2014-12

ぺこり

いよいよ大晦日ですね。

29日は、冬コミに参加。
新刊「戦前『科学画報』小説傑作選2」も無事に販売に至りました。
雨降る寒い中、お越しいただいた皆様
それから、1号発刊以来、ヘボサークルとしては信じられないお褒めの言葉を下さった皆様
また情報拡散にも一役も二役も買ってくださった皆様
恐縮至極ではありますが、本当にありがとうございました。

なんだか、復刻とか、アンソロとか
他人の土俵を借りた引け目のような気分が拭い切れていなかったのですが
今年は少しそういう気持ちを改めさせられる転機でもありました。

やるべき作業は山ほどありますが、
来年もいい同人誌が作れるように、頑張りたいと思っております。
まずは3号を5月文フリあわせで出せるようにすること。
3号は最終巻でもありますので、まとめの作業にも入ります。
夏以降は、自分の中ではいくつか企画があるのですが、また追々発表します。

受容の多さだけを考えて、自分のやりたいことを狭める方向というのは
非商業誌である同人誌には、むしろ理念を汚すことでもあるので、
傑作選の3号がひとつの区切りであるならば、
以前に準備していた、虫太郎のあれこれやジュリアン君、武彦君からも逃げずに闘わねばと思う次第。

受容云々ではなく、
せっかく現在の状況(印刷方法や自分の立場)が比較的ハードルが低いのであるならば
やりたいことを形にしましょうよ、絹山。
っていうことで、来年も「変なもの」出しますので、よろしくお願いします。

**

では、今年出会った素敵漫画の最後です。

松本次郎漫画との最初の出会いは、昨年、BOで表紙に惹かれて買った「革命家の午後」という短編集でした。


革命家の午後 (Fx COMICS)革命家の午後 (Fx COMICS)
(2007/07/19)
松本 次郎

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女性キャラのエロチックさと、ロシア好き左傾した僕の心を鷲づかみする、革命を笑いと残酷さでパロディにする手法にしびれました。
今年はひたすら松本次郎さんの漫画を集め続け、既にコンプしてしまったのが、逆に悲しくなってしまうのですが、悩んだ末以下の二作をベスト1,2に選びたいと思います。

第二位


べっちんとまんだら (Fx COMICS)べっちんとまんだら (Fx COMICS)
(2009/11/26)
松本 次郎

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そして第一位は全6巻まとめて。


地獄のアリス 6 (愛蔵版コミックス)地獄のアリス 6 (愛蔵版コミックス)
(2014/03/19)
松本 次郎

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「フリージア」が一番有名な作品だとは思いますが、それ以降の方が惹かれます。
何より「べっちん」の頃から、画力が完璧の域に達し、キャラの魅力以上に画面構成や構図、背景の廃墟感、趣味のサバゲーを生かした武器や戦闘シーンの美しさが光ります。
初期の「ピーターパン」を題材にした「ウェンディ」や、「不思議の国のアリス」を題材にした「熱帯のシトロン」から、ずっと続く麻薬に酔うような幻視感は、どの作品でも付きまとい、その眩暈が戦車の中に住む杉並区のゾンビたちを掃除する女子高生二人の、妖しいやりとりである「べっちんとまんだら」まで発展すると、上質な洋画を見ているような気分にまで変わってくるのです。

表現は残酷で、人も大勢死にます。
でも「死」自体はむしろ残酷でもなんでもありません。
同量の「死」がありつつも、初期は先の幻視感や過剰な性描写が前面に出ていたところが、「未開の惑星」という二巻本辺りから、精神を刻む痛みの方が大きく描かれるようになります。
松本作品の多くの男性キャラの多くは(フリージアの叶は少し違いますが)、精神的に弱くへなちょこで、その典型が「地獄のアリス」の主人公に集約されています。
スナイパーの父親に認められたいだけで、女装した囮でしかなかったシュウが、父親を超えるスナイパーになる。
というと、よくある熱血少年成長ものなんて思われてしまうかもしれませんが、全く成長しません。
ひたすら駄々っ子です、子供の思考回路のままで最終章を迎えます。
彼と一緒に戦いの旅を続けるのが、ダッチワイフ型アンドロイドのアリス。
互いに寄りかかり合うシュウとアリスの関係は、ひたすらに幼い遊びの延長戦で、そこに大量の死が待っています。

