2015-11

清らかなる

高校一年生の時
訳もわからないまま参加した全国大会で歌った課題曲。
ラッススの「シオンよ汝の婚礼の間を飾れ」Adorna thalamum tuum, Sion
これが一番編曲が似てるかな。

今でも歌はよく歌う。
道歩きながらとか。
清らかになる。
ミサ曲は上昇音階で天に昇ってゆく気持ちにさせてくれる。



こちらは映像はいいけど、声質と後半の編曲がちょっと苦手。




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miruka

明日の用意(文フリ)をしないといけないのだけど、
ずっと今日買ってきた文庫二冊読み切ってしまい、
気分は宇宙に飛んでいます。
音楽も声も外見も好きだけど、何より僕はこの人の思考回路に惹かれます。
がむしゃらに落ち込み続け、その分そこから抜け出そうと足掻き、また落ち続け、花開くもの。
才能がないからこそヒドラのごとくわらじを増やしてゆくさま。
同じようにウツに入り、堂々めぐりして、叩きのめされて行く人はごまんといるけれど、
速度が違う。
孤独のなんたるかを知り、内省から脱却し、「自分を思う」より「人を思う」ようになった人。
熱血でもなく、格好良くもなく、ただただ生き急ぐように駆け足で悟る人。

僕は昔のことに思いをはせるのが好きだけど。
むしろ年下の人の方が話していて楽だったりすることもある。
押し付けたりまして教えることなど何もなく。
あまりに自分がつたないがゆえに、同年輩の人と歩調を合わすことが出来ない。
回転数が低く、往々にして逆回転もし、数年にわたり止まる。
この年になっても、いつも新米、新参で、未熟で、
何より継続することができていないゆえに、同年輩が「経験者」になってしまう。

殻はこわれない。

人の日記を読む時。
内面を晒さないレビュー的なものより、
大辛口や時に雑言や、あるいは救いのないウツな言葉を見る方が楽なのはどうしてだろう。
そういうものを吐かないことが美徳、スマートさのように人はふるまうけれど。
でも、人のものを僕がむしろ歓迎しているからといって、
僕のウツは誰も歓迎しないだろうということは、よく判っている。

その人はこういう。
人見知りだと公言することは、ダメ人間なんで気を使ってやってくれと押し付けているのだと同じだと気付いた時、口にするのをやめましたと。
人見知りに限ったことではない。
ある種の病気自慢のようなものだ。
かまってちゃんなのだ。

別の人もこういう。
日記をネットに公開する意味などない。
書いたとて、自分だけが知っていればいいことなのだと。

孤独を大事にしているのなら、それをそのまま継続すればいい。
胃を引っ張り出し、壁に叩きつけるような、嘔吐と悶絶はおそらく誰にもあるのだ。
卒業出来た人も、かつてはあったのだ。
それを実感できないにしても、日々はすぎてゆく。

僕の手のひら返しにもみえる諸行は
結局のところ、嘔吐を初回に耐えて、ミザントロープを隠しきれなかった証にすぎない。
他者の心を知るまでにいかなくとも、自己憐憫の押し付けをやめるべきなのだ。

外に出たくないなら、外にでなければいい。
ないものねだりをやめればいい。
ミザントロープを突き詰めればいい。

散々満ちるという、かつて使っていた名前のように、
砕け散って、同時におかしいくらいに飽和すればいい。

おそらく呪わしく響く彼らの雑言も、
抑制のきかないように見える辛口も、
ただ幼さを捨てたところにあるので、
撞着から離脱しているので、
隠語を使わぬすがすがしさがあるので、存在し得るのだろう。




