2015-02

思案

自分から辞めるといわなかったのは
どこでも不適合だからなんだ。
だったら実験が時々できて、合間に原稿もできて、変人呼ばわりされても一日貝のまま放置して貰える方が楽に決まってる。

あと三ヶ月か。
しばらく休息できるかなあ。
人の気配を感ぜず、酸素いっぱい吸い込める時間くるのか、嬉しいなあ。

不安は傍らにある。
お家で出来る仕事なんてないものなあ。
せめて黙々系、自閉系なのって、先のこと考えても仕方ないよ。



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鏡像

内弁慶な母親が家の中で異常な暴れ方をするようになったのは、僕が中学生の頃からだった。
そうほぼ今の僕と同じ年。
恐らく更年期障害に伴う精神不安定が起因である。
彼女の場合、過剰な責任を自身に科し、甘えたい気持ちを全て暴言と暴力で父に転嫁することでしか、社会生活の安定がはかれなかった。そこに少量の酒という引き金が加えられると、症状は加速する。警察や消防も幾度か来た。けれど、外部の人間は誰も本質は見抜けず、僕たちも口を噤んで耐えていた。
僕は二十二歳で家を捨てた。
それからも誰も彼女を病院へは連れて行かなかった。

おかしなこと、というか。
引き金は引き金のまま、70を越えた今も、攻撃する相手が密室にいれば、攻撃してこられるのだ。
更年期は終わっているだろうに。

僕は刃を自分に向ける。
他者は引き金ではあるけれど、多くの他者には何の責任もなく、一部の他者の『下品』さが、嘔吐を誘うだけだ。
鏡のよう。
刃の向きが真逆。

それはね、僕に甘えたくない心棒があるためです。
依存を呪わしく思うせいです。
攻撃するより、内省という苦しみを選ぶほうが、甘えられて育った僕には楽だからです。

しけもく

タンパク定量の合間に復刻作品入力、それから文藝協会へ著作権からみの申請。
久々の定量、検量線の傾きがパーペキの1になる。テクニシャンの鑑だな。
午前中は、ヤマトのビジネスメンバー関係で散々なたらい回しにあう。
最後には切れかかりました。
デジタル化進めたいかもしれないが、月に15件コレクト発送だけで、伝票自分でデジタル印刷しろって、手書きの方が断然早いし、ミスも防げるのに。押しつける割にサポートなし。
メール便廃止だけでも相当機嫌悪いのに。

喫煙公園だけ呼吸ができる。
シケモク拾うおじいちゃんに火を貸す。
シケモクだから、直ぐに終わりがきて、火が移せない。
おじいちゃんにライターあげました。
喫煙所だけ、お喋りや挨拶できたり、少し寛い心がでる。
ここだけ、僕の居場所。

ゴミゴン

そんな怪獣いたかなあ。

ゴミやハナクソにも失礼だと言われ
そういう風に舞うどうでもいい存在にもなれず。

生きること自体、
毎日地球に乗っかってる自体
辛くてどうしようもない、、、
どこにも道はない。
これが子供の頃には一番想像不可侵だった処だな。
子供の、切り開けない不自由な、
あの苦しさより
もつと悲しい闇があつたんだな。

病院行っても薬漬けだろう。
たくさん知ってる、薬でフラフラさん。

きれいなもの

心が疲れているときは綺麗なものが見たくなる。
それはありふれた心理浄化作戦だ。

ということで、下町とは呼ばない旧貧民窟な吾が東京市深川区から都バスに乗れば
永代橋を越え、兜町、日本橋、そして丸の内に到着。
江東区は今も場末感があり家賃安いわりに、都心へのアクセス抜群なので
暮らしやすい街ですよ。
まずは、オアゾ丸善四階で「米倉斉加年 憂世絵展」へ。
角川文庫「ドグラ・マグラ」の表紙といえばわかりやすいかも。
売れない俳優時代糊口をしのぐために絵筆をとって、
仲間からは気味悪い絵だと評されたが、宇野重吉氏には誉められたエピソードが貼られていた。

ukiyoe.jpg

虹色の紐を纏う女性像もよかったが、
やはり目の焦点を失った狂女の姿がことさら美しい。
余白の白を存分に使った作品が多い中、
入口付近にあったグラバーの息子と題された碧の眼の異国の男性像は、重い闇に顔が浮かび、視線が渦を描くようで、不気味で美しかった。
本当はもっとエログロ要素のたかい作品があったら嬉しかったのだけど、
丸善だとこの辺が限界でしょうか。

平日なので人も少ないので本当はもっとゆっくり見たかったし
絵葉書や色紙なら手に入れることも出来たけれど
普通の画廊の展覧会とは異なって、店員がまとわりついてくる。
そして、妖しさを封じた幼い恋人たちを描いた作品について
「これが息子さんの結婚式のためにかかれた……」とかなんとかしつこく云ってくる。
米倉作品に惹かれる人の多くは、そんな日常を欲していないだろう。
結局、振り切るように洋書コーナーへと逃げ出した僕だった。