松本漫画の残酷さは、僕がよく言う「寂しさ」とはまた別の故郷を持つもので、
もっと何もない荒野のようなものです。
感情を打ち払ううちに、夢に夢を重ねていくうちに見える虚空です。
だから細部まで書き込まれた弾丸が飛び交う中で、終末の世界がぽっかりと青空を見つめているような気分になるのです。

そうそう、今年読んだガルシア・マルケスの「愛その他の悪霊について」という作品がありました。
その異国の凝縮された蜜のしたたる究極の愛と、松本さんの「善良なる異端の街」に収録された「カーミラ」という作品は、ストーリーは違えど、非常に似た雰囲気のお話なので、マルケス・ファンの方にもお勧めです。

物凄く好きなのだけど、松本次郎さんの素晴らしさを伝える筆力がないのが、悔しいです。
少しは文章上達するように、来年はもっとまともなこと書けるといいなあ。



愛その他の悪霊について (新潮・現代世界の文学)愛その他の悪霊について (新潮・現代世界の文学)
(1996/05)
G. ガルシア・マルケス

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善良なる異端の街 (GAコミックス)善良なる異端の街 (GAコミックス)
(2010/01/07)
松本 次郎

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痛いかも

図書館で借りてきてもらった「文藝」8月号を苦笑いしつつ。
勿論目的は「新カラマーゾフの兄弟 第一部」だ。

僕の中のささやかなミーハー精神は昨今、亀山センセーに向かっているといって過言ではないが。
ミーハーの対象に対する愛着は、笑柄ならんこと承知で、この人のダメなところも含めて好きというのが、いつものパターン。
ダメなところは、ロマンチスト過ぎるというのか、いや自己投影が過剰なために「冷徹」な解釈ができない、思い込んだらまっしぐら、そして卑屈感を漂わせつつ、自分語りラブなところだよね。

本作は三つの枠構造の仕立てになっているようだ。
1、小説全体を見つめる眼。
2、明らかに亀山センセーを主人公にしたKという大学講師の私小説。
3、そして現代日本に移された、カラマーゾフ一族。

3はまあ、テレビ版の「カラマーゾフ」が同じ現代日本に舞台を移して、大成功を収めていたのを、非常に意識しているはずなので。
カラマーゾフ家=黒木家のミーチャ、イワン、アリョーシャの経歴や出自のこと、スメルジャコフやゾジマ神父の配置なんかも結構頑張って練られているように思うのだが。
不思議なことに、兄弟の父、フョードルが13年前に怪死を遂げていて、現在も遺産をめぐって兄弟の仲たがいが繰り広げられているというデフォルトになってるのが、面白いかもしれない。
また新興宗教テロリズム=オウムを組み込んでいるのも、元の「カラマーゾフ」の第二部を想像しまくったセンセーならば、当然の置換のようにも思える。

が、既に亀山センセーのドストエフスキ関連の書籍を読んでいる者にとっては、そこここに出てくるキーワードが、いわば、「使い古し」感たっぷりになってしまっていて、うぬぬぬぬと言わざるを得ない。
そして何より問題なのは、2の部分である。
もうトホホとなってきました、僕。
猫拾ってマンションじゃ飼えないとか、一戸建てがほしいとか。。。どうでもいいわい!

