺人を厭わない強盗団に身をやつす。
誰をも信じない男は、不意の気まぐれで仲間を裏切っても、風のように漂っているだけ。
噂話としては若干悪辣ですが、まずもって、目新しさを感じない一作目であったわけです。

しかしながら、他の話を読み進める内に、僕の眠たい目は俄然ピカリと開かれていきました。
分かりやすい人といえば、こんなに分かりやすい人はいないでしょう。

エイメは確実に性悪説に彩られています。
宗教心も一切もっていません。
徹底した人間不信と諧謔に満ち満ちているのに、それがどこかしら可愛いイヤミだと思えてしまうのは、なぜなのでしょうか。
「クールな男」では発揮されていなかった奇異な題材が、見事に読むものを惹きつけるからです。
そして、読後数分経ってもういちど筋を思い返そうとすると。
終盤までは克明に映像が浮かび上がってくるのに、結末がどうだったか、急に暗転する感覚に襲われます。

たとえば滅法面白かったSFもどき「ぶりかえし」では。
有能な弁護士である父をもつ18才の女性が、婚約者である父の部下の26才の男と甘い恋の囁きを交わすところから話は始まります。
彼氏とのいちゃいちゃを家族に咎められないかとジュゼットちゃんは戦いているのですが、何やら家族のなかで喧しいのは御年68のおばあさま。
「さあ、一年24ヶ月法に投票しなくちゃ。みんなもそうしておくれだよね」と。
この法案、右左翼的人物が多数登場するこの短編集では、またその手の政治的話題?くらいに思っていたのですが。
いやはや法案が可決された瞬間、世界は一変してしまうのです。

1年が24ヶ月になるのは暦の上だけではなく、国民の加齢進行も時間を半分になり、68才のおばあさまは、34才の肉体を手にいれて、「色情狂」と化してしまうわけです。
(面白いのは、この変化ががフランス国籍を持つ者だけに起こるという事実)
そう、老いを感じはじめていた大勢にとっては、この1/2効果はすさまじい幸福を呼び起こしますが、一方若さを謳歌していた者は・・・。
大人の自由を知った後に子供としての不自由を強いられ、貧弱な肉体に閉じこめられるという、二重の束縛下に置かれたのでした。

「ぼくがまちがっているって言うのかい、ジュゼット!物覚えが悪いんだな。でも、ぼくは決して子供時代のことは忘れないぞ。いつまでも続く期待と絶望の時代。はずみをつけて跳ぼうとすると、いつも罰をくらった。それに善良な両親。でも陰険で、慎重で、狡猾で、ぼくたちの目のまえで、禁じられた世界の扉をほんの少しだけ開いてみせる。でも、ぼくたちは何も見ないし、何も聞かないふりをしなくちゃならなかった。それに読んじゃいけない本。それから、ぼくたちには理解できないことになっていた会話。人を招待した晩は、ぼくらだけ部屋へ閉じこもってなければいけなかっただろう」167p



昨日までの婚約の喜びに打ち震える乙女ジョゼットは、惨めな子供に戻ってしまった我が身に泣きじゃくり、同じように少年に戻った兄ピエールの言葉に、より一層の悲惨を思い知る。
そして兄は仲間たちと法案を覆すために、集会から集会をかけずり回って演説をぶつ。
たとえ子供に戻っても気持ちは変わらないと信じていたジュゼットは、婚約者が肉体は同じように脆弱になってしまったにも関わらず、大人の味方をし、大人の女にしか恋を語ることはないと、手痛い婚約解消を告げられるのです。

いやあ、この設定、最高に面白い。
もう、以前の僕なら、もらっちゃうよ、これ!
と某二青年の恋路を書いていた半年前なら、必ず使わせてもらうと叫んでいたことでしょう。

ぼくは屈折した子供の話、子供ゆえに欲情に満ちあふれた子供の話、破壊的な子供の話が大好きなので。
そういう意味でも私的に傑作に値すると思うのですが。
話は、さらに暴力的に変化していきます。