先見の明

新しい職場で一番話をする子は僕より20歳若くて、しっかりさんだ。
彼女は一歳の女の子のお母さんで、しゃかりきに生きている。

実験が好きで好きで、昼ごはんもろくに食べず、定時より早くきて、ぎりぎり残業して、走り回っている。
オボカタ事件でもよく知られるように、この世界では実験ノート作成が不可欠だが、彼女はその記録に時間をとられるのを嫌う。
なので週末はこっそり持ちかえって自宅でそれをやってしまうくらい、実験が好きだ。
わずかな時間でも閑な時ができてしまい、僕がちょっとヤバイーと走っていると、手伝います!と叫ぶ。
手を動かしていないと死んでしまうモグラみたいに、マイクロピペットを握っていないと倒れるといわんばかりに。

隙あらば昼休みを長めにとり、煙草を吸いにこっそり抜け出し、人がいない日は早くあがってしまう、ネズミ部屋でこっそり校正やっちゃうような、サボリの僕とはまさに対照的なのに。
なぜか、彼女は僕に一番気を許しているようにみえる。

なんとなく、そんな気がしていたが。
彼女もまた、人と一緒に食事がとれない人だったのだ。

「女子な話が大嫌いなので」
「コミュニケーションのために、たとえ給料でなくても一緒に食事しろって、コウーディネータが言うんだよ」
「それは、ひどいですね。無理ですよ」
「無理だよ。人と話してたら休憩にならないし」

ふふふとお互いシャカシャカ実験しながら、笑いあう。
とはいえ、彼女がいうほど、ここの同僚さんたちはひどくない。
コドモ、ビヨウ、ダイエット、ファッション、ワルグチの呪いの内、コドモ以外は極めて少ないからだ。
この間も、誰一人としてマスカラ使ったことがなく、僕のビューラーの使い方不明説に同意してくれた人多数だったから。
子供の話は、まあ仕方がない。
というのも、先見の明があるのか、三十代前半の上司は、あえて子持ち主婦を選ぶようにしているから、9割以上がそういう人で占められている不思議空間。
恐らく上司からすれば、子供の病気で急に休まれることよりも、子持ち主婦の有能な部分、たとえば限られた時間でテキパキ実験をする、問題があったら恥じらいなくすぐに報告する、整理整頓の工夫がある、お互いにコミュニケーションがとれ、自発的に分担仕事をこなせる。。。
なんていうことをちゃんと判って人材選びをしているのだろう。

いや、本当に驚くほど、みんな自発的にサクサクいろんなことをこなすので、驚いてます。
この9割からもれた、一応なんちゃって主婦ではあるがダメダメな僕は、おろおろしてしまうほどに。

そうそう、先の子は、こんな話をしてくれた。
寛解したけど白血病になって、自分の生殖能力が疑わしくなったので早く子供が欲しかったのだと。
ほー、ほーと僕はそんな生き方もあるのだと、共感はしないけど、興味深く聞いたのだ。
「実験だけじゃなく、生き方も前倒しやね」
これが笑いながら、後ろ倒しの僕が返した言葉だった。



導火線消火栓

結構自分はしゃきしゃきした人間だと思ってたんだ。
でも。
すごく喋るの遅いらしいことが判った。
そういえば、まくしたてるように喋る人は苦手だった。
でもって、最近鬱の導火線が、びっしりと張りめぐらされているせいもあるのだろうけど。
相手のささいな一言で、フリーズするようになってしまい。
一瞬。
なんでこんなにこの人、生真面目なんだろうとか。
スルーしようと思ってたのに、暴きだすんだろうとか。
ああ苦手だと思ったの正解かもとか。
どうでもいい、ダークな思念がさっとよぎる間、
「迅速なひと」にはそれが、非常に長い時間に思えるようで、
「大丈夫ですか!」と背中をたたかれる。
それで、火花がばちっと飛んで、導火線に火が。
火というか、水をぶっかけられたような感じで、わずかに保っていた呼吸装置が停止して、胃の下に鉛がぶらさがったようになる。
そうすると、ますます血流がなくなって、言葉が喉の奥で止まってしまう。

この年になって吃音みたいになる。
たくさん喋れる人にだけ言葉があるのではなく、むしろその逆だろうと思う。
時間は伸び縮みし、特に一人でいる瞬間、夜のかけがえのない時間はどんどん縮んでいく。