画廊は絵を売る場所である。
予約の入った作品には赤や金の売約済のシールが貼られている。
いつもそのシールを眺めては、この子達が巣立つ家を思い浮かべる。
大事に愛でてもらえるのだろうかと。
売買という経済サイクルが成り立たねばいけないのは重々承知だけれど
僕個人でいえば、物を、特に逸品を個人が蔵する責任を果たすことは出来ないと
最近より強く思うようになってしまった。
管理という意味でも、愛でるという意味でも。
金額が出せるか否かではなく、死蔵し気を済ましてしまうことが恐ろしいのだ。

気を済ますって、時間を断裁するような行為だと思う。
勿論、済まさねば、動けなくなることも多いだろうけど。

**

その後東京駅ステーションギャラリーへ。
「東京駅100年の記憶展」も見てきました。
模型が沢山、特に圧巻だったのは、ボードではなく薄い木材で作られた三つの時代の東京駅周辺模型。
別々の建築科の学生さんたちが手がけたはずなのに、白木の美しさ、エッジのきいた統一感が素晴らしい。
それから複雑な駅の地下構造を見上げるように立体構成した模型も。
二階は、東京駅を描いた作品群。
松本竣介の絵が三枚も出展されていて、とても嬉しかった。

ちょっと悲しかったのは
辰野金吾先生のスケブが、ぞんざいに展示されていたこと。
大勢が立ち止まる入口直後の映像コーナーも端にあって、ゆっくり見られない。
他の展覧会の時はもっとその細かな可愛さが綺麗に配置されていたのに。
それと、パネルにすべき説明文が、ポスターマグネット留めで
裾がひらひら巻いていたこと。
あれは演出ではなく、手抜きだろうと思ってしまった。

最近、展覧会でも、ここの学芸員はどうなのよって思う展示がままあって
少々オカンムリな絹山でした。
まあ、観客の精神状態で作品は変容し、時に不十分な反射を戻すこともあるのですが
気分以前の部分も目に付いてしまう今日この頃であります。

三猿


第一段階 いわざる
急激に流入したニトロの弊害で、
みるも無惨な誤爆を引き起こした後、
反応いかんにかかわらず、己自身も誘爆する。
傷ついた他者も傷つけた己も硬化し
それを和らげるすべもなく沈黙せざるをえない。
あるいは再発防止にも、沈黙は金と取り違え
さらに地雷を仕込む羽目に陥る。

第二段階 きかざる
誤爆の誘因、最たる情報源である
人の言葉に惑わされぬと意固地になり
耳を塞ぐうちに
凡ゆる声がノイズ化し、変調をきたす。

第三段階 みざる
知己以外の声、第三者の思考見解すら脳に到達せず
社会につうじる窓を閉ざす。
遠く彼方の導き手であった映画や書物も消滅させる。

michael

二日ぶりに外に出て渋谷ユーロスペースでサイレント映画見てきました。
なんと立ち見(実際には座席脇の階段に腰掛けて)でした。
名画座系が盛況で嬉しい限りです。


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ベンヤミン・クリステンセン、ヴァルター・シュレザーク 他

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サイレント映画の負の特徴といえば、演技力が薄れてしまうことにあると感じていたのですが、これは逆にサイレント時代の特徴である、表情のアップによってあらゆる苦悩が濃密に表現されていました。
一介の画家を目指す青年ミカエルが名匠ゾレに自分の画を見てもらいにいった縁で彼のモデルになり、同性愛関係に陥る。
ゾレに肖像画を依頼したロシアからの亡命貴族ザミコフ侯爵夫人と愛人関係に陥ったミカエルは、次々にゾレの作品を売っては裏切りを重ね、終にゾレが死の床にあっても彼の元に駆けつけることなく、ゾレは孤独の死を迎える。
といった粗筋なのですが、登場人物の目の物語る表現力が恐ろしいまでに出た作品でした。

ミカエルが自分を単なる金蔓としてしか感じていないと判っても総てを与えようとするゾレの苦しみと、解放。
既に喪失感を湛えた、絶望の瞳で刹那の快楽を求める侯爵夫人。
夫人の目の奥、深淵を覗きこみゾレからの偽りの自由を勝ち得る残酷な、一方で幼いミカエル。
ゾレに傍にありながら、ミカエルのように愛を齎されない、下僕や友人たち。
彼らが、四方の角のぼやけた楕円形の闇に白い顔
(この頃は光源が弱くコントラストを際立たせるために極端に俳優は顔を白く塗っていた)
のなかに、皮膚よりも一層白い、眼球が言葉を発するのです。