いや、ファンなのです、本当に。
誰よりもロシアへの興味を大きく開かせてくれた人だし。
そして、「多弁なる吃音者」と僕は彼のことを名付けているのですが。
お喋りのリズムも大好きだし、文字にしろ喋りにしろ論の展開も凄い視点を持ってるとは思うのです。

でもねえ。
小説は書かないでくれたほうがよかったかもなあ。
まあ、残りが出たら、ちゃんと読もうとは思っておりますが。


文藝 2014年 08月号 [雑誌]文藝 2014年 08月号 [雑誌]
(2014/07/07)
不明

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イヴのサラゴサ


サラゴサの写本 [DVD]サラゴサの写本 [DVD]
(2014/01/25)
ズビグニェフ・ツィブルスキ、イガ・ツェンブジンスカ 他

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24日はイメージ・フォーラムのポーランド映画祭「サラゴサの写本」を鑑賞。
できれば、事前に世界幻想文学大系の「サラゴサ手稿」読みたかったんですが、うちにはなかった。
なので、勝手に「スタフ王」みたいにうっとりするような土着幻想譚なのかと思い込んでいたのです。
が、開始早々、撃たれたはずの兵士がむっくり起き上がる戦闘シーンをみて、あれ、これやばいかもと感じました。
俳優がなんちゃってと遊びまくる書割舞台劇のにほひがするぞなもし。

その予感が的中というのか、恐るべき夢オチの連続が起り、
あまりのその繰り返しに、およよよよとなっている間に、激しい睡魔に襲われる。
ふと横を見ると、素氏もうとうとしていた。
膝を叩いて起こした頃に、漫画から飛び出した、いやいや絵に描いたようなモミアゲの怪しいカバラ神秘学者登場。
ここから三時間とは思えぬ、面白展開に。
いや、笑った、笑った。
千夜一夜も、ドン・キホーテも、真っ青さ。
最初にぐるぐる巻きに同じ場所で廻っていた円は、とぐろをほどいて、これでもか、これでもかと、シークエンス、もうはやマトリョーシカ状態。
唯一我々を正気に保たせてくれたのは、ちょいジョン・レノン風な眼鏡の学者(?)でありましたでしょうか。

帰宅後、眠られぬまま、枕元に積み上げた本をぱらぱらめくる。
それは以前から気になってはいたものの、最近古書店でやっと入手した「ロコス亭」であった。


ロコス亭 (奇人たちの情景) (創元ライブラリ)ロコス亭 (奇人たちの情景) (創元ライブラリ)
(2011/06/29)
フェリぺ・アルファウ

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著者前口上を読みつつ、はたと気づく。
これは、「サラゴサの写本」の特質を奇しくも指摘しているのではないかと。
おお、スペイン。

「本書に見られるような振舞いは、もっぱらスペインで発達したという点を指摘しておきたい。スペインというものは、思想でも言葉でもない、いわくありげな振舞い――いわば狂態《ジェスチャー》――が国民性の域に達しているお国柄なのだ」


「作中人物たちもこの無礼極まる活躍ぶりを他山の石とし、お腹立ちを表にださぬためにも平常心を十分に心がけて、どんなことが起ろうとも眉根ひとつ動かさぬ鍛錬を、読者は心がけられたい。時として読者の皆様は、主役級の人物が不当にも薄ぼんやりとしか描かれていないとか、ともすれば主役がすっかり存在感をなくしているなんて印象を抱くこともあろうかと思われる。あるいは、一見脇役と思われる人物がやたらに重要性を帯び、勇猛果敢な立役者よろしく振舞ったりもする。また、いきなり話の道筋が破綻して、私の指先からこぼれ落ち、収拾不能に陥ることだってあるだろう」
11pp

聞こえるかしら蹄の音

ちょっと暇になると凹む凹む。
多忙という名の超特急に乗っていなければ、頭がおかしくなるので、
早々に第三号の入力にも着手する。

今年は素氏のおかげで三箇所も忘年会に誘って頂けて
楽しかったなあ。
なんちゃって名刺も配れたり、色々面白い話が聞けたり、愛情たっぷり注いでもらったり。
もはや凹んでいる暇はない。

