2017-08

片羽

絹子と満ちるの関係。
それを示唆する文章に出会ったので、少し長めだけど引用してみる。

分身、もしくはドッペルゲンガーの主題は文学の歴史とともに古い。いや、ここはやはり、人類の歴史とともに、といい直すべきであろう。おそらく遠い遠い昔、人間が四足であることをやめて直立歩行に移り、頭脳と生殖器が同一水平線上に位置しなくなったときから、このドラマははじまっていたのだった。
いわゆる霊肉の相剋、もしくは上半身と下半身の対立の図式こそは、人間の分身意識のもっとも原初的な表れといえよう。精神と身体とがしあわせな太初の一体性にまどろんでいるかぎり、こんな悲喜劇は生じなかったはずである。
幸か不幸か、言語中枢は明らかに上半身に所属しており、これにひきかえ情動の主たる源泉は下半身にある。とすれば、いやしくも言語芸術を志すほどのひとは、意識するしないとにかかわらず己れのこうした二重構造、もしくは分身の存在をいやおうなしに認めてしまっているとみても差支えないのだろう。極言すればこの分裂の自覚こそが作家成立の条件なのであって、その余のことは結局、些細な問題にすぎない。

矢川澄子「二人の翠をめぐって」
「『父の娘』たち―森茉莉とアナイス・ニン」より



昔、満ちるくんの同級生に「未知」という子がいました。
11才から14才まで交換日記を毎日していました。
中学校は別々になったので、最後の方は電車に乗って日記を渡しにいったらしいです。
満ちるくんは、当時は「満ちる」という名ではありませんでした。
でも、未知ちゃんのことは、みんなが「みっちゃん」と呼んでいるのに
「みつる」と呼んでいました。
未知ちゃんもみつると呼ばれるのが好きだったみたいです。
みつるのお友達がずっと先に、「満ちる」になったのは、何かのつながりがあったのかなかったのか。

遠い日の子供達は、遠い日の女の子達は、
男の子になりたいなんて思っても見なかったはずなのに
そんな予感を孕んでいたのかも知れません。

かといって、天井に棲んでいて、じっと絹子を眺め下ろしていた絹子’が地上に降りてきて満ちるくんになったわけでもないのです。
相変わらず、天井にはずっともう一人の絹子がいるのですが、最近はじーーーっと見ることはやめて、真っ黒な空を眺めていることが多くなったというだけのことかもしれません。


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