ジレを演じるのは、監督として有名なベンヤミン・クリステンセン。
そのギロギロとした三白眼が蠢くと、声が地の底から響くよう。
俳優としても非常に稀有な才能を持った人だとわかります。
また、ドライヤーにもクリステンセンにも共通するモノクロの闇と光の話術が際立ったのは
ミカエルがジレの大切なデッサンを盗み出すシーンでした。
巧緻にも壁にはまるで偶然にランプが描き出してしまったような悪魔の姿が小さく壁紙に映っていたのです。
大天使であるはずのミカエルは、救いを齎すどころか
瑣末な矮小な名ばかりの自由をも自らの手で叶えることのできない、小悪魔に過ぎません。
そしていくら裏切られても彼に与えようとする、ジレの「偉大なる愛」という言葉も最後までアイロニカルに響くばかりです。

今回終演後に短いトークショーがありました。
実はなんだか聞くに堪えない押し付けがましい部分があり、ちょっと悲しくなりました。
勿論、芸術の原動力は、作者の生い立ちにあることは否めません。
けれども、総てがそこに帰結しまうならば、作者は自家撞着から抜け出せていないということにならないでしょうか。
解釈は人それぞれあっていいと思いますが、常に同じ手法で一元的に見つめることは陳腐ともいえますし、ましてや映画一作品を見た直後、余韻に浸るまでもなく、そういう解釈を大声で暴力的に押し付けるのは、非常に不快に思えました。

mikael01.jpg

ダメダメ美青年ミカエル(ウォルター・スレザック 当時22歳)

時間泥棒

我が家に棲む名を持つ精霊のような、
しかしおしゃべりで、なおかつ口の悪いチッチャイモノクラブという面々に
新たに、時間泥棒さんが仲間入りしました。
とうの昔にいたのですが、姿は見えず。
有名な小人の靴屋さんとは真逆に、僕たちの時間を奪っては
背中に背負った緑の唐草模様の風呂敷に、詰め込んでスタコラ逃げていきます。
その手ぬぐいほっかむり、鼻の下に結んだ小憎らしく可愛い姿を
ひょいと摘み上げて、風呂敷を広げてみると、
先刻まであんなにふくらんでいたのに、あら不思議、ただ風呂敷があるのみ。
僕たちの時間は、やみくもに、雲散霧消してゆきました。

**

大人になると、
少し世界を認識しはじめると、大いなる不安と絶望に包まれていると気づくのです。
なんて怪しい黒雲に覆われているのでしょうか。
毎日毎日、見て見ぬふりを重ねる僕たちは、その大嘘つきが
安直な乱雲発生装置となっているのも気づかぬまま操作されてゆくのです。
きっときっと恐ろしい、あの時代が還ってくるにちがいない。
ネズミを先導する笛吹き男は、それはそれは巧みなんだから。

**

今週は元々、創立記念日があるので水木と休みでした。
でも月火も家から出られませんでした。
ウツと背中から無体で不気味な根が広がって布団に縛り付けられる状態から
昼過ぎまでちっとも離れられません。
一体、ほとんどの人を稼動域に押し上げる力とはどこから湧くものなのでしょうか。
行きたくないとかいう心情以前に、肉体が拒否するのを制する泉を僕は見失いました。

**

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Portrait of Madame Allan Bott by Tamara de Lempicka
タマラ・レンピッカの「アラン・ボット夫人の肖像」
実は、この作品は次回の「科学画報」小説傑作選3の収録作と繋がりがあります。
そしてその作品は、「科学画報」と「新青年」の奇妙な繋がりも証してくれると思われます。

まあ、元々二誌は縁があって、かの宮里良保編集長や佐久川恵一編集長も、
「新青年」に寄稿しているのですがね。



カルカル

日曜日、東京カルチャーカルチャーで行われたソ連イベントにいきました。
ここ数年、ロシアが熱い!と思ってるのは僕だけではないらしい。

苛烈な体制下にあったからこそ、
振り返ればそこに、妙な郷愁と笑いがある。
そういうトンデモソビエトを紹介してくれてる、おそロシ庵さんと、ロシア雑貨のミッテさんが主催で。
食事しつつ、酒飲みつつ、演台のオモシロトークに聞き入り、
中途で物販買いに走り、最後はソ連検定とかあり。
独りで行ったのでちょっと寂しい一面もあったけど、楽しかったな。
建築もパッケージも肋骨レコードも。

まとめがおそロシ庵さんのところで、されてるので覗いてみてください。→こちら。

ペナントは買わなかったけど、
スプートニクTシャツ黒と、トートバッグは購入。
次は誰か一緒に行けるといいけど。。。誘える人いないよ・涙。
楽しかったのに、一週間も元気玉持たない凹みっぷり。
自分が嫌いすぎる。

かっこよすぎのロシア・アヴァンギャルドポスター/1929
でも挙げて癒されよう。
煙草ふかしてふてくされるもよし。

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絹山絹子

Author:絹山絹子
狸穴幼稚園の図書委員

kochairo@hotmail.com
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