泣きじゃくっていた少女は、無理矢理連れ出された集会の熱気にあたって、自分なりの砲弾の向かう先を知ります。
街頭では、法案を残したいと若く甦った大人達と、子供達の銃撃戦が開始されました。
ジョゼットは婚約者の元にもう一度向かいます。
もう縋ることなどしません。
「大人の女」しか相手にしないと言った少年を全裸にして、真実貧相になった肉体を嘲笑してやります。
すっかり弱った婚約者は、尻を蹴飛ばされて、散々に罵られても、うずくまることしかできません。

外では、延々と激しい砲弾の驟雨が続き、部屋の中では二人の少年少女が、空腹を満たすために全く口もきかずに、食べ物をむさぼっています。
ふーんだ。
ふーーーんだ。
あっかんべえ。
みたいな感じで。

なんだか、「愛の嵐」のあの素敵なジャムのシーンを笑い飛ばすが如く、アンチロマンに仕上げているようにも見えます。
けれど、僕にとっては、こうしたひねくれた描き方に相当素敵なものに見えました。

さて、ご想像通り。
法案は撤廃されました。
描かれてはいませんが、大人達は元の姿に戻って、暗鬱な日常を取り戻している頃。
みるみる二人の体は成長し、ジュゼットは豊満で魅惑的な肢体を取り戻しました。
愚かな婚約者は掌を返して、再び彼女に迫り始めました。
ジュゼットは、もう無知だった以前の彼女ではありません。
婚約者がいかに軽薄な男であるか、よくよく知ったのです。
そして、男を蹴飛ばして飛び出していきました。

もう中途から僕は、結末を幾重にも想像し、分岐点を頭の中で広げては愉しんでいました。
こういうRPGのアルゴリズムめいた予測が枝葉を延ばす瞬間を堪能できる読書は、特に楽しいものです。
主人公は、最後まで泣き暮らすことも可能だったでしょう。
兄と共に戦いに身を投じることもできたでしょう。
そして、新しい恋に向かって進むことも、99%可能だったでしょう。
でも、ジュゼットは、もっとも不可解で、もっとも哀れにも美しい選択をして、物語の扉を閉じてしまいます。
(読んだ人のおたのしみ♪)
おそらく、そんなことになったのだろうと。
もやもやと不定型な扉を使って、読者を遮断してしまいました。

勿論全体を覆う、アナーキーな天に唾する、観客に唾するアナロジーの数々もさもありなんですが、結末の曖昧さこそ、エイメの孤独の一端を明らかにする手法のように思えてなりません。
他者(読者)を惹きつけるだけ惹きつけておいて、雲隠れする。
勿論選ばれた結末は、想像の範囲外とまではいえないけれど、それこそ「クール」でもなく、「華麗なオチ」でもなく。
タコが放つ煙幕墨のごとく。
我々の余韻も残された想像力も見えなくして、消えちゃうのです。
この不埒な可愛いげのなさこそ、一部の偏屈者には愛しいと思えてしまうのでしょう。


「ぶりかえし」で示された、グラスの「ブリキの太鼓」に通じる強烈な皮肉は、「こびと」という短編にも受け継がれています。

精神は大人なのに、肉体は子供だった「ぶりかえし」。
一方の「こびと」では。
精神は侏儒、芸人仲間から大切にからかわれ、小さな肉体には邪気の入る余地がなかったはずの侏儒のまま、肉体は普通の成年男子と同じ、容姿は美貌を湛えてしまった男の物語。

普通の青年のなりになっても、彼は何もすることができません。
蛇男とからまり、甲高い声できいきい叫んでは観衆を笑わすことができた存在は、もはや曲馬団にとっては完全なお払い箱なのです。
新しく芸を習得しようと思っても、結局は何もできずじまい。
勿論、サーカス小屋から一歩もでたことのなかった彼にとっては、パブで酒を呑めば、金を払わねばならないことも、まったく知るよしもなかったのです。

そして、彼は、観客の中。
個を失った群衆の中に埋もれて、消えていきました。
舞台袖から観客席を眺めていた団長の、最後の囁き。
「こびとは死んだよ」は、連帯の闇の中に沈んでいった哀れな人間の姿を示唆しているのかもしれませんな

何も信用するな。
つながりをもつな。
全てを斜めから見て笑い飛ばしてしまう。
そんなエイメをまた、斜めからみて今度は切ないと思ってしまう、素敵な時間でした。
じゃ、またお家にあるはずの、他のエイメを借りて読んでみたいと思います。

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