そういえば、「科学画報」の入力をしていて
一連の別名義の噴飯作家たちが不思議な文字遣いをするので
もしかしたら、この四五人は同一人物ではないのかと思っていたりする。
例えば、暇→暇間、息→息気とか。
入る→這入るは昭和初期までは結構な人が遣うけど、どうなのかなあ。
他にも、ネタは多岐に亘っても、文章の構成が破綻してるとか、指示代名詞使わないで、繰言のように話の進展が遅く、挙句に前フリだけになりそうなところとかも、この人たち似てるんだよねえ。
この同一人物かもかも問題を解決するには、当時の編集部に居た人に聞くしかないのだが。
残念なことに、編集主幹を務めた、仲摩照久、原田三夫、宮里良保、佐久川恵一などは皆、他界しているのだよ。
もう2014年も終わりのこの時期に、呻いても仕方ないけど、
僕たち興味を持ったのが遅すぎるのだ。

***

子供の頃から大学生まで、日曜の夜7時半からずーーっと観ていた世界名作劇場。
カルピスやハウス食品がスポンサーだった。
ひねた子供だったため、
よく取り上げられるハイジもフランダースの犬もラスカルも苦手だったのだが
(特に「わたしのアンネット」は本当に嫌だった)
「赤毛のアン」と「足長おじさん」だけは大好きだったのを思い出す。
(次点として「ロッキーチャック」と「トムソーヤの冒険」も入れておこう)
で、今年出会った素敵漫画第三位。


ブラッドハーレーの馬車ブラッドハーレーの馬車
(2013/10/16)
沙村 広明

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もう一位でもいいんですけどね。
「赤毛のアン」の小ネタが心憎いほど巧く使われていて、その実まったく異次元のお話。
何が凄いって、実はたった一つのエピソードを、その事件に関わる個々の人間の視点で各話読みかえられているというところなんです。
ブラッドハーレーのお屋敷から馬車がやってきて、孤児院に暮らす美貌の少女を連れて行く。
そのうちの何人かは、彼女たちが夢見る通りお屋敷に辿り着き、憧れの歌劇団に入る。
けれども残りの少女は、ブラッドハーレー家と癒着した政府の方針で、刑務所の暴徒を鎮めるための人身御供となる。
勿論、同じエピソードとはいえ登場人物は別なのだけど、刑務所に向かった少女、彼女たちの自殺を食い止めねばならぬ刑務官、囚人、歌劇団に入れたものの疑問を抱く少女、歌劇団に入った少女の初恋の少年、先に選ばれた少女を妬んで毒を盛る少女、かつて歌劇団に所属しブラッドハーレーの右腕になった女性……。
独立しても読める各話が、視点の違い、立場の違いだけで、これだけ明確に描き分けられていて、それは勿論、物凄い画力や心理作戦によるところも多いのだけど。
最初に登場するダイアナという名(勿論、アンの大親友)が、最終話のマシュー、マリラという名で閉じる円環と、孤児院をつなぐ馬車の歩みは、もう痺れるとしかいいようのない美しい構成なんですよ。
根幹のエピソードは悲愴なんですが、こういうオマージュもあるんだなあと、感激した次第でした。

金魚男と蟹怪人

昨日、北海道からタラバの足八本が冷凍で届く。
タラバはクモの仲間だということがよくわかる。
でかい、相当にでかい。
ちょうど正月用の飲み比べ日本酒6本(計二合半)が届いたので
夜はカニを肴に酒盛りにしようということになる。
昼前から台所に置いておいたが、一向に溶ける気配もなく。
最後は風呂の蓋の上で、じんわり温めた。