魯鈍、愚鈍。
この音の、なんてのっそりとした響き。
三年寝太郎は、結局ことを成したわけだが、のっそりのっそりで終わることがほとんどだ。
普段みない鏡をのぞきこむように、驚きをもって、受け入れる。

眼球

美しいものをみて心を洗うのは誰もがおこなう浄化方法だ。
ただ人それぞれ「美」の極点があまりにも異なるだけ。
この世には秘められた美しさが無限にあり、表層的で一般化された記号のみでかりそめの満足を得ている人は、あまりにももったいないことをしているとしかいいようがない。

平塚市美術館に「画家の詩、詩人の絵」展をみにいく。
文字通り、画家の言葉と
(それらはあまりにも苦悩に満ちた青ざめた死の匂いに満ちた詩が多かった)
それらに呼応する絵が並んでいた。
学芸員さんの腕の見せ所、画家も詩人も既知の人がほとんどだったけど、作品はそうではなかった。

どんな絵が好きかと問われると、答えに窮する。
静物/風景/人物・・・○○派、▽▽主義とかは関係がない。
同じ作家でもすべてを肯定することもない。
比較的版画や大正末期から昭和初期には惹かれやすい要素が多いけど。
内省的な絵が好きだ。
あざといメッセージ性はいらない。
具象と夢幻のあわいから、恐ろしい緊迫の鼓動が聞こえたり、色彩と描線の滲みから沈みゆく憂愁の風が漂ったり。

今日の一番は香月泰男の「水浴」
なんて美しいビリジアン。
夏のプールの端のコンクリートに寄る三人の少年たち。
水面と夏の空気が濃縮されると毬藻をぶちまけた以上の輝くビリジアンに変わる。
熱気もはしゃぐ音もすべて色彩に飲みこまれて、凝固している。

こんな偽の画像じゃ伝わらない。
詩をもつ前に、言葉を持つ前に、何百倍もポエチックなのだから。

suiyoku.gif

声の

人の言葉の一つ一つを覚えている。
反芻して擦り切れるまで意味を考える。

自意識に潰されることもあるのだと
最近読んだ言葉も反芻する。
しかし反芻してはならないのだ、これは。
その忠告は自己に対峙すればすれほど
自壊することを示唆していたから。

誰をも嫌うことはない。
誰をも憎むことはない。

毎日の渡された言葉や視線や仕草に
意味がないと思わねばならない。
みな思考を手放して
足元の糸のような吊橋を堅牢だと信じて
歩いてゆく。
意味がないと思わねばならない。
反芻は罪である。

しかし
停止しても恐怖だけは残響のごと
耳殻から背筋から爪先からへと震動する。
ついに息の根をとめる。
その間歇的な心停止、
絶叫とともに脱兎する衝動を
反吐を掬うように飲み込みやり過ごす。

意に反するもの
不可解なもの
醜いもの
全て飲み込み、
灯り一つ、橙の灯り一つだけの公園に
僕は毎夜、這う。


いつだか
こんな風に
いやもっと不味い暗喩で
人を怒らせてしまったな。
それは窃視されたような
いや糸の吊橋と分かって渡った橋から、
あっけなく無様に落下したようなものだったか。

自意識の砦以前に
人には呼吸できる場がいるのだ。
物理的にも。

微笑んだままの
恐ろしい言葉。

まだ黄ばんでいればいいものを
真っ白な歯を精巧に光らせて微笑んだのだ。

投擲板は無惨に軟弱で
めりこんだ球は落下もさせえぬまま
窪みともに鉄を腐食した。

どこにも通用する社会性を手繋ぎしては
かごめかごめと、
彼らは唄いつづけてゆくだろう。

明日の昼も
来年の坂道でも、
十年後の映画館でも、
焼かれた骨が雨水に流されても。

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絹山絹子

Author:絹山絹子
狸穴幼稚園の図書委員

kochairo@hotmail.com
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