そもそもこの蟹は素氏が発注してくれたので
まったくどういうものか分かっていなかったのだが、
蟹を食べつけない身としては、その足の色に一切疑問をもっていなかった。
茶色だったのである。
トゲトゲが痛いので軍手をはめて、関節をねじり、身を取り出してびびる。
・・・生なんですけど。
周章てて素氏に発注履歴を確認してもらう。
生でした、ただし、要加熱な生でした。
そしてアホな僕は、既に四本の関節を脱臼させ、
一番うまいと思われる10cm以上の身をダラリと皿に乗せていました。
なくなく、、、茹でました、殻から出てるので、エキスが逃げたやもしれませぬ。
でも、ホクホクで、ムッチムッチなカニ肉堪能。
八海山ゆっくり楽しむ前に、カニの足をせせるのに夢中でした。
ご存知のごとく、茹でると殻は美しい橙色に変化いたしました。

**

中学生の頃、妹が読んでいた乱歩のカニ怪人が出る話が、
あまりに衝撃で(唖然呆然に近い)
多分ポプラ社の「空飛ぶ二十面相」かと思われますが、
ついで読んだクイーンの「シャム双生児」がこれまた衝撃で
もはや二作がどんな話だったか不明なのですが、
いまだに両者は僕の中で同一のものとしてトラウマ化しております。
ぶくぶくぶく。

**

では、今年出会った素敵マンガの続き。
第四位


血潜り林檎と金魚鉢男(1) (電撃ジャパンコミックス)血潜り林檎と金魚鉢男(1) (電撃ジャパンコミックス)
(2011/10/15)
阿部 洋一

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独特のタッチに可愛い少女たちたくさん、
だけどほんとは奇想の怪物が大暴れし、退治するたびに猛烈スプラッタ。
今年は、なぜか押切蓮介さんの「ゆうやみ特攻隊」とか、今まで読んだことのないホラージャンルに手をのばし、ここまで辿り着いた次第。
何が奇想って、金魚鉢かぶったスーツの怪人の鉢から金魚が飛び出し、被害者の首から体内に侵入。
金魚毒が全身に回ると、金魚になっちゃうと。
この金魚毒と戦うのはスクール水着の女子で、金魚になってしまう前にピストルで首を撃ち、体内を泳いで金魚をポイで掬って毒が回るのを阻止すると。
そのくせハンターの林檎ちゃんは泳ぎが下手くそなので、巻き込まれ型の少年がヘルプに入る。
傘をさして佇む金魚男はシュールすぎるし、水着少女たちは萌え萌えだし。
実はホラーというよりファンタジーなのかもしれないけれど、
この人の漫画には懐かしさと、拭いきれない悪意と、通常なら相反する明朗さが絡み合っていて、読み込むほどに味わい深いのであります。

こちら単行本は3巻まで出ていますが、
掲載誌がなくなったりで停止していましたが、最近再開したようです。
早く続編が読みたい。



橙は、半透明に二度寝する(1) (講談社コミックス)橙は、半透明に二度寝する(1) (講談社コミックス)
(2014/06/09)
阿部 洋一

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こちらは最新単行本。
帯が巻いてあると、少々トリックになってるのですが、この表紙。
でもamazonの画像では、ネタバレになってますね、
この可愛い二人の少女の異様な構図。
にっこり笑って、悪意のかけらもなく、非日常が浮遊しております。

戦闘的

土曜日に玉川学園敷地内の博物館にイコン展をみにいきました。
小田急の線路をまたぐ広大な敷地に幼稚部から大学まで、
その広さと自然環境のよさに惧れをなしながら見学。
ロシア正教のイコンは中世の匂いを強くとどめつつ、
素朴な表情と顔の黒さと金の眩しさと細かなキリルの書き込みに見入る。

元々教会学校に通っていた僕ですが、受洗していないので
恐らく黒死館の作業をすることがなければ、ことほどこの分野に近寄ることはなかったはず。
現代に近い基督教よりも、より混沌としていた時代の方が強く惹かれるので
民衆や土着の息吹の感じられる東方ものの方が、
妙なリアリズムのある油彩画より迫るものを感じます。
ユーゴスラビアの修道院で一日の大半をイコンを描くことに費やす修道女の姿がビデオで流されていましたが、画題は常に個性を無にした、伝統的なものに限られていました。
それをみて、ああ、これって写経の世界に近いのではと思ったのです。
巧稚よりも私心を無にしてのめりこむ時間が、優先されるという。

以前「黒死館逍遥」で取り上げた、聖バルバラの物語。
基督教を否定する父によって塔に幽閉された娘バルバラが信仰にめざめ、激昂した父に幾度も拷問され奇跡をおこしつつも、終に殉教するお話。
その物語が、巨大なイコンの中で二十数枚に細かく場面を変えて描かれていて、おお!と立ち止まる。
やはり自分の知る物語が緻密に描かれていると、目が離せなくなります。
今回は後期しかいけなかったので、次回の公開を楽しみにしています。

ちなみにコレクションの一部はウェブ公開されています。→こちら

**

以前から「戦闘的同性愛者」という標榜を耳にしていた
ドミニク・フェルナンデスの本を初めて読んでみました。


除け者の栄光 (新潮・現代世界の文学)除け者の栄光 (新潮・現代世界の文学)
(1989/04)
ドミニック・フェルナンデス

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1983年に小説JUNEが創刊されて、僕も当然ながら
BL的なるものの旋風に巻き込まれ
その後映画「モーリス」の嵐が吹き荒れたあの頃。
BLのバリエーションが広がる前の初期JUNEに慣れ親しんだ身には、
同性愛者が必ず通るであろう罪悪感や近親者との軋轢という問題は、
ないがしろには出来ないまでも、ある種のステレオタイプであると感じてしまう悪癖があり、
本書の前半も、1989という発行年をみると、やや「戦闘的?」と首をかしげたのですが。

いやいや、カップルの20歳年上の方、作家ベルナールがエイズを扱った戯曲を書こうと決心する辺りから、話は急激に変化を遂げます。
カップルの年齢差の意味するところは、同性愛者に「ゲイ」という名の一種の市民権が与えられる前後に思春期の通過儀礼を受けていること。
原罪の意識が本当に解放されたのか不明のまま、くびきを外せぬ者と、最初からそういう意識の薄弱なものの差。
ベルナールはエイズをテーマにするなんてもってのほかだという友人に連れられて、末期のエイズ病棟の見学に付き合わされる。
そこで、最後にみた患者はかつて自分と関係のもったことのある、歌手であった。

物語は時間の流れを加速し、ベルナール自身がHIV陽性だけではなくウイルスが発症したと読者に知らせます。
ここからが特に素晴らしかった。
決して、入院し対処療法に頼ろうとしない彼と、自宅で看病するマルク。
そして、感染が性交渉ではなく、輸血によるものだったという事実を知ったマルクが、ベルナールの意思を暗に受け取って、決して最後までそのことを知らせることがなく終わるという流れ。

もしかしたら、少数派の意見かもしれませんが。
ある種の人間は身体的、精神的、あるいは信条的に、いわゆる「欠陥」と認知されるものを負ったとき、それを引け目と感じつつ、また「欠陥」によって惹起される他者からの攻撃を不快に感じつつも、どこかその事実に陶酔や、選民意識や、あるいは罰せられる喜びを感じてしまうものではないのか、と僕は思っています。
勿論、その昏い思考回路は、特に公言すればするほど、余計に反感を買うものであるとは了解しますが、僕自身がそういう具合なので、ないことにはできないはずの回路です。

ベルナールが同性愛者であることを公言できる時代になっても、決して捨て切れなかった影を、もう一度、エイズ発症によって黒く染め上げることができるという、その逆説的(世間的には不道徳であり、不謹慎な)回路を、若いマルクが総て受け止めるところに、この物語の「攻撃性」は如何なく発揮されていると思います。

烈火を水に浮かべて

どうも、五日連続出勤不能のキヌヤマです。
今週もダメ記録更新しました。

年末に近づいたので、今年出会った素敵漫画ベスト5でも書くかな。
出会いだから、出版年は問いません。

五位

祈りと署名 (ビームコミックス)祈りと署名 (ビームコミックス)
(2013/11/25)
森泉岳土

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漫画というより詩画集に近いイメージかもしれない。
水で描いて墨を落とすという手法で描かれているので、
木版の雰囲気という感じ方もありますが、
僕には紙を版にする版画のように思えます。
(説明しがたいけど、描線の凹の角が垂直でベタの部分はインクの濃淡が自然と生まれるような)
特にこの単行本はロシア的要素に溢れていて
同時にとても残酷でエロチックです。
豪邸に迷い込んだ女性とそこに棲まう女主人の関係は
当然ながら百合的嗜虐が濃密で、
肌をむき出しにして雪の中を彷徨いつつも、
なおその体温は上がる情景がとても官能的であります。
優しさよりもこの作品集のような志向に向かっていただきたいのですが
この後の作品を見ると次第に薄れていっていて少々残念でありました。

さみしい博物学

入稿前の慌しいときにやったことのない実験がどかんと来ていて、
普通の人ならやるべきところ、わしは原稿中なんでオーラを撒きつつ
脇目も振らずPCと校正に向かっていた先週を乗り切り
(これが許されてしまうビミョーな環境のため退職できないともいう)
今週真面目にRNA抽出やっていたら時間がやばくなり
ダッシュで参加した某忘年会たのしゅうございました。

いつもながら思うことは、
「人脈は金なり」みたいに豪語する企業戦士はニガテだけど
実際のところ一声かければどっと人が集まるというのは
凄い力だなあと。
いや自慢じゃないけど、僕は自分から声掛けたり誘ったり出来ない
寂しい人なので、純粋に瞠目してしまう。

そして酔える人も結構羨ましかったりする。
今日はビール3、ジントニック1で全くしらふなので
足りない分缶チューハイ飲んでます。
自分は少々飲んでも酔えないのでテンションを引き上げるのも難しいなり。
でも酔った人の楽しい動きを見るのは微笑ましいなり。


不思議屋/ダイヤモンドのレンズ (光文社古典新訳文庫)不思議屋/ダイヤモンドのレンズ (光文社古典新訳文庫)
(2014/11/12)
フィッツ=ジェイムズ オブライエン

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有名な表題作、いわゆる顕微鏡男は
実はそれほど心揺さぶられるものがないのは、
ダイヤでレンズ作っても・・・とかいつもの噴飯的斜め読みのせいで冷えてしまうのかと思いきや
それ以上にこの作品が自己完結的、強くいえば利己的だからだろうか。

というのも通してみると他の作品には非常にさみしい雰囲気が付き纏っていて
思い出の詰まった品々に彩られた部屋が紛い物になって、自らの手から奪われるとか
卑屈なせむしの古本屋と呪われたジプシーの美少女の恋だとか
彼女と世界を呪詛で埋め尽くさねばならぬ仮の父親だとか
「さびしい」ではなく「さみしい」気配があたりを深い霧のように包み込む中に
美しい品々が列挙される。
ジョゼフ・コーネルの標本箱みたいに。
その博物学者のつくる細やかなカタログは列挙を重ねるごとに霧を濃くして
そこに幻が、誰も見たことのないような幻を現前させる櫓になっている。

南條さんの選ぶ典雅な訳語が、
(古雅な語彙は、必ずしも世のあらゆる翻訳に適合するとは思わないけれど)
特に中国ものの一作においては素晴らしく花開いていて
さみしい霧を一層さみしくさせてくれるように思えた。

寂しさは、他者との距離にあり、
たとえその存在が架空にしろ他者を求めぬものは、それを認知することはない。
だから顕微鏡君は異質に感じたのだろう。

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プロフィール

絹山絹子

Author:絹山絹子
狸穴幼稚園の図書委員

kochairo@hotmail.com
Twitter account:@quinutax

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